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Hey,Key! #シロクマ文芸部

 卒業の時はあっけなくやってきた。
 お別れは突然で、「アレ」は、さよならも言わずに二度と来なくなった。
 押しつけがましいほどに来ていたものがぱたりと来なくなると「さよならくらい言っていけばいいのに」という気持ちになるものだなと思う。
 そもそも、いつ卒業したのか記憶にない。気づいたら卒業していた。最後は記録しておこうと思ったのに、忘れてしまった。ということはつまり最後のあの時は、「またくるだろう」と思っていた、ということだ。

 そう。「閉経」の話。

 中学生の時、司馬遼太郎の『モンゴル紀行』の一節が教科書に載っていて、モンゴルの草原で見る星空の素晴らしさに感銘を受けた。私は「アレを卒業したら、モンゴルに行こう」と思った。わたしの「アレ」は重すぎないが軽くもないものだったので、そういう「しがらみ」から解放されて、晴れ晴れと草原の旅がしたいと思ったのだ。

 ところが、実際に卒業年になってみると、思わぬ伏兵があった。なんと老眼で眼鏡をかけたとてはっきりと星空が見えない。人間の身体は都合良く行かないものだなと思う。
 とはいっても、現代のモンゴルも都会化したので、いまやよほど草原の真ん中に行かないと、司馬遼太郎氏の見たような満天の星は見えないのかもしれない。

 卵を迎え入れる準備をしなくなり、卒業を迎えた私の子宮。これからは少しずつ縮んでいくが、女性には人生を通じていろいろなトラブルがある中、こうして卒業を迎えられたことにはやはり感謝したいし、言祝ぐべきことではないかと思う。

 男性の多くはことこのことになると「何を言っても不正解な気がする」という気分になり思考停止してしまうようだ。我が家の夫に至っては全く関心がない。そもそも生理にまつわることはひとによって受け止め方が違うので、「正解」はない。女性同士だって感じ方や考え方が違う。

 パートナーの閉経は、寂しがっていたら一緒に寂しがり、喜んでいたら一緒に喜ぶのがいいのではないかと思う。ただパートナーが言い出すより前に何か言うのはトラブルの元だとは思うし、我が家のように全く無関心でもなんとなく腹立たしいから、デリケートな問題だわこりゃ、と思う。

 大切なのは思いやり。お互いに。

 ところで昨今の「尿漏れ対策ナプキン」の高性能化と種類の多さには驚く。卒業したのになんだかんだ言ってまたナプキンのお世話になってしまうのか。なんだか癪に障る。
 昔は尿漏れ対策用はナプキンコーナーにこっそり置かれていて探すのが大変なくらいだったが、今は確実に陣地を広げている。若いころに高機能ナプキンを使っていた世代が「尿漏れ」に移行している証なのかもしれない。
 そのうち、生理用ナプキンと尿漏れ対策ナプキンの割合が逆転する日も近そうだ。CMの数だってどっちが多いかわからないくらいだ。

 「つぼ型」の人口ピラミッドを実感する今日この頃。
 
 私の少女時代は「アレ」としか呼称できなかった生理。さばさばと明るく語れる良い時代になったな、と思う。


#シロクマ文芸部
#卒業の

国際女性デーなので投稿してみました。