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タイム・リープ・イヤー #シロクマ文芸部

 閏年うるうどしにはいつも年末に気づく。
 翌年のカレンダーが出回り始める秋口に購入しても、年も押し詰まって慌てて買いに行っても、大晦日になってそろそろカレンダーでも準備しておこうと袋から出して、やっと気づくのが常だ。
 そうか来年閏年か、と気づいても、もう4年経つのかという気持ちがじわりと湧くくらいで、ふだん、閏年に特別な思いはない。
 けれど、今回の年末は違った。
 こんなに待ち遠しい閏年は、初めてだった。

 閏年のことを、英語ではleap yearというらしい。リープはタイムリープのリープ、「跳躍」だ。諸説あるようだが、一節には、跳躍する――つまり”すっとばす”のは「曜日」らしい。
 たとえばある年のクリスマスの12月25日が火曜日なら、翌年は水曜日になる。それが閏年に2月29日があって曜日がひとつ「ずれる」。それで、その年には「曜日が飛ぶ」、ということのようだ。

 そういえば、閏年にはだいたいオリンピックもあるし、4年に1度、というなんとなく「レギュラーではない」感覚は、ちょっとした祭りの気分でもある。
 今年の閏日は、まさに「祭り」、イレギュラーだ。
 ぼくは2024年の2月29日を指折り数えて待っていた。

 2月28日、深夜。
 少々もの思いにふけっていたが、ぼくは自分を鼓舞するように、どれ、と声に出して椅子から立ち上がった。その拍子にくしゃみが出る。やはり花粉が飛び始めているようだ。最近くしゃみをすると、連発するようになった。父親がそうだった、と苦い気持ちで思い出す。若いころはそんな父親に対しああはなるまいと反面教師に近い気持ちを抱いていたというのに。
 たるみのあるわき腹をひと撫ですると、洗面室に行って鏡の前に立つ。髪も少々頼りなくなっているが、まだまだ毛根は健在だ。子供のころはひ弱だったので、同年輩の中年男性よりも精悍な顔と身体を目ざして日々ストレッチや筋トレを欠かさないが、寄る年波は確実に自分の身体に影を落としている。髪を整え、眼鏡を拭いて、かけ直した。

 これまでの人生、まあまあ頑張ったんじゃないか、と思う。幼馴染と結婚して、一男一女をもうけた。二人で働いて、子供たちは無事巣立っていった。夢だった会社経営はいろいろあって諦めて、無難な会社に入社した。
 自分が入社したのはまだまだ終身雇用の意識が根強い時代で、男女機会均等法が制定されて間もない頃だった。定年がのびたので会社を追い出されるまであともう少しあるが、働き方改革で休暇の申請が自由にできることになったので、一足先に退職前の休暇をいただくことにした。
 旅から戻っても「日にち」は動いていないだろうが、疲れているだろうからゆっくり旅の疲れを癒すつもりで、長めに取得した。

 昨年の秋、実家の片づけをしていたら、粗大ごみに出そうとした学習机の抽斗ひきだしがするりと開いて、中からあいつが飛び出してきた。猫のくせに耳のない、青くてまるまるとしたあいつだ。
 あいつは抽斗から飛び出すなり、腹部についたカンガルーのようなポケットに丸い手を突っ込むと、懐かしい効果音と共に何かを取り出しながら高らかに叫んだものだ。

 タイム・リープ・イヤー!

 あいつの手には、ぶらんぶらんとペンダントのようなものが2つ揺れてぶら下がっていた。ジグソーパズルのかけらのような形が金属製のチェーンの先端にくっついている。

 あんまり突然で、あんまり嬉しかったので、泣き笑いのようになりながら、今ぼく助けて~って言ってないけど、と言うと、あいつは、久しぶりに会ったのにそれはないんじゃない?と大山のぶ代の声で言った。

 なんでなんで。未来に帰ったんじゃなかったの。きみが製造されるまでまだもう少しあるよと言うと、あいつは、せっかく新しい道具が手に入ったから持ってきてあげたのにと少し拗ねた。

 タイム・リープ・イヤーはね、閏年の閏日うるうびにだけ使える道具なんだ。来年は閏年でしょ、だから・・・
 気を取り直してそう言いかけたあいつは、ぼくをしげしげと見た。
「ねえ。年取ったね、きみ」
 そりゃあそうだ、きみが未来に帰ってから何十年経つと思ってるの、と笑うと、あいつも笑った。
「そういえばセワシくんちで今のきみの写真をみたよ」
 へえ、未来にもひいひいじいさんの写真を飾ったりしてるんだね、とぼくは感心した。いまこの21世紀にもそんな習慣ないのにさ。
「そんなことより、この未来道具はね」
 あいつはひと通り、道具の説明を始めた。なんでも、閏日に限って好きな閏日にタイムリープできる代物らしい。
「でも、使えるのは閏日に1度だけ。次の閏日が来ないと元の時代には戻れないんだ。4年間、時代によっては8年間戻れないこともある」
「ふうん。引き出しのタイムマシンは壊れたと思ってたから、粗大ごみに出そうと思ってたよ」
 そう言うと、あいつは慌てたように早口で言った。
「セワシくんがきみの古いブログを発見したんだ。それに粗大ごみで学習机を捨てたって書いてあったから、慌てて修理してもらったんだよ。間に合って良かった」
「ひきだしのタイムマシンがあれば、閏年のタイムリープなんて要らないじゃないか」
「ごめん。きみが真面目に会社に勤めてくれて、借金も全然なくて、セワシくんは普通の生活を送れているんだけど、それにしてもそんなにお金持ちじゃないんだよ。未来の法律でタイムマシンの回数制限が出来て、お金があれば制限解除できるけど、ムリなんだ。だからこのタイムマシンでは、そんなにあっちこっち行けないんだよ」
「そうなんだ。まあ、きみに会えて良かったけど。わざわざ未来道具を持ってきてくれたのはなんで?」
「セワシくんがね、ひいひいおじいちゃんにお礼をしたいって。ブログを読んでいたら、定年退職してもしずかちゃんを旅行にも連れて行けないって書いてあったから、だって」
 思わず苦笑いをした。退職金、あんまり出ないんだな、やっぱり。
「この道具は2人用で、2つでひとつなんだ。しずかちゃんと、過去でも未来でも好きな時間を楽しんでね。最後にこの時代に戻ってくればいいからね。他の時間にいる間は、絶対くしちゃだめだよ」 
 そう言ってあいつは慌ただしくタイムマシンに乗って帰っていった。

 また机を粗大ごみに出しそびれ、実家の片づけはお預けになった。いつまた「あいつ」が来ないとも限らない机は、捨てられないじゃないか。

 リビングに出ると、しずかちゃんはすでに旅支度で準備万端だった。といっても、荷物はない。お金の準備だけが必要だったので、手配した。どのくらいの価値になるかはわからないが、こういうときの頼りは現金と宝飾品だろう。
 ふたりで、どこに行くかはもう決めてある。
「そろそろかしら?」
 と、幼いころから変わらないかわいらしさで彼女が問いかけた。
「わたしも会いたかったな」
 「あいつ」のことだ。
「すぐに会えるよ」
 そう言って、顔を見合わせ、にっこり笑い合った。
 そしておもむろに、互いに首にかけたペンダント型の道具を手に取ると、カチリ、と合わせる。
 周りの景色が高速でゆがみだし、そういえばあいつとタイムマシンに乗った時はこんな感じだったなと思った。
 目と目を合わせ、ふたりでタイム・リープ・イヤー!と、叫ぶ。
 まるで小学生に戻ったような無邪気さに満ちたその声は、ぐにゃぐにゃした空間にしばらくこだまし続けていた。


追記:1969年から連載が始まった「ドラえもん」。のび太は1964年8月7日生まれで、ドラえもんは2112年の9月3日生まれらしいです。完全な初期設定とは違うみたいですが、作者ご本人(達?)が割と早い時期に改定しているようです。

 レギュラーメンバーなのでひと足早くお題をいただいています。
 今回はすっかりお遊び作品になってしまいました。
 部長、よろしくお願いします。

#シロクマ文芸部
#閏年