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お菓子の国のアリス#シロクマ文芸部

 『雪化粧』はどうでした?という質問に、結月ゆづきは動揺した。
 頬が一瞬、ぴくりと動く。
 今の動きは隠しおおせただろうか。それともモニタを見ている人たちは結月の表情から何かを感じ取ってしまっただろうか。そう思いながらも、明るく張りのある声で、はい!とても美味しいですよね、と笑顔で返していた。
 あっ、結月さんあれお好きでしたか~、嬉しいですねぇ、試食会では有名なロッタさんの『雪丸大福』の類似商品なんて声もあったんですが、さすが、インフルエンサーの結月さんです!召し上がられて、どうでした?
 どうでした、って――
 内心では、焦りまくっていた。
『雪化粧』は食べていない。『雪化粧』だけ。

 コンビニエンスストア大手のエムエムマートから、新商品のPR動画の出演依頼があり、発売されたばかりの新作がどっさり送られてきたのは先月のことだ。
「不思議の国のコンビニスイーツ」というタイトルでアリスの衣装で動画配信をしている結月は、インフルエンサーとして名が知られている。そうしたメーカーや小売業系チェーンからの試食の申し出は引きも切らない。
 いちいち全部を食べてはいられないのだが、食べないと仕事にならない。有名になってからはアシスタントとして知人にカメラ撮影をお願いし、そうした試食品は分担して食べていた。
 これまで撮影をしてくれたのは元カレで、別れたので最近は従兄弟の同級生でカメラが趣味のケータという男の子に撮影を頼んでいる。彼は、ま、ちょっと小太りな体型でスイーツを食べるのが大好きと言っていたので、ここ最近はこれ幸いと相当数の菓子を彼に試食してもらっていた。

 先日送られてきた試食品の中で、『雪化粧』は明らかに『雪丸大福』以上には見えなかった。和風モダンのパッケージはいまどきな感じだったが、描かれた写真風イラストの微妙な小豆感がいまひとつで、とにかく粉でコーティングしてあるのが見て取れる。結局最後まで残ってしまい、冷凍庫から出して開封した瞬間には、なんかもう気持ちわる、と思ってしまった。そんな様子を見ていたせいか、ケータが脇からぱっと手を出し、「これは俺が」と言って目の前で食べてしまったのだった。
「そうですねぇ」
 それまでは、いつもの動画のように調子よく、ポンポンと美辞麗句が飛び出していたのに、突然評価を決めかねたような反応をしたので、エムエムマートの人はちょっと肩透かしを食らったようだ。「もううっ!絶対!これ!おすすめ!マジで!ロッタさんごめんなさい。雪丸大福越えです!」というような反応を期待していたのだろう。
「もちろん!もちろん美味しいんですけどぉ・・・なんていうかぁ。まあ、美味しかったです」
 インフルエンサーにあるまじき答え。なんなんその食リポ。あり得ん。心の中で、自分で自分に突っ込む。目の前で食べたケータが何と言っていたか思い出そうとするのだが、「ああ、まあ」という曖昧な反応だったこともあって、煮え切らない言葉しか出てこない。
 ああやっぱり、PR動画出演なんて受けるんじゃなかった。
 というか、なんでよりによって『雪化粧』のことを聞くのだろう。主力商品ならもっとたくさんあって、無理を押しても食べたものが沢山あるのに、なんで――


 最初のころは、ほんとうに美味しいと思った大好きなお菓子を動画で紹介していた。だから「率直な表現がリアルで本当に美味しそうだ」と評判になり、いつのまにか登録者数がうなぎのぼりになった。
 今では、正直な話、菓子類を見るのも嫌になりかけている。スイーツのスイーという音を聞くと反射的に「うっ」となるほどだ。相当に無理をしている自覚はあった。
 もともと、過食傾向だった。食べ始めると止まらなくなってしまうが、とりあえず、最終的には吐くので体重や体型にはあまり現れてこなかった。
 コメント欄には、あんなに食べて太らないなんてすごい!という感想が溢れていた。がしかし、中には「どうせ吐いてるんでしょ」みたいなコメントもあって、だんだん心のバランスが崩れていった。登録者数が激増したころには、メンタルは反比例を描くように落ち込んでいたけれど、結局もう、そのころには、後戻りできなくなっていたのだった。
「あれぇ?なんかいまいちでした?もうちょっと、みたいな感じでした?」
 エムエムマートの人も引くに引けなくなってしまったのだろう。曖昧な反応の理由を聞きたい、というように言葉を重ねてくる。お願いだから突っこんでこないで、と祈った。冷や汗、というのはこういうときに出るものなのだと知った。たらりとこめかみから汗がしたたる。
 それをみた撮影スタッフがエムエムマート側に言ってくれたのが目に入る。こめかみを指して「あせ、あせ」と身振りで伝えているのが目の端に見えた。
 ちょっと休憩しましょうか、と言ってくれて、スタッフの人がメイク直しに来てくれた。
「ここ暑いですか?照明きついですよね」
 と聞いてくれたので、これ幸いと体調が悪いと訴えてみた。
「あ、そうなんですねぇ。どうしますか。続けられそうですか?」
「休憩したら、なんとか」
 そう言うと、30分ほど休憩をはさむことになり、いったん控室になっている別室に戻ることになった。
 ケータは、彼氏のときと違っていつも一緒にはいない。どうせPRなんだし、企業側に不利なことを言うはずもない。今日は撮影クルーが多いと聞いていたので、自分の動画は後からこの配信を引用する形で作る、という話になっていた。だからケータには来なくていい、と言ったのだったが、今はそれを激しく後悔している。
 撮影する部屋からいちばん遠そうなトイレを探して入り、ケータに電話をかけた。
「ねえ。『雪化粧』ってどんな味だった?」
 いきなり訊ねたので、ケータは面食らったようだった。なんですか急に、と声を硬くした。
「なんか知らないけど結構あれにツッコミ激しくて。あれ食べた時だけ、ケータ黙ってたよね。私もちゃんと聞かなかったし」
 勢い込んで聞くと、ケータは渋々、というように答えた。
「あー、ネガティヴな感想は良くないかなあ、って」
「え?なに?不味かった?どんな?何でもいいから言ってみて!早く!」
 隣の個室にスタッフが入ってこないかとヒヤヒヤしながら、急かすように小声で言うと、彼は言った。
「こんなこと言っちゃなんですけど、俺、結月さんのこと見ていられないですよ。食っちゃ吐きで。もうあんな動画やめたらいいんじゃないかって考えてて、あのとき」
「うん、そんなこと聞いてないんだって。味。味の話だよ」
「そういう味でした。そういう、なんかもうやめちまえ、って感じの味。完全にデカい雪丸大福だし。あんなの出したらヤバいですよ、エムエムマート」
 ケータは苦々し気に言った。
「それでも結月さんは、んもうめっちゃ新鮮な感じしました!とか言うんですよね。もう聞いてらんないですよ。パッケージ違うだけですよ。ロッタに失礼ですよ」
「それって、ケータが雪丸大福嫌いなだけじゃなくて?」
「ものすごく好きじゃないですよ、嫌いじゃないですけど。でもそういう話じゃなくて、もうやめてほしいっす、動画配信」
 結月は言葉が出てこなかった。
 どうしよう。さっき自信ありげに美味しいと言ってしまったこともあるし、それにケータのこの感想を、本当に全面的に信用していいのかどうかがわからない。結月のことを心配するあまり、という風にも取れたし、彼が単に雪丸大福が嫌いということもありうる。他人の味覚に寄り掛かった結論をベースにして自分の意見にするのはやっぱり危うい、と改めて思い知った。
 結局うしかない。
 自分が喰らうしかないんだ。
 味覚なんて、自分が食べてみない限りわかるわけがないのだ。
 そして同時に思っていた。
 ――やめよう、私、もう、こんなこと。
 結月はダッシュでトイレから出ると、ビルそのものを飛び出した。ここに来る道すがら、隣のビルにエムエムマートが入っていたのを目視していた。
 まっすぐに店に飛び込むと、血走った目で店内を物色し、冷凍ケースを素早く開けて『雪化粧』を手に取る。交通系カードをピッと言わせるのももどかしく、店から飛び出ると、そのままパッケージを開けた。
 冷え冷えの『雪化粧』を口に突っ込み、口の周りを粉だらけにしながら咀嚼する。ぶにゃりと歯ごたえなく噛めるのに、しみるほど甘くて冷たい。そしてひと口大より大きいそれは、手づかみでは死ぬほど食べにくかった。
 金髪の、青いワンピースに白いエプロンの、白いタイツにワンストラップの靴を履いた女。コスプレ女が氷菓を貪るさまを、エムエムマートの店員も、客も、道行くビジネスマンも、あっけに取られたようにみつめていた。スマホを向ける女の子もいた。
 にじむ涙を堪えて、結月は思った。
 確かに。確かにこれは「もうやめちまえ、という感じの味」だ——


 ふらふらと撮影する部屋に戻った。
「大丈夫ですか?撮影、続けます?」
 動画スタッフに労わるように聞かれたのだが、結月はうつむいたまま、壁に縋るようにもたれた。
「雪化粧―—」
 そしてそう言って、ようやく顔を上げると、カメラを探した。カメラマンがびっくりしたような顔で、カメラで結月を捉える。結月の口の周りは白い粉だらけだったし、バニラアイスでベタベタになった顎先が、てらてらと光を反射していた。
 そう。今日が私の、「インフルエンサー結月」の最後の日だ。
 結月はカメラを見据えた。そしてきっぱりと言った。
「エムエムさん、いい勝負でしたが、ロッタの勝ちです!雪化粧は、雪化粧は、詐欺メイクですっ!!」
 そう叫ぶと、結月は、込み上げてきたものをこらえきれず、その場で盛大にリバースした。


 以後、結月がエムエムマート(およびその動画制作会社)の出禁になったのは言うまでもない。
 エムエムマートの公式では、前半部分の調子のよいところだけが配信された。そのときべた褒めした商品がそこそこバズったようで、罰金や訴訟など、それ以上のお咎めが無かったのは幸いだった。
 結月はようやく、いろんなものから解放された。
 動画の配信も、それ以後やめてしまった。
 あれからは毎日、ケータと楽しくおやつを食べている。
 忖度も嘘もない、恋人と食べるスイーツは、本当に美味しい。

 『雪化粧』はいつのまにか、ひっそりとコンビニから姿を消していた。


#シロクマ文芸部
#雪化粧



※一部、尾籠な表現がありましたことをお詫び申し上げます。

※BGMはあのちゃん『ちゅ、多様性。』

※ロッテさん及び雪見大福、エムエムマートから想像しうるコンビニ各社様とは一切関係はありません。

※タイトル途中から変えました。