見出し画像

クラフトビール言語学1: IPA の奇妙なふるまい

言語学者が集う飲み会で,ビールがいろいろと取り揃えてある店に行くと必ず誰かがこういうことを言います:

IPA って,なんかいろんな音が出るビールですか?

もっぱら「ははは」という乾いた笑いで迎えられるこの手のボケは,言語学者以外には全くもって理解不能な衒学的な悪ふざけにしか見えないこととお察しします.

もっとずっと分かりやすい,こういうパターンもあります:

IPA って言っても国際音声記号じゃないですからね!?

はい,ということで,用語を我流で整理すると,

IPA 1: India Pale Ale (インディアペールエール)
ホップを豊富に用いた苦みの強いエールタイプのビールで,基本的にはアルコール度数も高い.日本で手に入りやすい銘柄としてはインドの青鬼Punk IPA などが有名.

IPA 2: International Phonetic Alphabet (国際音声記号)
世界中の言語の音を表記するために開発された世界標準の音声記号.a と e の中間音 æ や曖昧母音 ə などはよく見かける.

という感じになります.言語学で IPA というと通常 IPA 2 の方を指すわけですが,ここでは IPA 1 の方から言語の特徴について考えてみたいと思います.きっと続編があるので,「クラフトビール言語学」シリーズ第一弾という位置付けでお届けします.

IPA = I + PA

一昔前は,IPA の語源はビール好きにとっては鉄板ネタの蘊蓄で,飲みの席で誰かが「なんでこれって IPA って言うんですか? インドのビールなんですか?」などと聞こうものならよだれを垂らしながら食らいついていたものですが,今や空前のクラフトビールブーム.IPAの由来も随分と人口に膾炙し,ともすると陳腐さを漂わせる,言うなれば「死せる蘊蓄」,デッドトリビアと化しつつあるように思います.

しかしあとの議論にかかわる重要な部分なので,ここでは IPA という名称の由来に対する一般的な説を紹介します.上でも紹介したインドの青鬼という IPA の商品紹介ページから拝借します:

IPAは、18世紀末にイギリスからインドへの長く過酷な輸送に耐えられるよう、アルコール度数を高め、劣化防止効果のあるホップを大量に入れたことから生まれました。

インドの青鬼 | よなよなエール公式ウェブサイト「よなよなの里」 [https://yonasato.com/ec/product/indono_aooni]

補足すると,当時インドはイギリスの植民地で,現地ではイギリスが東インド会社という国際貿易会社をフロントにして植民地支配を行っていました.イギリスは長らくエールの伝統があって,国民的な飲み物として親しまれていましたが,寒冷なイギリスとは異なり高温多湿なインドに,今のような冷蔵技術がない状態で美味しいエールを輸送することは困難でした.そこで目をつけられたのが防腐効果のあるホップでした.

ちなみに IPA はペールエール (pale ale) というタイプのエールの一種ですが,この「ペール (pale)」は「淡い 」「色が薄い」といった意味を表す形容詞です.しかし実際は淡い色合いどころか,むしろ黄褐色の比較的色の濃いビールが多いように思います.

図1. エールとペールエールと IPA の階層関係

ではなぜ pale か.これには歴史的経緯が関係しているようです.CRAFT BEER TIMES の記事「ペールエールってどんなビール?その特徴や種類、オススメのビールを紹介します」によれば,ペールエールが誕生した17世紀のイギリスにおいてそれまでポピュラーだったのは,今でいう黒ビールのような色のかなり濃いビールで,それと比較して色が薄め,ということでペールエールと名付けられたようです.

この話はこの話でいろいろ深掘っていけるので,また別の機会に改めて探求していきたいと思います.ここまでは IPA の PA (ペールエール) 部分のお話.

図1 に示したように,IPA は PA (ペールエール) の一種.従って,IPA = I + PA ということになります.上述のように,I は India の略であり,「インド」を表します.なぜインドなのかというのも上に記した通りで,ざっくりと「インドに縁のあるペールエール」「インドと深く関連するペールエール」というような意味合いのネーミングなのでしょう.

ただ,ここでも気になることがあります.IPA 以外のペールエールに目を向けてみると,例えばインドの青鬼と並ぶヤッホーブルーイングの目玉ビールであるよなよなエールは,アメリカンペールエールという分類になっています.CRAFT BEER LIFE の記事「アメリカンペールエールとは?その意味を解説」によれば,アメリカンペールエールは「アメリカ産のホップを使用したペールエール」という定義のようです.他にも,イングリッシュペールエール,ベルジャンペールエールといった分類がありますが,どれも原材料の原産国や生産地が名称についています.

その点,IPA だけは「産地」とは無関係のネーミングになっている,という点でいささかイレギュラーな振る舞いをしていることがわかります.この辺りもいつかどこかで掘り下げたいと思いますが,今日のところは,「ちょっと変わった振る舞い」だということを確認して終わろうと思います.なんにせよ,IPA という名称は,PA (ペールエール) の一種として手前に I (インディア) がくっついた形,つまり I + PA という図式で成立しているということが確認できました.

以降はここまでの話を踏まえて,特定の銘柄や IPA の「仲間」について,言語学的に興味深いものを取り上げてクラフトビール言語学のケーススタディを示していきます.

XPA = X + PA?

私の大好きなブリュワリーの一つに,サンクトガーレン (SanktGallen Brewery) という醸造所があります.神奈川県厚木市に拠点を構えるブリュワリーで,「元祖地ビール屋」を名乗っているように,日本でクラフトビールを作り始めた醸造所としては最古参に位置付けられます.個人的には,レギュラーのラインナップではゴールデンエールが格別で,名前の通り金色の透き通った「軽そうな」見た目なのですが,確かにすっきりしているものの思いもよらない重さがあって,絶妙なバランスのおいしさです.

そんなサンクトガーレンが販売している IPA に,YOKOHAMA XPA という銘柄があります.名前は XPA ですが,公式の説明を見ても確かに IPA であることが確認できます (「アメリカンインディアペールエール」と書かれています).

ではなぜ XPA なのか.PA はペールエールの略として,問題は X です.公式の説明によれば,X は「エクストラ (Extra)」の略,つまり XPA = エクストラペールエール (Extra Pale Ale) ということのようです.

上に説明したように,ペールエールというのはエールの一種であり,IPA も XPA もさらにその一種ということになりますが,問題は,XPA は IPA である (!?) という点です (図2 参照).PA の一種で IPA があって,さらにその一種で XPA があるのなら,「エクストラインディアペールエール」として,XIPA や X-IPA などと略すべきではなかったのか? エクストラペールエールは IPA が「行き過ぎた」(= Extra) もの (ここではホップの量がかなり豊富で相当に苦い,というニュアンスのようです) であって,PA (ペールエール) が「行き過ぎた」ものではないはず.例えば同じように IPA の一種である「ベルジャン IPA (Belgian IPA)」は B-IPA,「インペリアル IPA (Imperial IPA)」は I-IPA となり I が 2つ重なるので「ダブル IPA」ということで W-IPA などと表記されます.

図2. ペールエールとIPAとXPAの階層関係

以前,note に機界戦隊ゼンカイジャーの話を書きました.スーパー戦隊の名前につく謎の「ジャー」はもともとは「レンジャー」であり,今は「レン」がなくなっているけれども,依然として「レンジャー」が引き継がれている.形には見えなくても,「ゼンカイ」と「レンジャー」が混ざり合って生み出されたのが「ゼンカイジャー」である,という趣旨の話でした.このような新語の造成は「混成 (blending)」と呼ばれ,至る所で観察される現象です.以前の投稿では breakfast × lunch = brunchリラ × クジラ = ゴジラ,などを挙げました.

そこで XPA も混成の仲間だと考えれば,辻褄が合うような気がします.「混成」ではなく「混成の仲間」としたのは,通常の混成はいわば対等な立場にある二つの単語を混ぜる操作なのに対して,XPA の場合は,IPA という名称が「母体」となって,そこに Extra という形容詞が「重なる」ようなイメージだからです.

図3. 通常の混成 (brunch の場合) と Extra Pale Ale の違い

ただこれは,Extra という単語が形容詞であることに由来する見せかけの違いであって,実際は大きな違いはないのかもしれません.つまり,形容詞である Extra は extra money (余分なお金,追加料金,臨時収入) や extra time (余分な時間,延長時間) など様々な名詞を修飾する形で使われるので,IPA と混ざり合う際に,extra money や extra time のような「特にこの表現」というものがなく,言ってみれば "extra __" (余分な __,過剰な __) という「匿名的」で「ひな形的」なフレーズとして振る舞っているということかもしれません.

図4. Extra __ と India Pale Ale の混成としての Extra Pale Ale

「そんなこと言ったら形容詞みんなそうならない?」というご指摘がありそうですが,実際そういうもんだと私は思っています.形容詞の修飾に限らず,動詞と目的語の関係とか,あらゆる言語表現の合成が実際はこのような混成の原理で成り立っているのだと思っています.そういうディープな話はまた機会を設けて掘り下げていく所存です (ゼンカイジャーネタの時も同じこと言ってましたが,きっといつか必ず…).

いずれにせよ,Extra Pale Ale (XPA) という名称は,I + PA で成立していた IPA とは異なり,X + PA という図式で成立しているわけではない,という点は明確だと思われます.言うなれば X × IPA,あるいは X __ × IPA といったところでしょうか.

IPL = I + PL?

江戸時代の蔵をそのまま残した町並みから,「小江戸」の愛称で親しまれる埼玉県川越市.そこに,まさにその「小江戸」の名を冠したブリュワリーがあります.COEDO です.COEDO のビールはコンビニやスーパーでも見かけるのでご存知の方も多いかと思いますが,6種類あるレギュラーのラインナップの中で,私がこよなく愛するのが「伽羅」という銘柄です.茶褐色の見た目通り比較的濃厚な味わいなのですが,それでいてドライかつスパイシーで,つまみなしでゆっくり味わえるし,食事にも合わせられる万能感が魅力です.

伽羅の話をするためにふまえておくべき区別があります.エールとラガーの違いです.これもビール好きの愛する蘊蓄ネタの一つですが,IPA 蘊蓄同様にかなり人口に膾炙してきた感はあります.ただ IPA の由来ほどキャッチーな話ではないので,積極的に語りたがる人はさほど多くないかもしれません.ということで若干ややこしい話ですが,上で紹介したサンクトガーレンのウェブサイトから,エールとラガーの違いに関する部分を引用したいと思います:

世界的に見ると、ビールは製法の違いで大きく2つに分類されます。下面発酵製法によって造るラガー(Lager)ビールと、上面発酵製法によって造るエール(Ale)ビールです。

[中略]

下面発酵製法で造るラガービール
■低温(10度前後)でゆっくり(1週間程度)発酵
■役目を終えたビール酵母は沈殿する
下面発酵製法で造られたラガービールは「すっきりとシンプルな味わいのビール」になります。シンプルなので、料理の味を邪魔することが無く、肉・魚・野菜まで1種類のビールでまかなうことが出来ます。

上面発酵製法で造るエールビール
■高温(20度前後)で一気に(4日程度)発酵
■酵母が浮かび上面で層を作る
ビール酵母は高温で活動するほど果実のような香り成分“エステル”を生成するため、上面発酵製法で造ったエールビールは「フルーティーな香りに満ちたビール」になります。個性が強いため、ワインのように魚料理にはこのビール、肉料理にはこのビール、デザートにはこのビール・・・とそれぞれの料理によってビールを選びながら楽しみます。

サンクトガーレンの特徴 [https://www.sanktgallenbrewery.com/about/]

要するにエールとラガーは醸造に使用する酵母の発酵の仕方が異なる,ということです.風味の差はその結果として生まれるもので,両者の区別を決める要因ではありません.ちなみに,上のページでも言及されていますが,日本の大手メーカーの販売しているメジャーな銘柄は,スーパードライであれ,プレミアムモルツであれ,エビスであれ,ほとんど全てラガーです.

これを踏まえて,COEDO 伽羅の話に戻ります.伽羅はラガーに分類されるビールですが,私が初めて伽羅を飲んだ時には既にそのことを前情報として仕入れていて,「ラガーと知った上で飲む」ことになりました.

グラスに注いだ時点で予感はしていました.私の知っているラガーとは明らかに色が違う.濃い.濃すぎる.黄色くない.茶色い.一口飲んで,予感は確信に変わりました.こんなビールがラガーのはずはない! 濃い,香り高い,そして苦い! まるで IPA!

のちのちCOEDO の公式ページで真実を知りました.伽羅の説明には,こう書いてありました:

インディア・ペール・ラガー(IPL, India Pale Lager)

[https://coedobrewery.com/jp/beers/#KYARA]

インディアペールラガー! 思いもよらない分類名に,心が踊りました.踊り狂いました.スーパーサイヤ人になれるのは悟空だけだと思っていたらベジータまでスーパーサイヤ人になった時のような,Dio にしかできないと思われていたザ・ワールドによる時止めを承太郎がやってみせた時のような,「もう一人いた」感,オルタナティブ感に打ち震えました.

IPL というカテゴリーなのだと知ってますます伽羅が好きになった私ですが,このインディアペールラガー (IPL) というネーミング,よく考えると不思議なことが起こっています.IPA は「インドに縁のある (I) ペールエール (PA)」ということで I + PA 式に成立していたわけですが,では IPL も「インドに縁のあるペールラガー」なのかというと,実際のところまったくインドとは関係ありません.そうではなく,IPA というビアスタイルの存在を前提にして,その「ラガー版」ということで名付けられたネーミングだと言えます.

これは言い換えると,本来 I + PA で成り立っていた IPA が, 末尾の A (エール) だけを独立させて,IP + A のように変換され,その A の部分を L (ラガー) に変えることで,IP + L という図式で作られたものだと言えそうです.

そんなことしていいの? という気がしますが,これも実は言語にはしばしば見られる現象で,「再分析 (reanalysis)」とか「異分析 (metanalysis)」などと呼ばれています.

例えばハンバーガー (hamburger) は本来ドイツの地名ハンブルク (Hamburg) に -er がついた Hamburg + er という図式で成立していたものですが,いつの間にか ham + burger と分析され,チーズバーガー (cheeze burger)チキンバーガー (chicken burger) といった語が作られました.

ということで,IPL は I +PL ではなく,IPA の異分析によって成立した IP + L という図式で生まれたネーミングだと結論付けたいと思います.

ということで今日はクラフトビール言語学と銘打って,IPA というスタイル名やその銘柄,そして類似のスタイルについて,趣味全開の言語学的分析を施して参りました.総じて,当たり前のように使っている名称でもよく考えると変な振る舞いをしているように見える,という現象で,そのどこがどう「変」なのか,そしてその「変」の正体は何なのか,という話になっていたかと思います.そんな感じで伝わっていましたら幸いです.

ここから皆さんの IPA 愛,クラフトビール愛,そして言語 (学) 愛が高まって行くことを願っております.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?