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弟子との1年、そしてたった1つのルール

デザイナーをしています吉川雅彦(@masahiko888)です。最近は「Pen」という「テンプレートから行程表を簡単に作成できるサービス」を作りました。行程さんの後継サービスです。

2人目の弟子をとって約1年が過ぎ、一段落しました。弟子について聞かれることが多かったのでまとめました。


経緯

弟子1人目は、以前のnote「デザイナーの弟子ができました」にも書いた人です。自分でどんどんやりたいことを見つけて自分でどんどんやっていっていたので、数か月程度しか関わっていません。

今回書くのは2人目の方(正確には3人目なのですが、1人は特に何も進展なかったので実質2人目)。UXデザインをやりたいという美大生の女性でくるりさんという方。私の転職活動が一段落したタイミング(2021年1月)でbosyuというサービスで相談に乗った方です。bosyuは現在はクローズしましたが、何かの募集と応える人とを繋ぐサービスでした。

くるりさんが募集していたのは今後の進路相談だったのでそれに乗りました。19時にZoomで「はじめまして」をしました。通常は1〜2時間程度話すものだと思います。おそらくお互いそう思っていたはずです。ですが、深夜3時ごろまで8時間デザインのことをしゃべりっぱなしでした。そこから日を改めてまた数時間話しました。くるりさんが求めていることは「UXデザイナーになりたい」というものなので、それを考えると2人目の弟子になってもらうのもありだなと感じ私から提案。弟子と師匠の関係になりました。

弟子に何をしているか

通常弟子を取ると「お金をもらって教える」「教える代わりに仕事をやってもらう」ということが多いのではないでしょうか。しかし私はそれをしません。というかそもそもほぼ何も教えてません。少なくともUXデザインはほとんど教えていませんでした。

それでは何をしているのか。Zoomを繋いで「弟子の知りたいことの答えを一緒に出す」ということをしてました。別の言い方をすると「哲学」をしていました。

エントリーシートの書き方、どこに就職するのがいいか、UXデザインとは何か、部屋の探し方、幸せとはなにか、生き方……。

エントリーシートを添削していたときのもの

「UXデザイナーになりたい」という希望は私も叶えてあげたい。その状況で私ができるのは、

  • UXデザインとは何?

  • UXデザイナーとは何?

  • なぜぞれになりたいの?

  • なぜそれが向いてると思うの?

  • それ以外がダメな理由は何?

  • なれた後どうするの?

などなど問いかけをすることでした。そうこうしていると「UXデザインそのものを教えないほうがよいな」と思うようになりました。

なぜUXデザインを教えなくなったのか

以下の3つの理由から、UXを教えなくなりました。

  • UXを教えるのは難しい

  • UXを教えるには時間がなさすぎる

  • UXを教えるのは幸福になるための手段でしかない

「UXを教えるのは難しい」ですが、なぜかというと、学習サイクルを回すためのフィードバックがないに等しいからです。PhotoshopやHTMLの技術は映し出される正解がフィードバックとしてすぐに得られるものです(もちろんそれが美しいかやコンバージョンが取れそうかなどはフィードバックが必要です)。体験・経験というものは実際にプロダクトを作って使ってみてもらって初めてフィードバックが得られます。UXの書籍などから得られるものの大半はフレームワークであることが多いため、実践をせずにそれ以上に何かを教えるとなるとなかなか難しいのです。これは私が弟子を取ってから気づきました。

「UXを教えるには時間がなさすぎる」「UXを教えるのは幸福になるための手段でしかない」ですが、何がしたいのか尋ねつづけていくと、もっとメタ視点でできることがあるのだと思いました。

UXデザインそのものを教えるというよりも、何か答えを出すときの「考え方そのもの」を教えて学んでもらわなければならないことに気づきました。また、考え方に加え、伝え方、意思決定の仕方なども教えて学んでもらわなければなりません。私がやることは、ほんの少しアドバイスや方向の確認や矛盾への指摘などです。

私が知ってる「情報」は教えます。私が出した「見解」は一度考えてもらってから伝えます。「判断」はなるべく弟子自身に出してもらいます。

私が教えることはどんどん抽象度が高くなりました。答えではなく考え方を知ってもらうようになりました。これはつまり哲学的な思考と似ているのです。真理を求めていく行為です。

私は、時にはコーチング、時にはティーチング、時にはコンサルティングをしていたのだと思います。

これらを通して、UXデザインを学ぶことはひとつの手段だと思ってもらうことで、何をすればいいか、UXを学ぶことが本当に幸せに繋がるのか、自分自身で考えてもらうようにしました。

吉川は何を得ているのか

私は何も得ていないかといえばそうではありません。

壁打ちです。自分なりの真理を追い求めるための壁打ちの相手をしてもらっています。たかが壁打ち。されど壁打ち。壁打ちのサービスもあるくらいですし、いざやろうと思ったらお金もかかるものです。

ですので、いま考えていることを聞いてもらう壁打ちをさせてもらっていました。他には、プレゼンを聞いてもらったり、書いたブログのレビューをしてもらったりしていました。

Penのキャラクターのアドバイスをもらっているところ

また、ファシリテーションの練習にもなります。実際に会社で1on1というミーティングにおいても役に立っています。その他には「UIデザインやUXデザインについて理解を深めたい」などもありました。

私が何を得るかはきちんと初めに伝えました。何を得るか相手に伝えるのはとても大事なことです。というのも、「きちんと取り決めをしてくれたのがよかった」と後で弟子から伝えられて思いました。つまり、「なぜこの人はこんなにも優しくしてくれるのだろう。何か裏があるんじゃないか」と思われると本人は不安になります。だからちゃんと「なぜあなたのために尽くすのか」を説明するわけです。

弟子は何が変わったか

師弟関係になってから何が変わったか聞きました。色々言っていただきましたが、印象に残ったものを列挙するとこんな感じです。

  • 自己肯定感が上がった

  • 人との繋がりが広がった

  • ロジカルシンキングができるようになってきた

その他にも色々挙げていただきましたが、デザインのことはおまけ程度にしか出てこなかったのが面白かったです(笑)。

特に言われたのは「自己肯定感」。もしかしたら自己効力感かもしれませんし自尊心かもしれませんが、そこらへんの感覚です。正直なところ、半年や1年でそんなに自己肯定感は大きくは変わらないと思っています。しかし本人の感覚的にはものすごく変わったとのことでした。そう言われると「吉川は褒めまくったのか」と思う方もいるかもしれません。しかし実際は違います。弟子自身に考えていることを言語化してもらい、ロジカルに批判したり、深堀りさせたりしていました。そうすることで自分の中での矛盾に気づいてもらったり、深く考えて自分の本当の気持ちに気づいてもらったり、自分のことを客観視して整理できたりしていきました。そうして、言語化して行動につなげてもらうことで、やりたいことをやっていき自信に繋がっていき、自分を肯定できるようになったのだと思います。ですので、私は必要以上に褒めた記憶はありません。

取り決めた唯一のルール

師弟関係になるにあたって、たった1つのルールを設定しました。

お互いに依存しないこと

これだけです。「何をしろ」とか「何をするな」とかはありません。

  • 約束の時間に遅れてきてもOK

  • 突然約束を変更してもOK

  • 話が長くなってしまってもOK

  • 他に師匠を作ってもOK

なぜ大丈夫か。「相手がいなくなっては困る」という依存の状況を自ら作り出してしまわないこと、それこそがこのルールです。

機嫌は自分でコントロールしてもらいますし私もします。嫌なことは伝えてもらいますし私も伝えます。もし何度も約束の時間に遅れて嫌な気持ちになるなら師弟関係を辞めるか相手に伝えれば済む話です。その他も基本的には同じです。実際に土壇場キャンセルは発生しますし、時間の変更もよくあります。しかしそれは起こりうることであり、それが起きても問題ない状況を作っておくことでストレスコントロールはできるはずです。

つまり、他責NGです。他責NGとは言い換えると、相手に依存せず、アサーティブ(相手を尊重しながら主張)なコミュニケーションができ、自ら解決できて、適度に相手に頼れるということができなければいけません。

このルールを見て「何をしてもいいなら相手への配慮もなくなるのでは?」と思う方もいるかもしれません。しかし実際は違います。不思議なことに、お互い相手への配慮をきちんとしています。それは次に述べる「利害関係」がきちんとあることも理由だと思います。

初めのほうに、お互いが相手から何を得たいか(何を達成させたいか)を伝え合いました。これは利害関係を一致させるためです。さきほども書きましたが、この合意形成がされていないと「相手はなぜ自分のために時間を割いてくれているんだ」という不安が払拭されません。弟子側であればなおさらです。ですのでボランディアではなく利害関係があります。

利害関係はあれど、「別にいなくてもいい存在。だけど、いてくれるととても助かる存在」にお互いになれている気がしています。お金では得られない、得にくい存在として相手を尊重しているのです。だから必然と配慮も行われます。

別の場面でわかったことですが「他責NG」だけではないもう1つ大事なことがあります。それは相手から何を得られているかの可視化です。弟子と私は話している時間のみが相手から譲受しているものです。つまり可視化がされています。私や弟子が相手のために影で多大な努力をしていることはあまりありません。ですので単純に同じだけの時間を相手に使えばそれでうまくいきます。もしお互い、相手のためにしていることのたいへんさが伝わっていないとうまくいかなかっただろうなと思います。

弟子との関係性

弟子と接してる時間はわりと多めです。最初のころはミーティングも不定期で多かったですが、弟子自身が変わり消化できることが増えたことで、現在は1週間1回のZoomでのミーティング2時間くらいに落ち着いてきました。接する時間が長いので、ただただビデオチャットで話すだけではありません。普通の知り合いと同じように、写真を撮りにいったり、デザイナー同士でご飯を食べたりもしています。

偶然かどうかわかりませんが、ふとしたところから関係が発生し、よい関係が続いていてとてもよかったなと思います。弟子の今後に期待です。

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