見出し画像

暖かい毛布は人を殺すから

パチンコ店で

私は大学を卒業してパチンコ店でアルバイトをしていた。

青春の延長,楽しかったなあ。

仕事終わりの飲み会,浪人中の弟との将棋,大学の友達と月一でボーリング,平穏な毎日。

とはいえ心のどこかに,焦りはあった。

焦りからおかしな方向に,いろいろやった。

小説は相変わらずまま読んでいた。加えて自己啓発本を読み始めた,けれど実行力のない人間にとってそれはネズミがヘリコプターの操縦を学ぶようなもので全く意味をなさなかった。


瞑想する迷走する

次に,今ではマインドフルネスと言われているものが少し流行り始めていて私も瞑想を試みたのであった。これは結構うまく行った。五感が鋭敏になり集中力が増した。一時期は蚊を見て神様かも知れないと思うぐらいに悟りに近づいていたと思う。

なるほど,これは今振り返ると資本主義への退行的な反逆である。成績の上がらない小学生が子供がワルに走って目立とうとするのと同じ心理(まあ,まさに自分もその類だったのであってこれはいわば三つ子の魂百まで説はあるけれど)で社会にうまく適応できないんだったらもういいよ,というわけで意気揚々と日々瞑想に励んでいたのであった。

けれどお坊さんを舐めてはいけない。生半可な気持ちで頭を丸めているのではないのであって,私には毛ほども覚悟なんてなく,坊主になる夢は(なろうとはしていない)三日坊主という結果に終わり,また迷走を再開した。


フィクションとしての世界史

次に世界史を勉強し始めた。

なぜそんなことをしたのかというと

世界を知る=賢くなる=できる人間になる=お金がもらえる

というアリスの国もびっくりの論理が自分の中で出来上がっていたからである。自分の都合の良いように現実の法則を書き換えるのが妄想族の特徴であって,でもこれは映画を見すぎたせいかも知れない。フィクションに侵食された男,関税条約風にいえばFAP(Fiction Addicted Person)である。

世界史を勉強するのは楽しかった。毎日2時間くらいは勉強していたと思う。

しかし,これも逃避行にすぎなかったのである。

世界史をフィクションとして楽しんでいたにすぎなかった。

高校生であれば親戚一同拍手喝采の所業であるが私は目的を逸した異常者デアッタ。哀れにも偽の充実感を味わう怠け者デアッタ。

そうだ,就職しよう

自己欺瞞が実家の新鮮な空気と混ざり合いマジックアワーが終わるのをぼんやり見つつ,おぼろげに,しかしはっきりと就職をしようと心に思った。

うららかな春の日に暖かい毛布にくるまって王様のブランチをぼんやりみるような生活だった。

でも,これは死に至る病だと確信していた。こんなに人生が楽なはずがない。暖かい毛布は人を殺すのだ。そう思った。


そう思ったはずだった。



次回,絶望の会社員時代。














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?