「昔は容姿を笑いにする時代があったんだって」

 渡辺直美さんがYouTubeで言っていた。「もう議論はよくない?」
 芸人が容姿で笑いをとることについての言葉である。思えば僕が育ってきた中でのお笑いには、容姿で笑いをとることはけっこう多かった。
 例えば、髪が長いこと、髪が薄いこと、髪の色が黒ではないこと、ふくよかな体型、痩せた体型、背が小さいこと、瞳の色が黒ではないこと、目が離れていること、目が小さいこと、等々あげればきりがない。
 そんな時代を生きてきたから、容姿で笑いをとることにあまり抵抗感がなかった。時には一般の人達の中にも、自ら容姿で笑いをとっている人もいた。そしてそれに乗っかって、本人を揶揄するようなこともたくさんあった。

 ただ、今は令和の時代。容姿で笑いをとることはほとんどなくなったように感じていた。それでも、芸人が笑いをとるためであったり、一般人であっても本人が自らジョークとして用いる分には許容されるのかなとは思っていた。だから、芸人が容姿を笑いにするということについて肯定的な意見が見られたときも、それもそうかな、と思ってしまった。
 しかしそれに対して、渡辺直美さんは「もう議論はよくない?」と言っていた。つまり、「芸人が容姿で笑いをとることの是非」は十分議論されつくして、答えは出ていると言うのだ。この発言には、はっとした。今は、容姿で笑いをとることは明確に否定される時代なのだ。

 芸人であれ、一般人であれ、容姿を揶揄されることに傷つかないということはない。容姿を指摘されることと、揶揄されることは違う。医者の立場から「太っているので、もう少し痩せた方がいいですね」と言うのと、明らかに冗談として「めっちゃ太りすぎ、痩せた方が良くない?」と言うのとでは、意味が変わってくる。
 また、自らが自嘲気味に言うのと、他者が冗談で言うことも違う。「俺ハゲてるからさ」と漏らすのと、冗談めいて「お前ハゲてんじゃん!」と言うのとは違う。
 かつては、コメディの文脈や、両者の関係性によっては許されてきた。しかし今は違う。コメディの文脈であっても、両者の関係性がいかなるものであっても、容姿で笑いをとること自体が避けられるべきものなのだ。

 理由は大きく二つ。一つは、おもしろくないからだ。容姿は笑いにはならない、おもしろいものではない、というのが今の感覚だ。例えば、髪の長い男性に対して「髪が長いなんて、ウケる!」という感覚がある人はほとんどいないだろう。これもかつては揶揄されたものだ。しかし、今では髪が長いことが笑いの対象にはならないだろう。
 容姿が笑いになったのは、それが奇異に映っていた時代の話だ。同じような身体的特徴を持った集団の中に異なる身体的特徴を持った人がいたときに、それが揶揄されていた。その名残りがずいぶん長く残ってしまっていた。多様な身体的特徴を持った集団に生きる今の我々とは、異なる価値観なのだ。
 もう一つは、全く関係のない人を傷つけることがあるからだ。たとえコメディの文脈であったり親しい者どうしの会話であったとしても、それを全く関係のない当事者が聞いたときに傷ついてしまうことがある。テレビの中で太っていることを揶揄された場面を見たら、太っている人は笑いながらも、どこかで傷ついているかもしれない。喫茶店で髪が薄いことを笑っている人達のすぐそばに座っている、髪の薄い人をパートナーにしている人は、どこかで傷ついているかもしれない。そんなことに想像が至れば、身体的特徴を笑いにすることは避けようとするはずだ。

 だから、「容姿を笑いにする」ことを避けることは、今の日本では当たり前のことになったのだ。そこに議論の余地はない。今はただ、「昔はさ、容姿を笑いにする時代があったんだって。何がおもしろいのかはわからないけれど」と、妙な時代を振り返るだけなのだ。

 ところで蛇足だけれども、選択的夫婦別姓とか同性婚とか、「もう議論はよくない?」ってこと他にもあるよね。もう答えは出てると思うけれど、違うのかな。

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