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【第13話】そして食い意地は張っていく①

 田舎に行くと「おすそ分け」という習慣があるらしいとは聞いていたが、本当だった。私が最初の洗礼を受けたのは、移住して2週間目のこと。

 こっちのおすそ分けは、スケールがデカい。「キャリーで」というのが、島の人たちの合言葉みたいになっている。キャリーとは、スーパーの買い物かごを二回りぐらい大きくしたサイズの籠。黄色やオレンジが多いかな。農家さんが収穫したミカンを入れておくのに使うのだが、野菜のおすそわけなどもキャリー満タンでいただくことが基本なのである。

 (ちなみにこの籠、寄合などの際はイスやテーブルへと早変わりする。暮らしの側にキャリー。大いなるキャリー。大三島でキャリーといえば、ぱみゅぱみゅじゃなくてコレのことなのだ)

◇ディスカバリー海の幸

 東京では高級品だった海の幸も、日常使いである。

 取材がキッカケで交流がはじまった刺し網漁の漁師さんから、タイとタナゴをいただいた。「新鮮なタイは、目にアイシャドーがあるのよ」と奥さんが声を弾ませ教えてくれた。確かに!

 最初は、地域おこし協力隊のKくん夫妻(刺身包丁を買ったばかりでうずうずしていた)の家に持ち込み、刺身やら香草焼きやら鯛めしのフルコースを堪能。2回目にいただいたときは自宅調理。ガーリックで炒めた後に、お酒とレモン汁をどばーっとかけて蒸し焼きに。小洒落たレストランで出すなら「真鯛のポワレ 瀬戸内海のレモンソースと共に」ってところか。ちなみにレモンも別ルートからのいただきものである。

 タナゴの塩焼きも美味しかったが、一番驚いたのは彼らは魚類なのに胎生だということ。

 タナゴのスケルトン子宮っす。掌に載せると、ズシリ重い。予定されてた命の重さだ。我々の「食べる」という営みは、他の命の可能性を摘み取って、自分の可能性に換える行為なんですね。ごめんね、ありがとう、いただきます、多少のことではへこたれずに強く生きていきます。

◇マテ貝に魅せられて

 もらってばかりじゃない。自分でも獲る。

 4月からGWぐらいまでの間は、潮干狩りでマテ貝が獲れたのだった。もちろん養殖を誰かがバラまくんじゃなくて、勝手に生息している天然物ね。殻が四角くて細長い貝なんだが、酒蒸しにすると白ワインにとても合うと思う。

 自宅から車で5分のところに「伯方の塩」の製造工場があって、そこの海岸が穴場らしい。誰が管理しているわけでもないので、雑草引っこ抜くみたいに勝手に獲ります。狙いは干潮。特に、潮の満ち引きがMAXになる大潮の日がベストだ。砂浜にあいた小さな穴に真塩をサラサラ振りかけていくと……、しょっぱさに耐えきれなくなるのか、ヤツはピューンと垂直に飛び出してくるのだ。その瞬間、えいっと指で摘んで引っこ抜く。これがまた得も言われぬ快感。さながらゲームセンターの興奮である。

 この時期の浜辺は面白かったなぁ。老いも若きも砂糖に群がるアリのように、わいわいキャーキャーいいながら砂掘ってるんだもん。

 私が一人マテと格闘していると、島外から遊びに来ていた幼稚園~小学生の子たちが10人ぐらい寄ってたかって手伝ってくれた。よっぽど頼りなく見えたんだろうなぁ。「俺が水せき止めておくから、そこ掘ってていいよ」とか。女の子も男の子も、頭皮からお日様の匂いが上っていた。君たちまだ半分獣なんだね。懐かしいようなうれしいようなー―。

 「子ども同士は、大人と違ってすぐに仲良くなる」と言うけれど、年齢ではなく、一緒に何をしたかの違いなのかもしれない。10回の飲み会より、1回の泥合戦みたいな。身体を使う作業、特に胃袋と直結したミッションをともに遂行すれば、心の壁なんて築くヒマがない。それは田んぼの作業をしたときにも強く感じたことだ。一緒に転んだり笑ったりしながら、相手にあっけらかんとした親近感を抱く。農業体験×婚活も流行っているようだが、なるほど料理教室よりも早く距離が縮まるかもしれん。

 夫が運転する車の助手席に乗り込むと、エンジンが音を立てた。気づいた子どもたちが駆け寄ってくる。「ありがとー」とか「また遊ぼうねー」と叫びながら、私の姿が見えなくなるまで手を振ってくれたんだ。

 くそっ、なんだよ。その光景がなんだかすごく掛け替えのないものに思えて、不覚にもちょっと涙が滲んでしまった。あたしゃモンペで三つ編みだし、なんだか二十四の瞳みたいじゃないか。美化しすぎか。

                              (続く)

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