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”生活”をしよう【コロナ6日目】


・9/25 10時。喉の痛みも無く、怠さもなく、久々に気持ちの良い目覚め。まだ多少咳は残るが、もう少しだ。いろいろな夢を見た。寝すぎて首を寝違えた。

・こんなに何日も、起きる時間を気にせず好きなだけ寝られることはもう後にも先にも無いかもしれないなと思うとどこか切ない気持ちになる。

・行動範囲も自分の家だけ、しかも端から端までたったの8歩の我が根城。ずっとコンタクトも付けず過ごしていたからあわよくば目もよくなったりしないだろうかと思ったけど、スマホかPC画面を見続けているだけの生活だったから何も変わらなかった。

・体調が良いことにテンションが上がり、朝ごはん兼昼ごはんでラーメンを茹でて食べた。夜は白米を炊いてレトルトカレー。どちらも1か月以上賞味期限の切れていたものだ。ずっと気になっていて、早く食べねばと思っていたので良いタイミングだった。

・味覚は、あるような無いような。味覚ではなく、嗅覚が弱まっているのかも…?ここは今後も要経過観察だ。

・レースカーテン越しに、直感的に窓の外にわくわくする気候を感じられたのでベランダに出る。昨日と打って変わって気持ちの良い青空と、心地よい風にぼんやりと外を眺める。叶うならベランダにお布団を敷いてお昼寝したいなあ。向かいの家で育てられている花々に名前も知らない茶色い蝶々がたくさん舞っていた。

・「あ、”生活”だ。私は今、ただ”生活”をしているぞ。」

・「ゆっくりする」「ぼーっとする」、今までできているようで意外とできていなかったかもしれないな、と思う。いつも何かに追われていて、それは仕事だったり、家事だったり、舞台活動だったり、レッスンだったり、ゲームだったり。いろいろなことに興味を持ってしまう私は、全て選んでいるのは自分で、忙しくしているのは自分自身なのに、思った以上に息苦しく感じていたみたいだ。どうやらスケジュールを埋めることだけが「充実」ではないらしい。これまで、こんなに全てを手放した状態は、本当に思い出せないくらい昔のことだと思う。

・コロナにはもう感染したくないけど、年に一度くらい、数日間こうやって何も考えずに家に引きこもる期間が欲しいかもしれない。リセットというか、デトックスというか。この期間だけは、時間が進まず、自分も歳をとらない気さえする。

・書くことがいよいよなくなってきたけど、こうして「全て手放す」ことが逆に「充実感」「充足感」に繋がることもあるんだなあ。


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