【植物が出てくる本】『西の魔女が死んだ』梨木果歩
梨木果歩さんのデビュー作として有名な作品で、映画化もされているので、ご存じの方が多いのではないでしょうか。
以前、自然体験活動の研修で清里に行った際、ほかの受講生の方が、
「ここ『西の魔女…』のロケ地なのよね」
「そうそう!」
と嬉しそうに話されていたのを聞き、ファンが多い作品なのだなと実感しました。
私自身は10年位前に1回読んだのですが、その時はさらっと読み終わり、読み返すことはありませんでした。今回ふと思い出し、あらためて読んで、記事にしてみることにしました。
『西の魔女が死んだ』梨木果歩(新潮社:2001年)
この物語の中には、たくさんの植物が出てきます。キンレンカ(ナスタチウム)の葉をサンドイッチに挟んだり、野イチゴを摘んでジャムを作ったり、ラベンダーの上にシーツを干して匂いを移したり。
読んでいるだけで爽やかな植物の香りがしてきそうなシーンが続き、単純に「いいな……。こんな暮らしがしてみたいな」というあこがれを抱きました。
しかし、まいの心情描写が、この物語にもやもやとした影を落としています。
まいは、この年頃の女の子ならではの友人関係から、学校に行くことを苦痛と感じるようになります。
私自身も、子どものころは学校が好きではなかったし、女子の中にいても、空気を読んでその場にふさわしい言動をすることはできなかったので、気持ちはわかる気がしました。
ただ私はどちらかといえばおおざっぱですが、まいちゃんは繊細過ぎて、色々なことが気になり、精神が疲れてしまったという印象を受けました。
まいは「西の魔女」(おばあちゃん)との生活の中で何を得て、どうなったのか。最後まで書くとネタバレになってしまいますが、私はこの物語が、不登校に対して何かの答えを示しているものだとは思いませんでした。
また、自然が人を癒してくれるとか、人間には自然が必要だ、というような教訓を与えるお話でもない気がしました。
まいが生死について、おばあちゃんと語り合うシーンも一つのポイントになっています。これもまた、何となくふんわりとしています。
おばあちゃんは、自分の生活についてこのように語ります。
おばあちゃんの精神はいつも「今、ここ」にあり、まいにもニュートラルに接します。
まいも、自然の中に心地よい居場所を見つけ、心の平穏を見いだしていきます。
自分が自分としてここにいるという感覚を、確かに感じられることの大切さ。
私がこの物語から受け取ったのは、そのようなことでした。
どうするべきか、何が正しいのか、考えすぎて惑わされて、自分の立っている足元を見失うことがないように。
揺るぎない確信が持てるようになれば、もしかしたら私も、「魔女」になれるかもしれない……?
そんな風に思えた一冊でした。
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