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祖義母の葬式で泣いた話

初めてお葬式で涙が止まらなくなった。

祖義母の告別式と出棺のとき。
お通夜の時からウルッときてた。
堰き止めてた涙を崩壊させたのは、妻のいとこ(おばあちゃんの孫)の小さいときのエピソード。

・風呂嫌いで臭くても笑ってくれた
・サッカーで負けたときもおばあちゃんだけには話して、次は頑張ってと声をかけてくれる
・病室にお見舞いにいくとニコッと笑ってくれる

話したいとこ(高校生)も号泣。
妻も号泣。
会場も号泣。
そして、僕も号泣。

あれは泣いちゃうよー。

もちろんエピソードも涙を誘ったけど、1番涙が出てきたのは泣いている妻のお腹にいる我が子を思ったことだった。

あ、このおばあちゃんが居なかったら、奥さんと会うことはなかったんだな、この子も授かることはなかったんだな。

畳み掛けるように、お経の途中にお坊さんの話が反芻した。

人と人との繋がりが今の自分を作ってる。

おばあちゃんが居なかったら、という大きな話より、おばあちゃんが先日亡くなるまで行動したり、発言したりして経験したことが今の自分に繋がってるんだなと思った。

この間、妻からおばあちゃん夫妻のエピソードを聞いた。
すごく大変な思いをして子どもを育てて、辛いこともいっぱいあった話。

僕はそれらの経験による行動や言動が妻の両親、そして僕の妻に伝わり、価値観や考え方を形成したんだ。
そして結果として今、僕を夫に選んでくれて子どもができた。なんて壮大な話だろうと思ったら何か涙が止まらなくなった。

何か一つでもおばあちゃんの経験が違えば今の現実はないかもしれない。
そう思ってしまったら、今の自分も妻も全てが愛しく思えた。

今日、このお葬式に出たこと(経験)も、こうやってブログ書いてることも、おばあちゃんがいたからこそできること。

最後に棺桶の窓が閉まるところを見たあの場にいた人しかできない経験。
これもきっと何か人と人を繋げるできごとなのかもしれない。
経験は人と人を繋げてくれる

おばあちゃんが孫に優しく接してたからこそ、いとこの彼が居て、妻がいて、そして僕がいる。

今日の経験で、色んなことに感謝しなきゃなと改めて感じた。

自分の行動や言動が色んな人の人生に影響するかもしれない。なんかそう思うだけでちゃんとしようと思えてくるよね。

家族
社員
部下
クライアント

明日から職場復帰頑張ります。
誰かの未来に良い影響が出るように。

それにしてもはとこの女の子(5歳)が可愛すぎた。
あのデレデレぶりを見た妻が、我が子への溺愛を心配してた。

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