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人生を振り返ってみて、自分を成長させてくれた痛みや苦痛って、どのようなものでした?

このところ、成人発達理論というものに興味を持って学んでいます。
成人発達理論というのは、発達心理学(人が一生を通じて心と体を成長・発達させ、変化していく過程を研究する学問)の一つ。

人は成人すると身長など身体機能は大きく変化しなくなりますが、「知性や意識は生涯にわたって成長し続けられる」という前提の元、人間全般に共通するおおよその発達の過程を可視化・理論化したのが成人発達理論です。

ハーバード教育大学院のロバート・キーガン教授が中心となって研究が進めて来られたみたいですね。
日本においても、知性発達学者・現代思想家の加藤洋平さんなどが関連書籍を出版されていらっしゃいます。

■私たちは、心理的な痛みや苦痛を通じて自分が何者であるかを知る


加藤洋平さんの新著『成人発達理論から考える成長疲労社会への処方箋』の中にも、人の心理的な痛みに関する記述があります。

心理的な痛みや苦痛はまさに人間の主観の産物。
人間1人1人異なる生い立ち・感性を持って人生を歩む中で感じる心理的な痛みの裏側には、その人固有の物語があるはずです。

人生の中で困難・挫折へ直面した際、そこで自分が感じる痛みや苦痛の裏側にある意味や物語に目を向けることは、自分の人生や存在の意味を見出す絶好の機会。

僕を含め、渦中にいるときは「なんで自分がこんな目に…」「最悪だ…」と、出来事の否定的な側面につい着眼してしまいがちかもしれませんが、視点を変えて「この出来事を通じて、人生は今の自分に何を問うているのだろう?」「この出来事が、自分に贈ってくれているものは何だろう?」と考えることこそが、自分の真実に向き合い、本質的に人間が成熟していく上で大切なように、僕も思うようになりました。

■僕自身の人生における、自分を成長させてくれた痛みや苦痛


32年間生きる中で、多くの楽しみ・喜びを感じてきた一方で、色んな痛みを感じてきました。

その中でも、直近一番のギフトに思えているのがここ1年で起きた、離婚を通じた学び。

感情的になっている元妻と義父母から3対1で威圧・責められる苦痛。
繋がりたいと思って対話しても、噛み合わない・感覚が違いすぎる悲しみ。
対話ではなく、法の力で機械的に強引に推し進められた悲しみ。
人生を共にしようと愛を誓った相手から、自分のことをモノのように扱われている悲しみ。。

ここに書ききれないほど、色んな苦痛と悲しみがあったように、今思います。
同時に、不安と恐れから妄想を膨らませ続けて暴走する元妻と義父母の姿は、僕が人生で「良くないもの」として抑圧し続けた「怒り」の感情が、僕に何かを伝えようと結晶化して僕の目の前に現れたように最近思えています。

今思うと、特に「怒り」という感情は、僕が人生でずっと抑圧してきたものでした。

「怒り・悲しみなど負の感情を表現すると、自分は周囲に受け入れられなくなってしまう」

無意識にそんな認知もあったのか、幼い頃兄弟喧嘩をしたり、10代の頃両親へ怒りをぶつけたりということはありましたが、今振り返っても6-7歳以降に家の外で怒りを表現した記憶がありません。
仮に怒りを感じても、表に出ないように必死に抑圧しようとしていたように思います。
(小柄な体型の影響もあり「怒りを表現して人と戦ったら、負けて惨めな思いをしてしまうはずだ」という認知も無意識にあったかもしれません)

そんな認知の元、20代で論理的思考力・言語化能力を身につけてからは怒りの抑圧が加速したように思います。

「怒りを人前で露わにすることは自制心・理性の無さの証明であり、愚かなことだ」
「怒りを人へぶつけることは動物的なことであり、知性の無さを露呈させることだ」

そのような認識を持ち、怒りや不満は「汚いもの」として自分で紙に書き出して理性的に1人で処理することを心掛け、怒りを安直に露わにしている人を軽蔑していたように思います。

■怒りも憎しみも、人間として自然なものとして愛でていきたい


ザメンタルモデルを提唱している由佐美加子さんの感情の捉え方が好きで最近影響を受けています。

怒りの感情も、扱い方を間違えると自分も周囲にも害となってしまいますが、怒りの裏側にある「願い」に着眼すると意味が変わってきます。

怒りの感情が湧くときって「本当は〜なはず・〜であってほしいのに、なぜ違うんだ!」というように、自分の願いが叶えられなかったときが多いように思います。

願いと異なる現実に直面したとき、人を攻撃したり責めたりすることに怒りのエネルギーを使うのではなく、自分が本当に願っている「わかってほしかった」「愛を感じたかった(本当は世界には愛が溢れているはずなんだ)」「ありのままを受け入れてほしかった(本当は人は生まれながらにして価値のある存在なんだ)」などなど、自分の内側にある願いに着眼し、その現実を創るための情熱・エネルギーへ変換したいなと思います。

怒りも悲しみも憎しみも一般的には「負」の感情と言われるかもしれませんが、感情とは「自分の内側・自分の生命が願いを顕在意識へ訴えかけるもの」という捉え方が好きです。

僕もずっと特に「怒り」という感情を悪いものとして抑圧して無くすことにエネルギーを注いでいたように思いますが、自分の生命からの訴えであると捉え、今後はもっと自分の中にある「怒り」も愛でていきたいと思いました。
(ピクサー映画の『インサイドヘッド』を久々に見たくなってきた)

■まとめ


成人発達理論のフレームからは盛大に逸脱しましたが(笑)、僕自身が直近味わった痛みから学んだことを文字にしてみました。

社会に適合するために、紳士であるために、愚かで醜い人間にならないために、悪いものとして抑圧してきたところがあると思います。

だからこそ体験できたこと、僕を慕ってくれている周囲の人間関係もできたことも愛でながら、同時に今回人生が僕にギフトしてくれた体験を踏まえ、これからは人間としての自分をただあるがままに認め・愛していきたいと思いました。

最後まで読んでくれてありがとうございます☺

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