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人生は1人旅だから

  久々の1人旅は、メルボルンを選んだ。
 カフェ文化が盛んな土地であり、街には歴史とアートが溶け込んでいる。ガーデンや海も楽しめて、世界中の美味しいものも味わえるという。好きなものが揃っている。シンプルに行ってみたいと思った。

 実際に訪れてみると、たしかにアートも食も私を魅了してやまなかったけれど、最も心が動いたのは、この街の肌なじみの良さだった。
 滞在3日ほどで、ここに住んでいるかのような気持ちになれた。碁盤の目のように整備された街は歩きやすく、縦横無尽に走るトラムを使えば市街地への移動もしやすい。マーケットやカフェでは地元民と会話を交わしながらリラックスして買い物や食事が楽しめる。メルボルンは、暮らすように旅したい人々をすんなりと受け入れてくれる。それでいて品格を感じさせ、程よい距離感をたもってくれる。まるで理想の友達みたいな街。

 移民を受け入れてきた歴史の長い土地だからなのだろう。どんな人種も言語も存在が許されているのを感じた。たとえば、イギリスやアメリカのように王道の英語の発音にとらわれていないからか、こちらの拙い英語を気にも留めず、聞き取ろうとしてくれる人が多い。
 初日をご一緒したガイドのmapleさんによると、メルボルンは世界の中でも移民の受け入れがうまくいっている都市だと言われているが、それでも大小様々な問題が起こってきた歴史があるし、今も無くなってはいないとも。
 それでも大らかな空気の中で、心身はあっという間にほぐされた。

美味しいものは1人で食べても200%美味しい


 数年ぶりの1人旅。出発前、実は少しだけ緊張していた。結婚するまで、時間と費用さえあれば、国内外を問わず旅していた。友達や恋人とも旅したが、1人旅をすることが圧倒的に多く、割と旅上手なのではないかと自負していたのに。
 パートナーは、私以上に旅好きで遥かに旅慣れている人だ。マルチリンガルでもある。2人で各国を旅することが日常になってからは、私は旅でやりたいことだけを計画して、あとは、おまかせ。彼の後について行き、好きなものを見て、食べて、遊んで、感じるだけ。もちろん、信頼できる人にリードしてもらう旅は快適でありがたく、楽しさや喜びをリアルタイムで分かち合えることも格別に嬉しかった。
 けれど、一方では、そんな自分は弱く退化しているような気もした。

 私は、1人旅を極めたい。

 「極めたい」を「味わいたい」に置き換えてもいいが、昔からずっとそう思っていた。美味しいものは誰かと食べると幸福感が膨らむし、美しい景色を見るたびに大切な人にも見せてあげたいと思う。
 でも、美味しいものは1人で食べても何ら欠けることなく200%美味しいのだ。むしろ、誰に気兼ねすることなく、時間と五感をめいっぱい使って、想像力の翼を広げ、おいしさの中にどっぷりと溺れることができるのは、“孤独のグルメ”の醍醐味だ。

初めてのオーストラリア旅の記憶

 メルボルンは初めてだが、オーストラリアの他の地には何度か訪れたことがある。初めて訪れたのは、30代前半、雑誌の取材で俳優の竹内結子さんのルポ記事を書くために同行取材した時だった。彼女の揺れ動く心を見つめ人生について深く語り合ったことも、世界遺産であり映画『風の谷のナウシカ』の舞台とも言われるウルルに立って神聖にして圧倒的なエネルギーを感じたことも忘れ難く、今も記憶の中で褪せることなく輝き続けている。

 もう1つ、あの旅で私の心に深く刻まれた思い出がある。同行してくれたオーストラリア人のコーディネーターの女性とのやりとりだ。オーガニックなライフスタイルを愛し、普段はパートナーとともにヒッピーのように世界中を巡り暮らしているという。彼女の冒険に満ちた人生の話が興味深くて、ガイドしてもらった日は、そばを歩いてたくさん話を聞いた。

 時折、顔を見せる彼女のパートナーがまた素朴でチャーミングなオージー男子で、2人の間に流れる温かく健やかな空気感に惹かれた。絆の強さを感じたが、結婚はしていないし、する予定もないという。

「どうして、結婚しないの?」

 当時は独りで「結婚ってなんだろう?」と面倒くさく考え続けていた、アラサーの私からの問いかけに彼女はサラリと言った。

「人生は1人旅だから」

「今の私は、今の彼と一緒にいるのが心地いい。お互いにとって必要な存在だと思う。でも、この先はわからない。私も彼も変わり続けるし、その時々、必要なものや人は変わるかもしれない」と。

 別人への心変わりとか浮気の可能性とか、そんな次元の話じゃない。自分も相手も、この先も自由に伸びやかに生きて、個々の人生を極めようとするならば、きっと2人とも変化していく。その時、進む道が分かれてしまうこともあると彼女は考えていた。一切の湿り気も感じさせず、「それって自然の理だから」というような素振りで話す。

 ともに生きれば、愛着も絆も深まりはするが、それは変容してくものでもある。
 当時、恋にも愛にも夢見ていた私にとっては寂しいことにも感じられたが真理なのだろうとも思った。

運命のパートナーは複数いる説

 あれから、幾つもの出会いや別れを経て、さらに、たくさんの方々の人生をインタビューする機会にも恵まれた。今の私は彼女が語っていたことがもう少し深いところで理解できる。自分なりに思うこともある。

 今、私自身は結婚という形を選んでいるし、パートナーといつか別な人生を歩もうと思っているわけでもない。
 しかし、人生におけるパートナーは必ずしも1人とは限らないとも思っている。
 人には人生の季節や段階において、いくつかのパートナーシップの状態がある。たとえば、恋から始まったパートナーシップ、子育てにおけるパートナーシップ、子育て後の人生後半のパートナーシップ。この3つのパートナーシップには、全く別な課題があり悲喜交々がある。だから、その段階ごとのパートナーは同じ人でも良いが、違う人であったとて自然なことだ。そこは、人それぞれでいい。
 そもそも、この時代において必ずしもパートナーが異性である必要もなく、恋愛感情はあってもなくてもいいのではないかとも。

 パートナー論はさておき。つまりは、そばにいる人は変わる可能性があるが、変わりゆく自分とは死ぬまで別れることはできない。
 人生は始まりも終わりも1人旅だと改めて。誰かと並んで歩くことはできるが、自分の足は自分にしか動かせない。他者の影響は受けられても、そこで行動・変化するか否かは自分に委ねられている。

 愛する人がいることは豊かで幸福なことだけど、誰かがいないと幸せになれない人生なんてないよね。

 私は自分の人生を果敢に旅するサバイバーになりたい。たとえば、映画『ドラゴンタトゥーの女』のリスベットみたいに軽やか動ける強靭な肉体と精神を持って、バービーやSATCのキャリーみたいに心のままに貪欲に多面的に人生を味わいたい。
 だから、1人旅を極めていく、旅を通して1人で生きることをも極めていく。

旅でリセットしてみない?

 1人旅には、他にもさまざまな効用がある。
 たとえば、自分の心地よいペースがわかる、必要最低限の持ち物がわかる。
 旅先では、心にはりついた痛みや不安や思い込みなど不要な毒物はもちろん、積み上げててきたものや大切にしてきたものすら、ぱらぱらと剥がれ落ちてくる。何者でもない“ただの自分“に還って、とりまく世界を俯瞰して見られるから、誰にも流されることのない個を取り戻すことができるのだ。

 さらに最もインパクトの強い1人旅の効用は、心身はもちろん、人生まるごとリセットできること。私は人生に煮詰まると、海外へ長期の旅を敢行して人生をリセットしてきた経験が幾度もある。
 ここらへんの話は、なかなかディープなのでまた改めて。

 さて、ひたすら楽しかったメルボルンの旅も、インド人のタクシーにぼったくられたり、トランジットでターミナルを間違えててんやわんやしたりもした。それでも何とか乗り切って、1人でどこへでも行けるあの感覚を取り戻し、小さな自信を抱きながら帰国。
 帰れる場所があることに感謝しながら、旅から持ち帰ったあれこれを慈しみながら、心の紐を結び直す。ここから、また新しい旅が始まる。

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