「母になる! 出産は人生見直しの大チャンス」
「出産は人生見直しの大チャンス!」
――時代に敏感な新旧の女性誌のキャッチコピーを振り返りながら、女の人生の選択についてポップに語る本連載。初回は女性にとって最もデリケートな「妊娠と出産の選択」について。今迷っている人へ、3000人以上の取材経験を踏まえた“出産についての超現実的な三択”を提案します。さて、あなたならどうしますか?
この道20年のベテラン女性誌ライター芳麗さんが贈る“ありふれた女”たちのための教科書、スタートです!
「いつかは産むのであろう」とぼんやりと思っているうちに、うっかり42歳になっていた。
42歳、産むか、産まないか。
42歳の妊娠確率は、約1割。自然妊娠の確率ではなくて、能動的に妊活に取り組んだ上でのこと。自然妊娠が可能な最後の年齢だと言われているのも42歳。「45歳までは」「人により50歳でも!」いう情報と前例もあるけれど、私自身は“42歳ラストチャンス説”を採用して静粛に受け止めています。
「そろそろ最後の列車が出ます」「乗りますか? 乗りませんか?」
体は正直なものでサインを出してくれる。私も37歳くらいから、子宮の最終べルのようなものを体内に聞いていた。ベルは次第に音量をましてゆき、42歳の今、それは爆音で鳴り響いている。頭と心は冷静なつもりでも、体はどうにも騒がしい。アンバランス!
ずっとぼんやりしていたわけじゃない。私は、38歳の時に子宮筋腫の手術を受けた。放っておけば、刻々と育って大きくなるし、毎月の生理は重く痛みも増すが、良性の腫瘍ゆえに絶対に手術しなければならない病気ではない。
それでも、私が手術を決断したのは「筋腫があると妊娠しづらくなるし、出産も難儀になる」と聞いたから。他にも理由はあるけれど、「いつか産みたい」と思った。その時、「この人の子供が産みたい」なんて相手もいなかったし、「絶対欲しい!」と切実に悩んでいたわけではないのに。漠然とした“いつか”のために、けっこう大変な思いをして初めての手術をしたのだった。
女性誌は、いつも私の親友だった。
賢者の励ましと悪魔のささやきをくれる。
のっけからデリケートで重い話をして恐縮です。
私は、女性誌を中心に雑誌や書籍などで、かれこれ18年ほどライターをやってきました。現在のおもな仕事は、人物とカルチャーにまつわるインタビューとコラム執筆。インタビュー人数は、おそらく3000人以上。
コラムでは、恋愛や結婚に惑えるアラサー女子の生態について、『SEX and the CITY』気分であれこれ無防備に執筆連載していたものを、後に書籍化していただいたりもしました。
どうしたら、私(女)は、もう少しラクに生きられる?
もっと可愛くてオシャレで素敵になれたら幸せになれるの?
いつまでも楽しみたい、夢みたいだけなのに、現実は厳しすぎる!
甘い言葉をささやいてくれたかと思いきや、無責任に崖から突き落とす。でも、タイミングよく賢者の励ましをくれることも多々あるのです。
私の原点は、女性誌。女性誌は私の親友でした。
ファッション、美容、インテリア……etc. 何よりも、ライフスタイルや生き方についての記事! 女性誌の繰り広げるスウィートドリーム、オシャレ自己啓発とも呼べる記事に、私は山形の山のふもとの中学生だった頃から憧れ、励まされ、影響を受けてきました。『赤毛のアン』とかサガンとか岡崎京子に心酔するかたわら、『anan』の「セックスで綺麗になる」特集にドキドキしたり、『CREA』の「結婚しないかもしれない症候群」に胸をザワつかせたりしていたのです。
24歳の頃、取材・執筆者としてたずさわるようになってからも、いつも当事者として、女性誌を超真剣に、超楽しんで作ってきました。
女性誌はいつも時代に敏感に呼応しています。正直、近年では、物議を醸すような企画はずいぶんと減ったなと思います。それでも女性誌の根底に流れているもの――女性の切なる夢や現実の迷いは普遍的なものだなと実感するのです。
この連載では、新旧の女性誌のコピーと企画を振り返りながら、ありふれた女のケモノ道について、そこにある選択と生きざまについて考えていきたいなと思います。
自己紹介が長くなりましたが、初回は、女の人生において最も難しくてデリケートな問題「妊娠と出産の選択」について。
もちろん、そもそも妊娠や出産を望まない人もいます。子供を持たずとも幸せそうな女性、全力で自分の本分をまっとうしている素晴らしい女性も、当たり前にたくさんいます。
だから、これはどちらが良いのかという話ではありません。ただ、私はいつか欲しいと思いつつも、結局は選択できないまま今にいたっている。それはどうしてなのか?
私自身がなぜ出産・未出産を選択できなかったかを、親愛なる女性誌の力を借りて、徹底的に考え、書いてみたいと思います。
女の人生をアップグレードさせるのは“出産”?
妊娠と出産を初めて意識したのは、2002年にテレビで観た女性タレント、向井亜紀の会見だった。子宮がんを患って子宮を全摘出した彼女は、アメリカに渡り代理出産を依頼することを宣言。「夫の遺伝子を残したい」と号泣しながら訴えかけていた。
当時、29歳ながら危機感のなかった私も、胸に苦いものがわきあがった。自分が産めない体になってはじめて産みたいという欲求が爆発するのだろうか。どんな手段を使ってでも産みたいと思うのだろうか?
同時期、女性誌『COSMOPOLITAN』や『MORE』などでたくさんの妊娠・出産特集を取材・執筆した。タイトルやコピーはこんな感じ。
「それって私たちのせい? 今、ここにある少子化」
「“妊娠” いつする? その時、産める?」
団塊ジュニア世代である私たちの世代は、妊娠・出産適齢期とされる20代のうちに、あまり産まなかった。そのせいか、2000年以降、少子化問題がますますクローズアップされるようになった。私自身も当事者として取材を重ねながら、少子化問題の深刻さ、高齢出産の危険性、キャリアと子育てを両立することの難しさと逃げ道……etc.
甘くない社会の現実と向き合い、女性たちの切実な思いを知った。
そして、件の“子宮の最終ベル”が聞こえ始めた頃、『CREA』の出産特集号に出会った。
「出産は人生見直しの大チャンス!」
CREAに心の中を言い当てられた気がした。30代後半、私の中には遅ればせながらリアルな出産願望が芽生えつつあった。肉体的な希求だけではない。無我夢中だった仕事もひとしきり落ち着いて、次の展開が欲しくなったのだ。仕事でさらなる成長とステップアップを目指すにしても、今のままの自分では何かが足りない。同じやり方では、いつかガス欠してしまうのは目に見えていた。人生の脚本にもっと厚みが欲しい!
とはいえ、30歳直前まで長らく一緒にいた恋人と別れて以降、私の恋愛はチェーン店のスポンジケーキみたいに過度に甘くふわふわしていた。いつもそれなりにデートする相手はいて、うっとりドキドキする時間には満ち足りていたけれど、その実、自分と仕事にしか興味がないから、心身のガードは固い。恋人ができても、自分の人生にはおろか、生活のスキマにすら他人を入れられなかった。数年に1度、自我の鉄壁をこっぱ微塵にされてもいいと思えるほど惚れ込む相手もいたが、その時に限って悲しいかな、相手にそこまで求められない。
現実味のない恋愛の堂々巡りに疲れていた。そこで、心の中に芽生えたのが、「今こそ、出産!」という希望。実際、仕事にかまけてきた同世代の女子は、この時期、40を手前にして人生のハンドルを急速に切って産んだ女子が多かった。
ちなみに、梨花や長谷川理恵世代です。
当のCREAだって、数年前までは社会派なテーマを大真面目に語っていたのに、いつのまにか、“セレブのライフスタイル”とか“一生もののブランド品”を教えてくれるオシャレ度を増量したオピニオンリーダーになっていた。そんなしなやかで賢いCREAが出産を提言しているのだ。しかも、頻繁に特集を組むほど。
「パワフルな女はみんな産んでいる!セレブママ大図鑑」(ELLE JAPON 2009.06)なんて特集もあった。世界中が出産ブームになったのかと思った。当事者とはそうやって近視眼的に追い立てられるものである。
39歳の時、取材で出会った50代の識者男性に「産めない年齢の女に結婚する価値はない」と言われたことがある。反射的に笑って流してしまった。34歳の時、結婚願望の強い恋人から「今、産まなきゃ別れる」と宣言されたこともある。毎回、傷つくけれど、あまりにも定型の反応ばかりに触れるうち、自然と諦めて慣れて行く。ただ、慣れても記憶のシミは残る。今もこうやって覚えているように。
それでも、私の「いつか」は「今」にならなかった。
「女性の最大の仕事は、妊娠・出産・子育てである」。いまだ、この価値観のメジャーさに揺るぎはない。女性の生き方の選択肢が増えたと言われ続けているが、“陽のあたる花道”は、ここ。社会にもメディアにも家族にも彼氏にも、いろんな角度と深度から折に触れ、そう教えられてきた。
出産だけが女を生きる意味ではないし、女の価値じゃないことも知っている。頭では分かっているけれど、我が事となると話は別だ。「産めなくなる前に何とかせねば!」と心は急くのに思うように動けない。一方、産もうと決断しても、どれだけ努力しようとも、必ず産めるとは限らない。現実は容易には変わらぬまま、季節は無情に巡っていく。
だんだんと「産みたい」が自分の意志から生じたのか、無意識の本能から湧き上がったのか、または周囲からの刷り込みや社会圧からなのか、わからなくなってくる。欲望と焦りはふくらみ、右往左往して空回り。叶わぬほどに偏執して、子供を手に入れた人を闇雲にうらやむという悪循環。魅力的な大人の女性でも、この問題に限っては我を見失い、人が変わる姿を公私にわたってあまた目撃した。
体と心と頭で、この現実を苦味がしなくなるまで噛みしめて
ここまで苦々しいことばかりを連ねたのは、自分にとって納得のいく出産・未出産を選択するためには、この現実を早くから噛みしめておいたほうが良いと思うからです。時間はもちろん、エネルギーにもリミットがあること、妊娠は身近ながらも奇跡的な事象であること、出産後の生活はハードであること……etc。
女と出産をとりまく現実を苦味がしなくなるまで噛んで欲しい。
それは、自分の頭と心の成熟度を上げるため。身体は放っておいても勝手に老いていくけれど、頭と心は自力で使いこまないと精度が上がらないし、熟さないのだ。
「女は産んだほうが幸せ」とか「少子化は深刻な問題」みたいな誰かの意見に胸を詰まらせて窒息する前に、出産にまつわる正しい情報を素早く仕入れて、現実を噛みしめること。そうやって、自らの欲望と向き合いながら、自分にとっての答えを探し続けるしかないのだと思う。
私がなぜ今日にいたるまで出産・未出産を選択できなかったか――。それはひとえに、体と頭と心、その成熟度が一致していなかったから。
「いつかはお母さんに!」と心は願っても、そろそろ産めなくなるかもと体がサインを出しても、「まずは仕事したい。金銭的に自立しないと」と頭で考えても、「最愛の彼とベストな状況で出産!」を夢見ているうちに現実は混乱していく。
あげく、現実逃避していたことは否めません。
まずは妥当な回答を選んでみる
そこからハミ出す部分が“自分”である。
出産の選択問題は、誰にとっても人生の一大事だからこそ、早くから自覚的、主体的であるべきだなと、42歳の今、しみじみと感じ入るのです。
もちろん、自分の欲望だけではどうにもならないし、複雑な問題なので簡単に答えが出るわけありません。私のように頭・心・体がアンバランスで一歩も動けない人もいるでしょう。
複雑なことほど、女性誌風にシンプルにポップに考えてみるに限ります。
そこで、15年前の私へ。今迷っている人へ。出産についての三つの選択肢を提案してみたい。これは、18年間、約3000人もの取材経験をふまえたとびきり現実的ものです。
【選択】
① 33歳までの出産を計画
② 42歳にして未出産を諦観
③ 48歳ながら出産に挑戦
【解説】
① 確実に出産したいなら計画的になるべし。計画するなら早いに限ります。「仕事も子供も!」というアグレッシヴな女性は、まだまだ妊娠しやすく、仕事のキャリアも軌道に乗った時期、30~33歳を妊娠の目標年齢におくと成功率が高いよう。
② 努力してきたにせよ、私のように無計画に生きてきたにせよ。アラウンド40はいったん、腹を決める時機。“40歳前後の妊娠”を逃したら、まだ頑張り続けるにせよ、「もう産まないかも」という現実的な諦観も併せ持ちたい。妊娠だけじゃない、人生そのものにも制限時間があるのだから。
③ 21世紀現在、50歳でも産んでいる人はいる。希望は持てるが、50歳の妊娠・出産は人生をかけた挑戦。あらゆる面で大きなリスクを伴う、いわんやコストをや。覚悟も必要だろう。長い間、折り合いがつかなくても、それでも「すべてを捨てても産みたい」と願う覚悟を持てる人だけがたどり着く境地だ。
言わずもがな。現実は三択では決められない、収まらないものです。けれど、とりあえずの回答を出すことで、五里霧中でも心の在りかが見えてくる。そして、そこに収まらない◯◯にこそ、自分という人間の業があるのではないかと思うのです。この業って、30や40で処理しきれないものなので後回しにするしかない。
こんな風に、自分にとっての妥当な回答を探す、自分の本心を探るというのは、女性誌の正しい読み方、使い方でもあります。
さて、あなたなら産みますか、産みませんか? それとも――?
クレアはいった、
「夕陽を見ても泣かなくなったの」と。
「どれだけ好きな彼がいても、もう産まない可能性のほうが高いなぁ」
私は夕暮れ時のオープンカフェで、親友のクレアにこぼした。5年前、37歳で初産をはたしたクレアは、2人目の女の子をあやしながら私の愚痴につきあってくれる。
私はこれまで出産・未出産を選択できなかった。それは、ガックリと膝をついて歩き出せないほどの後悔ではない。でも、「どうしてもっとうまくやれなかったのだろう?」という自責の念は消えない。
「でもね、夕陽を見ても泣かなくなるんだよ」
クレアは紅く染まった辺りの景色に目を向けていった。かつて、一緒に夕陽を見て泣いた日のことを思い出したのか。どうやら、私は今も泣きそうな顔をしているようだ。
「子供を持つと時間だけでなくて、心のすきまも埋まるんだろうね」
心身のバランスはとれるけれど、それがおもしろいかというとそうとも言い切れないのだと言う。
「今のわたしには、恋なんて“遠い日の花火”だよ……。もう恋しないかもしれない!」
「優しいダンナがいるじゃない? それに、また夕陽に泣く日もくると思う」
小さな声でそう返した時には、もう、クレアはベビーカーとともに遠くにいた。私の言葉は、今の彼女にはきっと届かない。
つくづく女とは、対岸の風景が美しく見える性分なのだ。
イラスト:ハセガワシオリ
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