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悪党の存在意義と未来

連日の痛ましい事件や事故の数々、人間の愚かさに嫌気がさしますよね。

時代が進むにつれどんどん社会がおかしくなっていると思っているのであればそれは認識の不一致と言わざるを得ない。

私たちの社会は数千年前より、今と変わらぬものでした。

おおよそ信じたくもない事実として、これまで何千年もの間、弱いものを小悪党が食い物にし、それが放置されまかり通り続けていただけ。

無ければ弱きものから奪えばいい。
拒否すれば武力に訴えてくる。
クラスで苛められている者に加担すれば、何故か自分も苛められる。
通信販売や訪問販売で新社会人や高齢者を狙った詐欺。
気持ちの優しい人ほど会社や学校でマウントを取られる。

そうした社会に蔓延する謎の同調圧力に多くの人がこう思っている。

「何故?どうして?」

そんなのわかってた、でもどうすることもできずにいた。

ズル賢い悪党のほうが数が多く、手段を選ばず即行動できるから強いに決まってる。

これまで守るべきものがある善良な人たちには対抗手段がなかったから。

それが現代の情報化社会において、日陰に光が当たり明るみになり始めた。

それはつまり私たちがそれらを乗り越えるべき時が来たから。

堂々と「それっておかしいよ」って言える時代が来たのです。

これまで当然のように行われてきた、道徳観念に反する行為が改善されてゆきます。

同時に皆が気付くのです、なるほど小悪党は人類全体にとっての必要悪だったんじゃないかって。

人類の進化のために一時的に生まれてきた存在だったのだと。

であれば今の段階で、彼らを嫌悪したり蔑んだり、無用に敵対する必要はないとわかります。ただし彼らに近づき刺激してはいけません、自衛のための準備と創意工夫をしましょう。

彼らを変えるのではなく、自らを律し彼らが存在しない未来を創造し移動するのです。

彼らは救えないしその必要はありません。
役割を終えると自然に舞台からいなくなるのです。

でも私たちが彼らに固執し続ける限り、彼らも存在し続けなければならないのです。

これがどれだけ悲劇的であるかは明白でしょう、彼らはそもそも人間としての豊かさとは無縁の存在。どう足掻いても幸せになれぬ人々。

彼らを管理し支配する時代はとっくに終わりました。

いい加減解放してあげるとき。

彼らを解放してあげられるかどうかは、私たちの創造する未来にかかっているのです。

だから一刻も早く、一人一人がワクワクする自分の心に従い情熱の赴くままに生きねばならないのです。

その結果、誰一人取り残されることのない時代が幕を開けるのですから。

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