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すべては同時に起きている、だからどうでもいい

例えば、相思相愛。

誰かを愛したい愛されたい。

それって愛したいと思ったから愛されたの?

それとも愛されたいから愛したの?

答えはつまり、どうでもいい。

何故なら、同時だからです、お互いが同時に思い起こすからです。

すべてはシンクロ(縁)によって成就するのです。

・・・ただし、お腹がすいたとか、熱いとか、眠いとかは論外、それはホメオスタシス(恒常性維持機能)。

そうした生き物として生存するための反射的な欲求ではなく。

自らの内から湧き上がる衝動によってすべては繋がり、響きあうのです。

片割れを探す旅、黄昏

そうしたいとき、そうしたいことを、そうしたい場所ですぐにしよう。

エモイことをして。
愛していると言おう。

そこに理由はない、ただ自分の片割れが必ずそこに存在しているから、何故ならそうでなければそもそも自分が存在していないから。

自分が存在し、そうしたいと思う、そのこと自体が自分ともう片割れの存在を確定させるから。

だからもう迷わずに、そうと思うならそうしたいときにそうしたいことを、そうしたい場所でしよう。

つまり片割れとは、人生の最後のほうに出会う、本当の自分、心。

どんなに人生などと大げさに呼んで後生大事にしたとしてもその実、我々はただ自分を再発見する旅をしているだけ。

ただ存在し、そして生きる、ただそれのみだ。

それ以外何もいらない、はじめから。

自分の心に逆らわず、グレースな人生の波(恩寵)に乗る。

ただそれだけ、そう思い出すだけ。
だからもう思い悩まなくていい。

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