生きるか死ぬかの問題か
「逃げ場がないから死ぬしかない」
私も若いころは、そのようなことばかり考えていた時期がありました。
学生時代、勉強もスポーツも恋愛も何も頑張らなかった私。小説や漫画を読み耽り、ゲームに明け暮れる毎日。
卒業後、新卒で何もわからずにサービス業に入ったはいいものの、何年も苦労し最後は死にたくなっていました。これは、あらかじめ調べようともしなかった自分の落ち度。
はじめの石ころで転んだら、もう後戻りもやり直しもきかないのか、無理げーじゃんなんて、周りのせいにするほど心は弱っておりました。
そのような私が今にして色々と思うのは、世の仕組みや人間の仕組みを知らず無知であったということ。決して今が賢者だと言いたいわけではなく、当時があまりにも精神的に幼かったのです。
三島由紀夫『不道徳教育講座』などを読み漁っていたにもかかわらず、全く頭に入っていなかった大バカ者。仏教では、物事の道理をわきまえぬ者のことを、愚痴(無明)といい、愚か者のことを指します。
お釈迦様は、今より2500年も前に、自らこれを知るのみあらず、周りに流布し奉ったというのですから驚きです。そのありがたい教えもあり、今日では知る人ぞ知る一般的な常識として、すべて詳らかになっているというのですから、我ながら恥ずかしいやら驚くやら可笑しいやら。
私がこうした気づきをえるに至った経緯といたしましては、20代半ばでの結婚にございました。まだまだ未熟者の私ですが、語るに落ちるついでに申し上げます。
男性は女性を、女性は男性と一度は共に暮らす必要性を強く感じます。この世が陰と陽の合一した関係性で成り立っている以上、古事記にもある通り、男性から女性にアプローチをせねばならぬ仕来りなのです。
このみずがめ座の風の時代、女性性の時代になんと古い考えと言われるかもしれませんが、根源的な部分、天地開闢以来変わらないこともあるのです。
私もパートナーと共に過ごすうち、ようやく世の様々な仕組みが明るみになってまいりました。自立して社会に参加することで、はじめて様々なことが分かる仕組みなのです。
当然の結果として、親元にいる限りいくつかの経験を積むことは叶わない。実家のクローゼットでジミヘンばりにギターを奏でようとも無駄なことなのです。この世は物質現実、この地球は行動の星、ですから頭でどれだけ良いアイデアを持っていても、それは妄想に過ぎないのです。
然るべき時、然るべき場所、然るべき行動が求められる。それでもなお、童貞諸兄はいつもこう言います。
「出会いがない」「先立つものが」
それらは全部、格好をつけているだけの言い訳。出会いがないのではなく、別れを恐れている。相手を幸せにできそうにないと決めつける意気地無し。失敗を恐れたり、相手を慮って嫌がられないだろうかとか、自分がブサイクだと思われたくないとか考えているだけ。
パートナーシップとは、苦楽を共にすることだとそもそもわかってない。
挙句の果てには「もう死にたい」です。
草食系男子ここに極まれり、この国にはもう武士道の精神や侍は居なくなってしまったようです。
この世には心を狙う吸血鬼が潜んでいる
自分から生きる気力が失われたのは何故なのか、その理由をわかっていない人たちばかり。
人間が生きるためには体力だけでなく、気力(精神力)が必要。これは肉体を維持するための滋養とは別の心の栄養状態のこと。
気力の回復には、自分が癒されることをする必要があり、定期的に癒されたうえで維持することも大切。しかし、それがこの現代社会では難しくなっている。ここではその話をしよう。
この世には、人の心を弄び気力を消耗させることに人生をかける物の怪がいることをご存じだろうか?
「あなたのため」と言って近づいてくる輩には注意が必要。彼らはあなたの心を養分に生きる怪物。親兄弟、友達や恋人や恩師、会社の上司。様々な場所に潜む、身近なエナジーヴァンパイアに気を付けて。
ことあるごとに、優しいあなたにまとわり着いてくる彼らを無視する勇気を持とう。あなたが無視しないから、彼らはいっそう付け上がる。
自分の心を守れるのは自分だけ。
生きるための基本的なスキルを身に着けよう。そうしない限り、あなたは何度でもまた同じことを繰り返すだろう。自分の心が完全に壊れてしまうくらいなら、いっそ逃げ出してしまえばいい。
あなたには元来、その力が秘められているはず。どうしていま、自分の心が元気を失っているか、思い返してみて。
きっと優しいふりをした怪物によって、あなたの心が蝕まれたからではありませんか?
唯一の彼らの弱点、それはあなたの心が無反応になること、相手の心の反応によって生きる彼らは成す術をなくすでしょう。これからは、自分の心に確たるニンニクや聖水や十字架を掲げましょう。
怪物とは対峙(退治)する必要はない、ただ無視するだけでいいのです。
老いぼれないために
老いぼれとは、この世の道理をわきまえぬ無明のまま老いた者のこと。かくいう私こそ、愚かにも老い落ちぶれんとしています。
無知が故、無為にあらがい、周りに敵対し、被害妄想の中を生き恥を晒し、もはや歩くことも拙く這いずるように前進するがごとく。それでもなお、愚かでも己の道を進まんとしています。
生きるのがつらい、面白くないと嘆き悲しむあなた。そのお気持ちはよくわかります。でもここでひとつ言いたいのは、自分の適性をわかってますかってこと。
よく勘違いされるのは、得意なことと好きなことは違うってこと。つまり、好きなことを仕事にしたいという気持ちはわかるのですが、好きではないけれど自分の得意なことって必ずありますよねって話。
またこうも言えます、好きじゃないことはしたくないから、なんとしても好きなことと仕事を結び付けたい。それならもっと軽く考えてみてはと思うのです、例えば自分ができる楽なことから始めてみるということです。
意外な発見として、自分が楽と思えることが、自分の得意なことであることがあります。まずは試しそしてその際、些末な周りの迷惑を顧みずともよいということ。
世間にとって一番の損失は、あなたが自分を発揮できぬまま老いさらばえて無様に死に絶えること。それに比べれば一時的な苦労など取るに足らぬこと。まずは己をよく知り、身の程をわきまえるほど、結果自分らしくなれるのです。
自分の熱中したものに答えが隠されている
どうして自分がそれを好きなのか。その先に、好きなことを続けた先に辻褄合わせが来ますと言いたい。
たとえば私の場合、どうして頑なにゲームに拘ったのか。
後から分かったことですが、この世界の仕組みにとても良く似ていたから。
勉強には一切無関心、でもコンピューターに熱中したのはどうしてだったのか。他にやりたいこともできることもなかったから、とりあえずそれらをしただけ。
大切なのは、どんなことであれ、行動。行動の後にしか、辻褄合わせは起きない仕組み。ゲームのフラグ回収と同じ。
きっとここをご覧の皆さんなら周知のはず。
何をどうすればいいかわからない、だから好きなことをする。
結局ここに帰結。でも答え合わせは最後なのです。だから今死にたいなんて思っている人は、勿体ないことしてるなって思う。
RPGの名作『MOTHER』のキャッチコピーは「エンディングまで泣くんじゃない」でした。あなたの人生は、正直クソゲーです。でもそれにはちゃんと理由があるのです。
そして、そのことに気付ける時期には個人差があって、二十歳くらいでわかってる人もいれば「50で天命を知る」のとおり、50前後で気づく人も、死ぬ寸前まで気づかない人もいるだけ。
何もわからないからこその人生、でもちゃんと意味があるのです。
おわりに
きっとこれまで周りと比べて、色々つらい思いをしたでしょう。ますます時代が加速していく中で、取り残され孤立感を強く持ったでしょう。そのことで周りに良くない感情をもち、自分のことも嫌いになったでしょう。
でも誰も悪くない、もちろんあなたも。
人は無意味に生まれてきません、だってそれならはじめから生まれなければいいから。でも自分たちは生まれてきた、意味があるから、では生きていいんです、どのような成り立ちであれ。
だからこそ、もう死にたいなんて考えなくていいのです。
もし自分が何かをしたいと思えるなら、自分のペースで、自分のできることから始めてください。
何もしたくないのなら、まずはゆっくり休んでください。心には癒しの時間が必要不可欠、ただそのことを知らなかっただけなのです。きっとこれまで、周りの速さについていこうとするあまり、自分の心を置き去りにしたのだと思います。
いったん心の存在や在り処を忘れると、なかなか取り戻せません。心が癒されぬ限り、生きる意欲は絶対に湧き上がってこないのです。
私もそうでしたから、でも今日からはもう大丈夫。ただのんびり自分のペースで生きればいい。
………ここまで書いてきていまさら言うのですが、何もわからずに生きて何が悪いのでしょう。暗中模索の何が悪いのですか、それだって自分だけの立派な人生ですよ。と、そう思えるようになれば、無敵の人になれる。
だから大丈夫、死ななくていいんです。いまさら自分を好きになろうだなんて言いません、無様に生きましょう。
私のこの文章こそ、無様も無様、大無様。軽々しくこうした文章を書きたいわけじゃない。人の生き死にについて、あなた何様って思われるに決まっています。
お前みたいな人間に何がわかる、誰だよ軽いんだよ、言葉がって言われるだけ。でも綺麗ごとじゃないんです、それがわかってしまったから書いているのです。もはや自分だけの問題じゃないから、自分がどうだとか、そんなの些末な問題。
正直誰かのためとか、自分のためとかどうでもいいのです、今自分が思いついたからそれをただ外に出すんです。誰かに読んでほしいとか、誰かの心に響くとかどうでもいいのです。
人生なんてものは、はじめからそんなに崇高なものじゃない。恥ずかしげもなく、いい歳こいて、ただ思い付きを書いているそれだけ。
知ってますか?
人生の終わり、つまりエンディングは誰一人同じものはないのですよ。人は知らず知らず、自分だけの尊い人生を生きているのです。
今日はたくさんネタバレしてしまいましたね。でも謝りません、きっとタイミングだったと信じていますから。
それではまた今度、お互いに生きて会いましょう。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。