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落合莞爾史学のススメ


 今までの歴史教育は、木で言えば枝葉の部分を、教育現場や新聞テレビ、歴史小説で喧伝しており、接木した異種、若しくは、動(やや)もすると秋が来れば落葉してしまうような歴史観を信じさせられてきたわけです。
このような枝葉末節の歴史観では、精神的に脆弱であり、短期間で滅びてしまうのも宜なるかなと思うわけです。
我々の精神的支柱を支えるものは日本国における真の歴史であり、それはすなわち、天皇家を中心に据えた歴史です。皇室の本当の姿は普段は目に見えない土の中に存在する根っこと同じで、週刊誌などで報道されているそれとは全く異なる姿をしています。

僕は2年ほど前に東京を離れて、田園地帯に居を移して家庭菜園や採集などしながらのんびりと暮らしていますが、この土地は自然が豊かな分、いくら草刈りをしても草が生えてくるのです。これは、土の中に根っこが残っているからで、焼畑をしても、また生えてくるのです。
裏を返せば、根っこがしっかりしていれば、刈り取られようが焼かれようが、復活を遂げることができるのです。
以上のことから、僕は改めて根っこを強くするための歴史教育の普及に、微力ながら情報発信したいと考えるようになりました。

重要なことなので、少し視点を変えて我々の日常生活を見てみようと思います。
世界経済がボーダレスになりつつあるとしても、また、テレビや映画、音楽シーンで外来文化が入ってきても。日本人にとって最も適合している価値観や文化、この土地で長年育まれてきた習慣があるわけで、それを崩されてしまうと、人はどのように振舞って良いのかすらわからなくなってしまうのではないでしょうか。しかもメディアは異質な外来文化をもてはやし、日本の伝統的慣習は古いと攻撃する傾向を帯びている。挙げ句の果てには「ここが変だよ日本人」などというテレビ番組まで制作される始末である。これは、元KGB工作員のベズメノフが語っていた、『米国におけるイデオロギー的破壊 (1984年)』や『プーチン大統領の演説』の際に述べられていた『国際共産主義者トロツキスト』の戦略そのものです。外来文化を真似て、一時は熱に踊らされて良い気分になったと感じても、熱が冷めれば、それはただの勘違いだった。ということはよくあることなのです。
これでは、日本人としてどのような価値観で生きていけば良いのかわからなくなります。家族内においてさえ価値観の乖離から、家族崩壊が起こり、孤立化したことにより安易に悪い誘いに乗ってしまうことがあり、そして結果として自分を苦しめてしまうという負の連続に陥ってしまいます。
現に自分の周囲の見回しても、上記のような負の連続に苦しんでいる人間を見ることができます。
さらに、苦しんでいるならばまだ救いがあるけど、日々忙殺されていたり、思慮深くない人は考えることすらしないでしょう。

多くの人は、過去の自分も含めて、思索をめぐらすほどの時間の余裕がないのが現実ですから、『集団無意識』を醸成する政府の決定や教育、マスメディアの報道の責任はとてつもなく大きいわけです。

故に、狡猾な敵性勢力は立法機関、行政機関、教育現場、マスメディアに潜入し、原因の特定に難儀するほどゆっくりと時間をかけて根を腐らせていこうと画策しますし、現に実行に移しています。

しかしながら、正月の皇居一般参賀や、令和の御代の大嘗祭に湧く日本国民を見る限り、潜在意識の中にはしっかりと皇室を敬う心が息づいていることを確認できるので、殊更に悲観することはないとも考えていますが…

ここで気をつけなければいけないのが、今後左寄りから右寄りに反転する際に、戦前の日本において誤った右翼が跋扈することになってしまったことを忘れてはならないということです。
それは皇室の権威を笠に着た「商売右翼」なるものの存在です。要するにこれは、結果的に愛国主義的活動を自身の金儲けの道具にしてしまった人たちのことをさしてます。
基本的に人間は易きに流れやすいもので、最初はそれなりに崇高な理念を持って活動に身を投じた者でも、資金が集まってきたり、一定の権力を得るようになると、それを利権化して手放さなくなってしまうものです。
ですから、現在の左傾化した状態からの「揺り戻し」が発生した時に、十分注意する必要があるわけです。
この「商売~」は、現在の左翼勢力も同様です。左傾化した日本も含めた西側諸国においては、耳障りの良い弱者救済の表看板を立てて国民の税金を食い物にし、利権を貪る様は戦前の右翼、とりわけ厳しく教育された伝統ある家柄の将校たちとは比べ物にならないほど稚拙かつ悪辣で、正に「猖獗を極めている」という言葉そのものの状況といえます。
戦前の軍将校を責める風潮が存在することは知っているが、一つ間違えば死が待っている軍人や右翼陣営の深淵な思想に基づく行動と、国民を馬鹿にした現代左翼では比較にはなりません。死ぬことなど想定できない安全な場所からデマを流し、幼稚な権利を主張し利権を貪る現代の似非インテリと呼ばれるゾンビが幅を利かせる風潮など許し難きことだと言えます。
命がけの軍人の潔さは、自身の子息を進んで前線で戦わせるほどの覚悟を持ちます。それは乃木希典の二人の息子が、日露戦争に従軍し戦死した例にとどまらず、かつて朝鮮戦争に従軍した多くの米国高級指揮官も自身の子弟を従軍させた、朝鮮戦争時の陸軍司令官ジェームズ・ヴァンフリート大将においても子息を朝鮮半島の群山で亡くしています。このような例は挙げたらきりがないでしょう。
似非インテリ左翼は法的に取り締まることが難しいために、ヘラヘラ生きながらえているだけであり、また、マスコミの援護射撃も後押しし世間が是としている、と勘違いするのは、当事者の知性の低さと、左翼小児病者特有のなせる技なのです。

僕は人生で初めて心から敬愛できる恩師を持ちました。
落合莞爾先生です。
落合先生は、日本がバブル景気に沸き、浮かれて騒いでいる時代から警鐘を鳴らし続けた、透徹した洞察眼を持った賢人です。
すでにこの「note」でも紹介させていただいた、『平成日本の幕末現象』はバブルの真っ只中に著された予言書的な名著です。
現在も精力的に執筆講演活動を行い、冒頭に記載した、木であれば根っこにあたる、皇室を中心に据えた歴史観を発信、歴史の禊祓を継続されております。

歴史を知らなければ、なぜ今の世界がこのように運営され、自分たちが養われているかがわからないため、軽率な思考判断をしがちです。
人間の基本行動は、今も昔も大差がないわけですから、歴史を学ぶことによって、誤った道に進むことを回避することができることは想像できると思います。
また、かつてプーチン大統領はこのように言いました。

「我々が悲惨な歴史から学んだ貴重な教訓です。しっかりと検討されていない社会実験のコストは、とてつもなく高いです。」

プーチン大統領は、ある意味歴史家でもあるでしょうから明確なグランドデザインと意志を持った上で行動しています。

過去に学び、二の轍を踏まないことは、大人であれば誰しもが教訓として身につけているでしょう。
国家運営においては歴史を学ぶことは必須であり、本来、教養とは歴史を学ぶことである。とは恩師落合莞爾先生の言葉です。

自分が何に「養い、教え、禁じられてきたか」僕自身も日々自問自答しながら、日々の決断を行なっていこうと思っています。


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