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倫理の個人課題で生徒のクリエイティビティーがすごかった件

今日で今年度も終わり。2022年度がスタートする前に、3学期の倫理分野の授業を振り返ります。

高校で履修する公民科に現代社会という科目があります。私はこの1年間、高校1年生の現代社会の授業を担当していました。現代社会には倫理分野が含まれており、3学期はまるまる倫理分野を取り扱いました。このnote記事では、3学期に生徒が取り組んだ個人課題について紹介します。ただ、まずはその前に・・・

リアル「ここは今から倫理です。」

教員になる前に、銀行員時代の先輩から「ここは今から倫理です。」というタイトルのマンガを教えてもらいました。学校の先生になるという話をしたら、その先輩から「先生になったら倫理も教えるんでしょ?マンガを読んだら倫理って面白そうだなと思った」と言われて、教えてもらったのが「ここは今から倫理です。」

その時は、実際にマンガを手に取ることはなく、倫理を題材にしたマンガもあるんだな、くらいにしか受け止めていなかったのですが、それから2年経って、このタイトルコールで授業を始めることになります。そのあと、マンガも最初の数巻だけですが、kindleで読んで授業に臨みました。

また、「ここは今から倫理です。」は、2021年冬〜春クールに山田裕貴さん主演でNHKでドラマ化されています。ちょうど4月から学校で教える直前だったので、夜、家族が寝た後に1人で高ぶる気持ちを抑えながら見ていました。

3学期の授業初日は、サムネイル画像のスライドでいよいよ倫理の授業スタートです。

マンガ主人公の倫理教師を真似て、「倫理は学ばなくても将来困ることはありません・・・」の口上から授業を始めた後に、生徒に対して「いやぁ、先生になってこれを教室で言うのが夢だったんだよね」と話すと、私が教員1年目であることは生徒はみな知っているので、よかったね的な反応を示す生徒や、そんな大げさなと反応を示す生徒も。ただ、「倫理を始めます」といっても、どんなことを学ぶのかイメージがつかない生徒もいるため、続けてこんなスライドを3枚出しました。

ソクラテス「無知の知」
パスカル「人間は考える葦である」
デカルト「われ思う, ゆえにわれあり」

これらの言葉を聞いたことがある人?と問いかけたところ、3つのうちバラつきはありましたが、何人か手を挙げてくれました。倫理では、こんなことを、もっと深く学んでいきます。と軽く解説をしましたが、そのあと言葉を継いだのは・・・
「でも、倫理の授業を、昔の人の名言を覚える大会にしたくないんだよね」
でした。

そうなんです、この分野は、ややもすると昔の偉い人がどう考えて何を言ってそれがどう記録されているのかを覚えることに陥ってしまいます。特に、現代社会の倫理分野では、高校倫理のダイジェストを少ない授業時数で網羅しようとすると、どうしても広く浅く教科書の太字をさらっていくことになりかねません。もちろん先哲の考えに触れ、人間や社会、生きることや死について、これまで連綿と考えられてきたことを学ぶことは大事なのですが、教科書の重要語句を暗記するくらいなら、どれかひとつや誰か1人でもいいから、原著をじっくり読んで、自分と対話しながら考えたほうがよっぽどいい。ということで、こんな課題に取り組むことにしました。

個人探究課題 ”青春のさけび(仮)”

3学期の個人探究課題は”青春のさけび(仮)”として、倫理分野の教科書の中から、自分の好きな概念や言葉を選んで、それを題名とする作品を作るというものです。

3学期の個人探究課題 青春のさけび(仮)

かっこ付きで(仮)となっているのは、どうも私の感覚として、大人が青春という言葉を持ち出したとたん、色褪せたり、陳腐な響きになったり、胡散臭くなるので、もっと別のタイトルを思いついたら教えてね、ということで仮題としました。結局、誰も別案を挙げなかったのでこのタイトルそのままで最後までいっちゃうのですが笑
また、表現方法や表現媒体は、教員が指定するのではなく、生徒が自分の好きなモノで表現できるようにしました。いわゆる、なんでもあり、です。ただ、後から思いつきで提出してもらうことは避けたかったので、事前に表現方法・表現媒体の候補を挙げてもらって、その中にあるものから選ぶという形式にしました。生徒が挙げた候補一覧はこちらです。

生徒に挙げてもらった表現方法の候補一覧

提出する直前の追加はダメだから、最初にできるだけたくさん挙げてね、と話したところ、本当にたくさんのアイディアが出ました。のろしでどう青春を表現するんだよ、とか、ラテアートってどうすんの?とか色々と突っ込みどころがあったり、AAって何?何の略?とその場で私が聞いて初めてアスキーアートというのを知ったり、まぁおふざけ的なものもありますが、クラス全体でやいのやいのざわつきながら進めるのもひとつの授業なので、これもアリとしています。

この課題のポイントのひとつは、教員に対して提出するのではないということ。通常の課題の提出は、生徒から教員へという閉じたものになりがちなんですよね。提出された課題を教員が評価してフィードバックして返す、というのがよくあるパターンではないでしょうか。ただ、この個人探究課題の性質上、教員に青春のさけびを送るという設定だといまいちやる気が出ず、さらには評価をする対象としてなじみません。そのため、最初から生徒間で相互に見られるようにするとしました。さらに、クラス内に閉じた公開ではなく、私が受け持つ4クラスすべてで共有することにしました。その理由は、同じ青春期を生きる同級生の感情に触れてほしいということ、そして作品を通じてこれまでとは違う一面を発見してほしいということ。倫理分野では青年期とアイデンティティを取り上げるのですが、まさに青年期特有の悩みや自分のアイディンティティを表現し、共有する場にしたいということで全共有方式にしました。この展開に生徒は多少ざわつくのですが、3学期にもなると、この先生ならやりかねん、ともう慣れっこですね。
具体的な共有方法をいろいろと考えた結果、Google ClassroomのStream欄に全員に投稿してもらうことにしました。タイムライン上に作品が次々登場するイメージです。100を超える作品がGoogle ClassroomのStreamで溢れかえって、相互にコメントも付けられる。カオスになることが想定されていましたが、まぁ学年末だからタイムラインを荒らしてもいいよね笑と言って、決行しました。

生徒の感性とクリエイティビティーが爆発する

残念ながらこのnote記事で生徒の作品を紹介することはできません。それはというと、この課題をやるにあたり、生徒は著作権について学んでおり、全員が見られる設定にするため、他者の作品の無断転載・無断引用禁止、と私としては珍しく厳し目に言ったためです。私がそれを破るわけにはいきません。

著作権が成立するタイミングをオンライン授業で挙手してもらいました。
課題で作成した作品にも著作権が発生するからね、というメッセージ

それにしても、生徒の創造性と豊かな感性、そして表現力は眼を見張るものがありました。いやぁ素晴らしい。青春ってやっぱりいいなぁ、と改めて思いました。ちなみに、提出の期間を1週間ほど設けており、提出のタイミングにはタイムラグがあったのですが、他の生徒の投稿に乗っかるシリーズ物みたいな流れもできて、それはそれで面白かったです。一番多く選ばれた言葉は、「万物の根源は水である」でした。この言葉とともに何らかの水をとらえた写真をアップロードする・・・というのがひとつの流行りでした。まぁこれもアリですね。

先生が若者だったころ

このnote記事では個人課題についてのみ紹介していますが、3学期中にはちゃんと倫理の授業もやっています。その中で、教員の私自身が生徒と同じ頃に何をぼんやりと思っていたのか、努めて話すようにしました。誰もそんなことを求めていませんでしたが笑、青春時代に書いた詩を何篇か紹介しています。なぜそんなことをしたのか、ひとつの目的は個人課題の全体共有への道筋をつけるためです。自分の気持ちを表現したものを他の人に見られることに抵抗がある生徒もいるのではと思ったので、まずは自分から、という意識ですね。生徒が「あの先生も恥ずいしイタいから、まぁ自分もいっか」と思ってもらえればよいなという、あえての共有です。また、もうひとつの目的は、私がこの倫理を教える意味、さらに広げると、私が今日この場で生徒と一緒の時間を共有していることの意味をどこに見い出すか、というものです。この、自分だからこそ、自分でなければならない、という感覚については、またどこかで書きたいと思います。

この現代社会という科目は来年度からはなくなり、代わりに「公共」が高校課程でスタートします。そのため、現代社会は私にとって最初で最後の科目となりました。思い入れも反省もあるこの一年は忘れられないものになりそうです。

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