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感覚を伝えるとは読み手の体験を参照すること

4年前に出会って以来、ずっと好きな文章がございます。
この文章をもとに、感覚を伝える文章 というを考えてみました。クリスマス・イブですし。

ぼく かえる みつけた
しみそう
くさのところへ いきました
(宮城まり子「私は教育経験三十年」より )

ところどころ日本語として誤った箇所があります。しかし、なんというか、好きなのです。この文章は、[言語表現法講義]という本の中で紹介されたもので、書いたのは障害を持った子供です。

次の文章は先生の添削によって、正しい文章に添削されたものです。

ぼくは きょう かえるをみつけました
死にそうでした くさのところへ いきました

文章は正しいし、読みやすい。しかし、繊細さや空気感が失せてしまったように感じます。感覚を伝えることの難しさ
本ではその後、不完全が故の魅力について語られています。

感覚を文章で伝えることの難しさ

感覚を文章で伝えることは、意外と難しいです。
例えば、夕日が綺麗だったという感覚を伝えたいとき、下のような文章を書いたとします。

「夕日が真っ赤で綺麗だった」

書き手が、綺麗だと感じた事実は伝わのですが、そう感じた感覚を感じ取ることは出来ません。
次の文章は、綺麗だと書かずに、状況の詳しい描写を重ねたものです。

「山沿いの坂道から夕日を見た。山間は赤く照らされ、燃えているようだ。夕日が沈むまで、しばらく眺めていた」

今度は、夕日が綺麗だという感覚を感じ取ることができるのではないでしょうか。このように、感覚を文章で伝える際は、ストレートに表現しても伝わらない。逆に、状況の描写を連ねることで、婉曲的に表現することが、適切なことがある。これが、感覚を描写することの難しさだと感じます。 

状況を描写することで、読み手のこれまでの体験を参照する

感情の動きは、連続した変化や出来事が引き起こすものです。
状況の詳しい描写は、言葉によって、擬似的に連続した変化や出来事を引き起こすのでしょう。そして、この擬似的な体験を呼び起こすために、読み手のこれまでの体験が参照されているのだと思います。読み手の体験を参照することで、書き手の感覚を擬似的に伝えることができるのです。

不完全さも、読み手の体験を参照するのではないか

冒頭で紹介した文章も同じく、読み手の体験を参照出来ているのだと思います。しかし、これまで述べた「状況の描写」ではなく、「不完全さ」によるものです。

「しみそう」という言葉を見て、「死にそう」の誤りだと見抜くことは難しいでしょう。
頭の中で「死にそう」にたどり着くまでに、様々な体験を掘り起こすのだと思います。例えば、「しみ」はなんともジメッとしてそうで、カエルだったり、雨の降る前後を想起しそうです。この偶発的な体験の参照の連続が、「なんというか、好き」といった感覚を呼び起こすのでしょう。

感覚を伝える文章

つらつらと書きましたが、本日わたしが行き着いた結論はこちらです。
・感覚を読み手に伝えるためには読み手の体験を参照する必要がある
・読み手の体験を参照する方法は、一つではない。

最後に

ぼんやりと考えていたことだったのですが、クリスマス・イブを機に言葉にしてみました。
読み手の体験を参照する」という考え方は、デザインする際にも重要だと思います。ユーザーの体験にないものを伝えることは大変難しいです。ユーザーの体験のいくつかを組み合わせて参照することで、効果的な情報の提示が可能でしょう。

と、こんな感じで〆させていただきます。メリクリです。

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この記事は ペパボデザイナー Advent Calendar 2018の24日目です。
さぁ、聖なる夜たる12/25は 「shige_yuka(ゆかぴ)」です。


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