波乱の人生〜修行時代②〜

色々と変化が起きている私が対峙しなければならない現実がもう一つあった。
占い師が始めた『ポリアモリーごっこ』だ。
依然まとまりがつかない状況だったが、私が妊娠した事で全て終わると思っていた。
が、しかしっ!占い師は不器用な上に女の子が好きな上に夢の『自給自足が叶う郷』が完成間近と言う事もあり、『ポリアモリーごっこ』をどうにかするつもりも無いと言うか、どうにかしなければいけない事と言う認識が無い様だった。

新居のリノベーションには弟子たちも参加していた。勿論、その女の子も連れて来ていた。その頃の女の子は精神的に参っている様だった。突然発狂して新居の物を壊したり、私に呪いをかける様な言葉のメールを送って来たり。可愛そうだった。

もう限界に来ているのにそれに気付きもしない占い師にホトホト呆れて、事態の収束を図るべく私が行動をおこした。リノベーション中の新居から帰ろうとしていた占い師を呼び止め話しをする時間を作った。

私が新居に先に越して来たが、身重(⇦お前の子)の私をこの家に残して(新居は森の中で周囲に家は無く、暖房は薪ストーブと小さなヒーターだけ)「じゃあね〜」と女の子の家に帰るのがどう言う事なのかも含め、第三者的立ち位置から静かに諭す様に話し始めた。次第にヒートアップして今まで溜まっていた感情が爆発して、泣きながら占い師の非常な行動にダメ出しをした。

しかし、私はいつもこう言う時どこか冷静なのだ。一通り伝えたい事を伝え終え、座らせた椅子に私の念で縛っていた紐から彼を解放し、おもむろに、私はポケットからICレコーダーを取り出し、占い師に手渡した。

「今の話し、全部録音してあるから、分かるまで何回でもいいから聞いて」

彼にぶつけたあのエネルギーはもう二度と出せない。後日、この件について再び占い師と話し合う様な情熱は無いし、もう話したくもなかったので”録音”と言う合理的な荒技に出たw
案の定、占い師はあの時だけでは私の話している意味を理解できていなかった。想定内。2回ほど聞いて、やっと理解したらしく「ゆみの言いたい事が分かったよ」とメールが来た。
やはり録音しておいて良かった!w

占い師に対してこれ程の感情をぶつけたり想いを持ったのは、出会ってから今までで、この1回だけだった。
それだけ私は占い師と感性が似ていて、理解し合うのに大きなエネルギーを必要としない初めての異性だった。きっと出会った時に感じた占い師を求める想いは、思考を介さず私の魂の部分が反応したのかもしれない。


冬休みが終わろうとしている頃、やっと娘から電話が来た。

「パパのところで暮らしたい」

とうとうこの日が来てしまった。
夏休みに会いに行った時からこうなる事を何となく予知していた。でも、こんなに突然、こんなに早く娘が自分の元から離れていく日が来るなんて。
娘は数日前に11歳の誕生日を迎えていた。もう、自分で決めていい歳だと思った。彼女の決断を遮る理由は私には何一つ無い。あるとしたら、私の子だから手元に置いておきたい。離れたくない。まだまだ一緒にいて成長する姿を見たい。まだ娘の母でいたい。と言う私の想いだけだ。

私の想いだけで、娘の人生の決断を変えるなんて出来なかった。
いつか来るであろう娘の旅立ちの日に、自信を持って送り出せる様、毎日真剣に向き合ってきた。息子を私の母に預けて、娘との時間を一番に取りガチンコで真っ向から向き合って、私が伝えられることは伝えられたという自信があった。

『10年間、私と共に過ごした時間が必ず彼女の土台となり、彼女を助けてくれるはずだ』
寂しくて、心配で、ザワザワが止まらなくなる度にそう自分に言い聞かせた。

娘を失った喪失感は、お腹に宿っている新しい命と私の元に残ってくれている息子が癒してくれ、なんとか平常を保てていた。それでも、朝食の準備中、洗濯物を干している時、生活の至る場面で突然襲ってくる寂しさで涙が溢れた。


『ポリアモリーごっこ』が終わり、穏やかな新しい3人家族に慣れる為にたくさん家族時間を過ごした。休みの日は釣りに行ったり、新居の周り(何しろ広い)の手入れをみんなでやった。
新居で初めての夏を迎えたある夜、3:42 娘②が生まれた。2268g 陣痛開始から誕生まで3時間半。分娩台に乗ってから誕生まで僅か40分。危なく車中出産になる所だったw

息子が娘②をどう感じるかを心配していたが、とても可愛がった。息子曰く「ずっと弟だったから、お兄ちゃんになってみたかった」そうだ。
良かった。しかし、娘②が息子に触られるのを嫌がるのでw息子は傷ついていた、、、。

娘②が生まれて一番やってみたかった事。それは母乳育児。娘と息子の時に叶わなかった事をこうしてリベンジ出来るのは、とても有難い事だ。母乳育児以外にも布おむつも挑戦したし、娘息子時代には存在しなかった(あったかもしれないが情報が無かった)地域の未就学児の遊び場として、午前中空いている児童館解放事業の子育てサロンにも参加した。
子育てにはある程度慣れていたが、新しい土地で新しい人間関係を築くのはいつになっても慣れないものだ。

こうして、私は生まれて初めて『幸せな子育て』を経験する事ができた。
私の今までの人生には一瞬しか訪れない”幸せ”だが、やはり”束の間”だった。

小学校4年生の息子が、クラスでいじめられている様だった。
クラス全員からではなく、クラスの一人の男の子から執拗にいじられていた。
息子の通っていた小学校は1学年1クラスなので、6年間付き合わなければならない。
息子を殴った男の子は同級生より頭一つ大きく、がっしりした体格だった。1年生の頃から落ち着きがなく授業中に廊下に出て行ってしまう様な子だったが、それは次第に落ち着いていった。私から見ると”幼い”とか”感情表現が不器用”と言う感じを受ける子で、憎めない子供だった。

頬にアザを作って帰ってきた時には私もショックを受けたが、子供の喧嘩と言う括りで片付けてしまった。
その後からだ。息子は学校に行きたく無いと言い始めた。
息子の気持ちを最優先してあげたい気持ちと、小学校に行かなくても大した事はないと言う私と占い師の考えは一致していたので、二つ返事で休ませた。

翌年、体格のいい男の子はクラス全員から総無視をされ、不登校になってしまった。
いじめられていたのは息子だけでは無かった様だ。いじめというより、体格のいい男の子は幼さ故コミュニケーションが下手だったのだろう。クラスの全員が体格のいい男の子に対して嫌だと思っていたが、今まで我慢していたという状況に驚いた。
担任が産休で何度か入れ替えになったり、体格のいい男の子の事で何度かクラス懇談会が開かれた事もあったが、少人数なので皆自分の子供の様に可愛く思っていたのだ。
それ以来、息子は楽しく登校できる様になった。

息子が6年生になった頃、私のお腹に4人目の赤ちゃんがやってきた。
出産予定日は3月10日。卒業式は3月16日。どうなることやら、、、。


波乱の人生〜試練〜へつづく

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