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『天気の子』のストーリーはなぜ特殊な構造なのか

大ネタバレですので、観てなかったらとりあえず映画館いって観てきてください。

新海誠監督の新作『天気の子』、とても心動かされる映画でしたね。

まずもう、圧倒的な風景画力で殴ってくる。問答無用の絵ヂカラ。そして音楽でドカーンとハメてくる演出の強さ。感動のカツアゲ。これだけで勝ち確定です。もう観ないとダメです。

ではあるんですが、前作『君の名は。』と同様、どうもストーリーのバランスが王道的でない、流れの良い構造をしていないのが、どうにも気になったんですよ。独特だなーって。
だからって面白くないわけじゃない、むしろとても面白いし、観る価値もあると思います。なんとも不思議な感覚です。

で、ネットでバズっている「天気の子、2000年代前半のノベルゲーム説」を読みまして、あーなるほど、と何となく腑に落ちましたので、そのへんの流れをまとめてみたいと思います。

天気の子の原作はエロゲという話|みふ|note
https://note.mu/mif21c/n/n4784b08579ee

なお、主にストーリー構造の話なので、メッセージ性の好き嫌いとかは置いておきます。カントクが伝えたいメッセージ性は、それはそれとして、作り手のものですしね。

■王道的なストーリー構造:三幕八場

2時間くらいのストーリー構造の王道として、「三幕八場」という構成があります。
全米最古にして名門のフィルムスクール、南カリフォルニア大学の映画芸術学部で教えられていると言われる構成で、「序破急」の三幕構成をさらに細分化した構造です。
古今の名作と言われるアメリカ映画の多くは、この構造に当てはまると言われています。

具体的には下記の通りです。

【一幕】
 ・1場:状況説明
 ・2場:主題、目的の設定
【二幕】
 ・3場:最も低い障害
 ・4場:二番目に低い障害
 ・5場:状況の再整理
 ・6場:最も大きな障害
【三幕】
 ・7場:クライマックス
 ・8場:結末

こんな感じ。
名作への当てはめはググってみてください。

で、実際に『天気の子』のストーリーで、骨子の部分だけを、王道に則った形でこの三幕八場に当てはめてみると、こんな感じになります。

【一幕】
 ・1場:状況説明
   登場人物の紹介、帆高の東京生活の始まり
 ・2場:主題、目的の設定
   帆高と陽菜の出会い
   晴れ女デリバリーを始める
【二幕】
 ・3場:最も低い障害
   最初の晴れ女デリバリー成功。軌道に乗る
 ・4場:二番目に低い障害
   神宮花火大会での晴れ女デリバリー成功
 ・5場:状況の再整理
   晴れ女の影響で、陽菜の身体に異変が
 ・6場:最も大きな障害
   陽菜の消失。晴れる。
   帆高が陽菜の取り戻し方を模索する ※
【三幕】
 ・7場:クライマックス
   イニシエーションを経て ※
   帆高が陽菜を取り戻す
 ・8場:結末
   帆高、世界を捨てて陽菜を取る

これが、王道的な構成に則ったときの『天気の子』のストーリー展開になります。
大別すると「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語。で、構造的には「主人公の成長物語」と「ゆきて帰りし物語」のミックスと言えます。

おや。変です。なんか違う。これ『天気の子』のストーリー展開から若干ズレてますね。
具体的に言うと、上記の※の部分、これ『天気の子』にありません。王道的にストーリーを構成するなら必要であるはずの要素なんですが、これがないんです。


■三幕八場からハミ出す『天気の子』

では、実際の『天気の子』は、どんな構造になっているでしょうか。
三幕八場に合わせて、ハミ出しかたも含めて見てみましょう。

【一幕】
 ・1場:状況説明
   登場人物の紹介、帆高の東京生活の始まり
   宿無しで新宿放浪
   須賀のK&Aプランニングへ転がり込む
   疑似家族として3人の"奇妙な共同生活"
   (このパート、1場としては非常に長い)
 ・2場:主題、目的の設定
   銃を使って、帆高が陽菜を救出
   晴れ女デリバリーを始める
【二幕】
 ・3場:最も低い障害
   最初の晴れ女デリバリー成功。軌道に乗る
 ・4場:二番目に低い障害
   神宮花火大会での晴れ女デリバリー成功
 ・5場:状況の再整理
   晴れ女の影響で、陽菜の身体に異変が
   警察に追われ、高級ホテルに身を隠す
 ・6場:最も大きな障害
   陽菜の消失。晴れる
   帆高が警察に捕まる
【三幕】
 ・7場:クライマックス
   警察から逃走、廃ビルで警察と対峙
   帆高が陽菜を取り戻す
 ・8場:結末
   帆高、世界を捨てて陽菜を取る

こんな感じになるかと思います。

バランスブレイカーとなっているのは、1場の要素が多すぎるのと、銃および警察に関わる部分。
特に銃については、本来のストーリーラインやテーマとはほとんど関係なく、アクション性を盛り込むため、あるいは帆高の障害となるための装置の意味しかありません。
そして、帆高の成長を原動力としてストーリーを進行させるのに必要となるはずの、模索~イニシエーションの部分(先の※の部分)はそもそも盛り込まれていない。乗り越えるべき壁がほとんど警察との追いかけっこになっているので、帆高は成長する余地がないんです。
3場と4場の障害を突破するのは陽菜の能力なので、帆高はそもそもあまり関係ありません。

というわけで、2時間の映画を三幕八場で見慣れている側からすると、何だか不思議な構造だなあ、と思ったわけです。
普通なら、銃のくだりとかは、ないほうがテーマに則れますから。
しかも、銃とは日常にないものであり、物語としては「破壊者」「衝動」「暴力」「男根」を意味するアイテムとして配置されることが多いもの。そういう意味が含まれないのに配置されるのは、これもまた奇妙な感じがします。

でもね、『天気の子』を観た印象としては、これはこれで成立はしているんです。そこが不思議。なんでだろうと。
そこで、「天気の子、2000年代前半のノベルゲーム説」です。これを見て、なんとなく腑に落ちた。
つまり『天気の子』は、そもそも2時間の映画的物語として構成されたものではなかったんです。


■ノベルゲームとしての『天気の子』の構造

では『天気の子』はどういう物語構造なのか。
これはもう、先の記事ズバリ。「ノベルゲームの分岐構造から、主人公が選択したルート」として読むと、非常に納得いくんです。
何なら新海誠監督は、そもそも『天気の子』をノベルゲームのストーリーとして書いた上で、2時間の映画に落とし込んだのではないかとすら思っています。これ、わりと本気です。

これに則って、構造を妄想してみましょう。
三幕八場は外します。

【共通ルート】
   登場人物の紹介、帆高の東京生活の始まり
   宿無しで新宿放浪
   須賀のK&Aプランニングへ転がり込む
   3人の"奇妙な共同生活"
【夏美ルートを閉じ、陽菜ルートへ】
   銃を使って、帆高が陽菜を
   晴れ女デリバリーを始める
   最初の晴れ女デリバリー成功。軌道に乗る
   神宮花火大会での晴れ女デリバリー成功
   晴れ女の影響で、陽菜の身体に異変が
【陽菜ハッピーエンドを閉じ、陽菜消失へ、TRUEエンドへの第一分岐】
   警察に追われ、高級ホテルに身を隠す
   陽菜の消失。晴れる
   帆高が警察に捕まる
【陽菜を取り戻す、TRUEエンドへの第二分岐】
   警察から逃走、廃ビルで警察と対峙
   帆高が陽菜を取り戻す
【TRUEエンド】
   帆高、世界を捨てて陽菜を取る

こんな感じで読むと、妙にしっくる来る。おれはしっくり来たんです。
葛藤や成長を原動力に進行するのではなく、純粋に選択のみでストーリー進行するのだとすれば、これはこれで成立していると思ったわけですよ。
ついでに、エロゲーのストーリーとして捉えれば、銃が男根のメタファーとして入ってくるのもテーマと合致したりします。

■現代的な物語としての『天気の子』

これは、旧来のストーリーのあり方ではなく、「セカイ系」以降のストーリーのあり方とも言えるかと思います。
「セカイ系」や、現在ラノベやアニメで主流化している「なろう系」の物語においては、主人公の成長などの旧来の物語装置・原動力は、あまり重視されない傾向が強いというのが、自分の見立てです。

主人公は最初から力があるギフテッドか、ギフテッドが一方的に好意を持って力を貸してくれる普通人だったりするので、主人公自身の葛藤や成長は、ストーリーの原動力としては必要ないんです。
この場合、葛藤や苦しみを抱えるのは、主人公ではなく、ごく近いキャラクター(多くの場合、恋人)のほうが進行の都合がいいので、主人公は純粋に選択することがストーリー上の仕事になるわけです。

いいとか悪いとかの話ではなく、これって、構造の組み立て方の違いなんですよね。
一般的には2時間で映画を仕立てる場合、三幕八場のように特化・洗練された構造のほうがスッキリとまとめられるわけですが、新海誠監督は、本来は長々としたプレイタイムで成立するノベルゲーム型の分岐ストーリーを2時間の映画に仕立てた。これはこれで、いまの映画界ではちょっと特殊な存在ではないかと思うわけですね。

これをもって、新海誠監督は、ついに宮崎駿監督の呪縛から解き放たれた監督になったのではないか、と思った次第です。
かつて『星を追うこども』で宮崎監督の呪いそのものを一身に受けてしまった新海監督だけに、この突き抜け方はとても爽快だったりします。

そして新海誠監督は、ご存知の通り2000年代にはノベルゲーム(ザックリいうとエロゲー)においてアニメの腕を磨いてきた監督であり、映像界においてもセカイ系の旗手と言ってもいい存在でありましたから、長編においても「こっちのほうがシックリくるわ」と方針を取ったとしても不思議ではありません。

ひょっとしたら『天気の子』は、今後のアニメ映画の流れを大きく変えてしまうターニングポイントになるかもしれませんよ。
という無茶な締め方で終わります。


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