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10.聖書の読み方①-1〜聖書は比喩で書かれている〜

こんにちは^^
私のノートをご覧になってくださる方、フォローしてくださった方、本当にありがとうございます。

前回・前々回で聖書とはどういう本なのかについて話してきましたが、今日は私が聖書について初めて勉強した時に聞いた話を書こうと思います。


<聖書の第一印象>

実際に聖書を読んでみて感じた第一印象は、「難しい」の一言でした。

文字は理解できるけど結局意味はよくわからないし、果たして今の自分に活かせる内容が書かれているのか、真理や正しさといった自分が求めているものを見つけられるのか、疑問を持つようにもなりました。

そのような中で、期待と不安の中で始まった聖書の勉強です。

<聖書は比喩で書かれている>

最初に教えてもらったことは、「聖書は比喩で書かれている」という話でした。

聖書にはペテロと呼ばれる人物が出てきます。欧米の方にピーターとかペドロという名前の方が多くいらっしゃいますが、その元となる人物です。

イエスキリストとペテロが税金の取り立てにあっている時でした。
イエスキリストがペテロに「海に行って魚を釣ってきてきなさい。その魚は銀貨をくわえているからその銀貨を税金として支払いなさい」という指示を出した、という話があります。
聖書ではその後すぐに別のシーンの話になってしまいます。

ここで、「実際にペテロが釣った魚が銀貨をくわえていて、無事に税金を払いました。神様が起こした奇跡です!」で話が終わったら、現代を生きる自分には何も関係がない話で終わります。

では、どのようにしたら、聖書の話がただのファンタジーで終わらず、「今」を生きる自分にとって有益な学びを得られるのかと言ったら、それが聖書の比喩を解くことでした。

マタイによる福音書13章34節
「イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。」

聖書に書かれている話を解明するために「神学」という学問がありますが、このペテロと魚の話についてもいくつかの説があります。
「私はこう考える」といった論争が絶えません。

ここでもう一つ、聖書を解読していく上で注意しなければならないところがあります。

ペテロの第二の手紙1章20節
「聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。」

ペテロの第二の手紙3章16節
「彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。」

このように、
・聖書を自分勝手に解釈してはいけない。
・無理な解釈をすると自ら間違った道に行ってしまう。

と書いてあるのです。

だから、聖書を研究するのは良いのですが、自分なりの常識や考え方に基づいて「私はこう考える」と内容を理解するのは良くないということです。

では、勝手に解釈してはいけないけど、非常に難解な聖書をどのように理解すべきでしょうか?

イザヤ書34章16節
「あなたがたは主の書をつまびらかにたずねて、これを読め。
これらのものは一つも欠けることなく、また一つもその連れ合いを欠くものはない。・・・」

聖書を詳しく読みなさい。聖書の中には過不足がなく、必ずペアがあると書いてあります。

「連れ合い・ペア」とは、「男と女」・「プラスとマイナス」・「N極とS極」といったものです。
では「疑問・問題」の連れ合いはなんでしょうか?
それは、「答え」です。

だから、

比喩で書かれていてよくわからない聖書の「疑問・問題」は、聖書の中に「答え」がある。

ということなのです。(ここ重要!)

聖書の言葉を無理やり解釈したり、文字通り信じていたら、理解できず、矛盾ばかりで得るものがありません。むしろ、聖書や神様を誤解し、遠ざけるようにもなってしまいます。

だから、聖書を学ぶときは、聖書の中から答えを探し、比喩を解くことで、正しく理解することが大切なのです。

では、次回の記事で、先ほど話した「ペテロと魚」の話がどういう話なのか、そしてこの話を通して現代を生きる私たちが何を学べるのかについて話そうと思います。

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