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住家には水面の流れがある、澱みがある

住家わがやには水面の流れがある、澱みがある、溶けこむ
情愛がある、誰もいないこの時も、互いの心は気遣
い揺れ動いている、大きな内履スリッパに寄りかかる小履、
誰彼たそがれに昏む廊下の先の寝椅子に円くなる三毛、時お
流しシンクを打つ水滴、天板に置かれる丸皿の食麵麭パン
かじりかけ、模造牛酪マーガリンのしみる、残しちゃだめ、もう
ムリ、イヤぁ、食卓の端で燥ぐ親子を見つめる紫檀
の茶湯器の奥で微笑むいくつもの家族の寫真の、硝
子をゆがめる黑のうねりは、砥粉色してはためく麗絲レース
かげか、壁掛の大画面テレビが絶えず呟く音列の回析、点
滅する七画数字が零を打つたび噪音が靜寂にかえる

しんじゃったの、んん、まだあったかいでしょ、だ
っこしたい、チュ、んん、おねんね、おえかきしま
しょ、くれよんとってね、どのこがすき、ひまわり
さん、おっきなおひさまかいて、ぐぅるぐる、それ
からみずべのきをかくの、すいぃって、おそらはま
っか、あおでしょ、まっかなの、んん、はとさんが
クックって、クック、クッククク、ふふ、こうやっ
てとぶの、わたしも、ククック、ククク、あぁおち
ちゃぅ、だっこしてママぁ、クック、きのうしんだ
こどこのこ、たぶんあのこ、んん、いっしょにとび
ましょ、おひさまのとこまで、おほしさまんとこま
で、ばらがいっぱいで、まっかなおそらで、ぁ、こ
のこまたわたしにたっちしてる、はやくでてきてね

合葬用の棺よりもわずかに大きい楕円寝台、寝具か
らはみだし絡みつく白い指先のよじれる足裏と、のけ
ぞる生と死の境界にある口の端の小さな笑み、仰む
きつつ身體だけがきえていく、白煙のたちのぼる蝋
涙が焦げた翅をつつむ、重たいわ、そうして、手の
甲まであつい、やだあたってる、夜具の谷筋が峰に
かわり、三角州デルタの豊穣、水際をおだやかな波があら
う、児どもたちが泣いている、風だろう、肩が冷え
るよ、エトルリアの陶棺永遠ではない愛などあるのだろうか、終わりを迎えるまえに始
まりの意味に気づくことはあるのだろうか、なに、
愛してる、耳朶の誓約、顎をあげその頸に腕を後ろ
手にまわす、白い骨にとけこむ指輪と指輪、深まる
夜の息、向きあう指が求めあい世界は白く溢流する

はやくあけて、慌てちゃだめ、ダメダメいっちゃダ
メ、母の脇から児が跳びこむ、ただいまぁ、お靴を
揃えてね、はあい、乱れる内履、あれパパまだかえ
ってない、パパのとうばんだよねおしょくじは、お
手手洗ってお着替えしてね、なにしてあそぶの、ん
ん、ジェンガ、それママがとくいなのでしょダメ、
きょうこそママを負かしてね、ムリ、やだぁ、うん
ち、ママぁ、いっしょにきてぇ、だめよ一人でしな
さい、ダメェ、扉を閉めて、お水流してね、ママ、
うんちついちゃったァ、きやぁ、うんちうんち、マ
マ怒るわよ、うんちでだっこ、だめ、積木がくずれ
る、やったぁ、もうやだ、ママのまけ、ままをいじ
めちゃだめ、呼鈴チャイムがなる、駆けより叫ぶ、おかえり

取りかえからどれくらいたつのか、皺を増す麗絲に
明滅する航空障害灯、目を凝らせば堵列する高楼タワー
のわずかな沈黙の隙間をみたす紅蓮の水平線、お父
さんあれみて、大画面を焼く光炎、ぼかされる何もの
か、広告が上書きする、どこのお話し、どこか遠く
いや近く、お母さん、鉢植の葉っぱが茶色くなって
る、今朝は何ともなかったけど、あれ、電気蝋燭も
切れてる、爆笑する笑劇、お父さんきいてる、アイ
怒ってるよ、窓枠を呑みこみしずかに赤い大輪菊と
なる障害灯、ふりかえるより先に歩廊ベランダの硝子を突き
破り床に息絶える、薔薇色の鷗、小箱の騒擾、そこ
にいるなら悲劇だが切りとれば喜劇かもしれない、
気をつけて、なにかみえる、いぃや、何もみえない

麗絲は外される、第三者の手で、それが直かその後
か時はしらない、掛けかえるものはまだいない、山
火事の影響か空は今も燃えている、あのときの絨毯
は剝がされすでにないが、鷗の真紅の刻印はそのま
まだ、そして白い布に包み両端を優しくとじ、両手
で胸に抱きながす女の涙も床は記憶している、児ど
もが棒絵具クレヨンで描く向日葵も、安臥し抱擁する夫婦の
眠りも、大洋風に靡く敷布の呼吸も、児どもの頭頂
を越えてたつ浮木の塔も、螺旋を巻く後悔も、希望
もすべて、この住家は時の川にうかぶ小舟、漕ぎ手
はうつりかわる、この一室for saleは次の買手を待っている

〔原注〕
・エトルリアの陶棺:代表的なものは、イタリアのチェルヴェーテリにあるネクロポリスから発見された紀元前520年頃の夫婦の陶製の棺( Il Sarcofago degli Sposi )。ヴィラ・ジュリア国立博物館で展示されている。

【23N19AN】
*画像はImage Creatorにて筆者作製。画像と本文に特別の関係はありません。なお、AI生成画像を無条件に支持するものではありません。



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