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人間はそんなに強い生き物じゃない

1.違和感と答え合わせ

読書レビュー、第5回の今日は『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル著)です。

今回はその前編として書きたいと思います。

最近の自分の中にあった考えとして、下記の2点がありました。お時間のある方はリンクからぜひ。


①短期的な目に見えるものではなく長期的な目に見えないものを大切にする
②納得いかないことや理不尽に対して自分なりの解釈と意味づけで消化する


noteを書きながら自分の考えを整理しているので稚拙なものが多いのは承知していますが、特に②に関しては「自分の書いていることはこれでいいのだろうか」という違和感がありました。

そんな自分の違和感の答えあわせにぴったりの内容だったのが、『夜と霧』でした。

ヒトラー政権下のユダヤ人迫害、収容所生活での人間の精神変化について記されている本書ですが、非常に生々しく学校の授業で学んだ時以上にショッキングな内容が綴られています。

それでは、①と②の答え合わせをしていきたいと思います。

2.究極の幸せと精神の自己保存メカニズム

結論として、①は正解、②は部分点、になったと感じています。

①について、p60-63の「もはやなにも残されていなくても」に記されていました。

風が肌に刺さるような寒さの朝、栄養状態も悪く意識も薄れゆく状態で工事現場へ移動させられる中、V.E.フランクルはそこにいるはずもない妻と語ったといいます。

そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生まれてはじめて骨身にしみたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。(中略)人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、私は理解したのだ。

収容所では、衣服や腕時計、ベルトといったものはもちろん、髪の毛まで文字通りすべてを奪われていたそうです。

その中で残ったものは、愛する人を想う気持ちだけだったとV.E.フランクルは述べています。


②について、収容所の生活を振り返って、V.E.フランクルは、慣れという人間の環境順応能力は精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズム(p45)だったと述べています。

ショックという真理変化の第一段階を越えると、感動や哀れみといった感情が徐々になくなっていく、感情の消滅(アバシー)が第二段階としてやってきます。

感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階の徴候は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、何も感じなくさせた。この不感不覚は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。p37

自分なりの解釈と意味づけで消化する、と考えていましたが、それは防衛機制の合理化のように自分の心を守るための自然なはたらきだといえます。

強制労働と同列で考えるのは話が少し極端ですが、部活動における理不尽も上司からのパワハラも似たものがあると感じました。

防衛機制にも感情の消滅にも限界がありますし、その結果として待ち受けているものは、部活動でも職場でも収容所でも死という点で共通しているといえます。

この点については、最後まで読んでから後編で改めて書きたいと思います。


3.人間はそんなに強くない

今回、自分の考え・仮説を答え合わせする、という本の読み方ができたのではないかと感じています。

②の納得いかないことや理不尽に対して自分なりの解釈と意味づけで消化する、ということは間違ってはいない。しかし、それだけで乗り越えていけるほど人間は強くないということを肝に銘じたいと思います。


収容所での日々は、実際に体験しているわけではないので100%痛みや苦しみを理解することはできないですし、想像を絶するものだといえます。

しかし、そういった体験を想像し、今に活かしていくことが本を読む醍醐味であり、重要な点であると改めて感じました。


読書のいいところは絶望できることと以前のnoteでも書きましたが、今回読んでいてもう一ついいところに気がつきました。

それは、偶然か必然かそれまで考えていたことと繋がる内容に出会えることです。

自分の中で考えが繋がって体系化されるときは脳に電流が走ったようにワクワクします。

今日また積ん読が増えたので、残りも含めてがしがし読んでいきたいと思います。



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