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㋐からはじまり㋜でおわる  川崎一水

第一章            古事記の中のアマテラスとスサノヲ第一章            古事記の中のアマテラスとスサノヲ
 
   根のカタスノ国
 
 前にアマテラスとスサノヲの母イザナミが亡くなった後に居た根のカタスノ国は出雲族の地であると述べたが、古今伝授ならぬ古事記伝授を受け継ぐ者によればその場所は今の白頭山であるという。そこに行ったイザナミは白山菊理媛と呼ばれているという。スサノヲもそこに行ったことがあるという。
 〝そこに行ったイザナミ〟と言ったのは、イザナミもイザナギも代々いて、〝当時のイザナミ〟という意味である。古事記が712年に編纂されたものであるにもかかわらず紀元前のことを記載しているのは、文字のないころから口伝えに代々伝えた内容であったはず。それを細かく述べるほどの余裕が時間的にも物理的にも難しいことであったため、同一人物のようにイザナギやイザナミを扱っている(ように見える)のはある意味仕方がないことではある。

 つまり、固有名詞のように見えるイザナギやイザナミは役職名であり、天上界のイザナギとイザナミから地上界の人間としてのイザナギとイザナミもいたといわれる。人間としての初代イザナギとイザナミは一万六千年前の縄文時代にいたといわれ、最後は紀元前五世紀くらいの弥生時代にいたといわれる。そしてアマテラスやスサノヲもそうであった。それと同時に根のカタスノ国もいくつかあっておかしくはないのである。出雲にしても、出雲族の伝承では三内丸山遺跡にも居たといわれ、朝鮮半島にも行っていたというから、最も広いエリアを持っていた時の出雲は東北から朝鮮半島までを領土としていた可能性があり、今では島根県の一部が出雲ではあるが、その領土が縮小していた国譲りの時でさえ出雲はそれでも今の滋賀奈良京都から九州北部までの西日本を持っていたといわれる。

㈣ アマテラスとスサノヲの間

 もともとイザナギの生んだ三貴子とはアマテラスとツクヨミとスサノヲの三子で、アマテラスとスサノヲの間にツクヨミがいるはず。にもかかわらず、アマテラスとスサノヲしか古事記には出てこない。

 この三子以外にもたくさんイザナギの子はいたにもかかわらず、なぜアマテラスとスサノヲが古事記の記述のほとんどを占めるのかは次の理由によるといわれる。

 イザナギはアマテラスには高天原を、ツクヨミには夜之食国(よるのおすくに)を、スサノヲには海原をそれぞれ治めるように託したと古事記には書かれる。しかし、これには深い意味があり、イザナギだけで子供は生むことができないはずである。禊によって生まれる神は、海などの水辺で体を清めた時に生まれる。つまり、男女にかかわらず人は子供を作る前には体を清めるということを表現しているのであり、イザナギの相手としてはイザナミ以外に女性が出てこないが、イザナギ一人に対してたくさんの女性が相手として存在いたからこそこれだけたくさんの子が生まれたのではないだろうか。

 そしてこれらは、一万六千年前の初代イザナギにとってたくさんの子孫が生まれたことを示し、その後それらの子孫は世界に散らばり、さらにその後の紀元前五世紀にはアマテラスの氏族とツクヨミの氏族とスサノヲの氏族が日本列島に戻ってきたことを表すといわれる。そしてツクヨミノミコトは軍事を司る月弓命と暦を司る月読命と天文を司る月夜見命とを合体した神であるといわれる。しかし、本当の月弓命は三日月であり、月読は新月であり、月夜見命は満月であるといい、さらに月夜見は月の満ち欠けの数だけいるという。つまり、月夜見はたくさんの氏族に分かれていったことを表すといわれる。

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