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㋐からはじまり㋜でおわる  川崎一水

㋐からはじまり㋜でおわる         川崎一水

第一章            古事記の中のアマテラスとスサノヲ
 
  左目と右目と口
 
 一万六千年前の縄文時代にいたイザナギか五世紀くらいのイザナギかはわからないが、根のカタス国から帰ってきて禊をしたのは小門の阿波岐原であった。そしてそれは筑紫の日向というからには九州だと決めつけているが、高天原を岐阜の位山とすれば琵琶湖の可能性もあるといわれる。そして根のカタスの国から帰ってきたイザナギが琵琶湖で禊をしたのであれば根のカタス国は出雲のどこかということになる。とはいえ、筑紫の日向なら九州でありその場合は根のカタス国は朝鮮半島の白頭山ということになる。しかしその場合でも筑紫の日向が今の宮崎県である日向の国とは限らない。福岡県の博多湾沿岸にも小戸があり、ここも筑紫の日向でもある。

 いずれにしても、古事記の編纂は藤原史が最終編集者といわれ、藤原氏や当時の政権にとって都合の良い場所にそれを持ってくるのはたやすいことであっただろう。そしてイザナギの左目からアマテラスが生まれ、右目からツクヨミが生まれ、鼻からスサノヲが生まれたとする記述も、本当のことを隠したかった藤原史は「スサノヲは荒々しい神であるから鼻から生まれたのだ」としたためである。神社に参拝するときに左手右手口の順に手水舎で漱ぐことからもわかるように、本来はスサノヲは口から生まれているといわれる。

 記紀と一般に呼ばれる古事記と日本書紀がその記載内容の異なるところが多いのは、日本書紀が中国向けに作られたものであるからであるといわれる。国内向けに書かれた古事記であっても、日本書紀よりは少ないが本当のことは隠されていることも多いといわれる。そのため〝古事記伝授〟が必要となってくるのである。隠された神や国生みによって生まれた島の順番など本当のことを隠したのは藤原史であった。

㈥ アマテラスはどこに行ったのか

 スサノヲを祀る神社はけっこう多いが、アマテラスやツクヨミを祀る神社は意外にも少ない。アマテラスやツクヨミはどこに行ったのか。ツクヨミは海外に行ったため日本にいないからだと聞くが、アマテラスが海外に行った話は聞かない。イザナギの生んだ三貴子であるから多くてもよいはずだが、スサノヲを祀る神社に対してアマテラスを祀る神社はあまりにも少ない。本来荒ぶる神でありアマテラスを困らせる悪い神のはずがたくさん祀られており、スサノヲの姉であり大御神とも呼ばれるアマテラスがなぜ広く祀られないのか。

 それには大きな謎がある。

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