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【一応、閲覧注意エッセイ】あゝ無常

 人間が喜怒哀楽の怒の部分を表す原因は、「自分の思い通りにならない」ことなのだという。確かに自分は他者が自分の思い通りにならず怒ることが多かった。おそらく15歳頃までそうだったと思う。

 ところが高校に入ってしばらくすると、他者に対して感情的に負の感情を表すということが滅多になくなってしまい、この状態は現在まで続いている。

 客観的に考えて、ほとんど異常と言っていい。お前が怒ったら大ごとになると友人に言われてしまった。友人も腹が立つ四宮のことを全く想定できないのである。説明しろと言われることすらもある。別に適当に流してもよいのだが、せっかく思い立ったことだし経緯について書いていこうと思う。

 高校時代、僕は知的障害を持つ人と1年以上暮らしていたことがある。当時、僕は全寮制の非常に厳しいルールが設けられた高校に入っていた。一緒に暮らしていたのは、確か高校2年生の間だったと思う。

 4月に新学期になって部屋替えがあったことが、彼と同部屋になったきっかけだった。彼は歩く先々でトラブルを起こすから、誰かが面倒を見てやらねばならない。部屋長ということで僕には彼の面倒を見る義務が負わせられた。当然、彼が起こした行動の責任も自分にあるとされた。

 ところが彼はおおよそ自分の思い通りになるということがなかった。ほとんど一切と言ってもいい。身の回りのことはある程度自分でできるため基本的には放っておくのだが、毎日何かしらのことが起こる。

 まず、トイレの個室に入って出てこないことが一週間に一度はある。それが朝礼のタイミングに重なることがどういうわけか多かった。そうなると自分がトイレまで行って早く出ろと声をかけつつ、彼が用を済ませるまで待ってやらねばならない。朝礼ではスケジュールの連絡があるから、そのたびに友人に話を教えてくれと後でお願いすることになる。

 三度の食事も、放っておくと1時間以上食い続けるから傍にいてやめさせねばならない。これらは辛うじて書いても許されそうなことであり、諸君の共感疲労を回避するために本当に大変だったことは控えさせていただく。そして当然ながら、やめろと注意しても改善されるということは全くない。

 そして僕は別に福祉の専門家でもなんでもない。ズブの素人である。ひょっとしたらうまいことコントロールしていく術があるのかもしれないが、そんなものを学ぶ機会などは当然ない。

 結局、行き当たりばったりになる。思い通りにならないのに責任は自分にあるとされたから、何かあると生徒からまず自分にクレームが入る。障害を持つ人間と暮らしている以上トラブルは当たり前なんだから文句を言うなと反論したが全く聞かなかった。そして根本的に、彼と暮らすことは僕が望んだ結果ではなく、仕方なしにそうなったというだけの話である。

 こうした日常で過ごしていると、最初の数週間くらいは憤りとか不平不満とかが出てきたものである。不満のぶつけ先は当然、部屋のメンバーを配置した寮の担当の先生だ。僕はある日ついに耐え切れなくなり、阿修羅の如き表情で先生を空き教室に呼び出し、見返りもなしに貧乏くじだけ引かせやがっていい加減にしろという趣旨のことを10分20分程度、先生の返事すら求めずにひたすらに述べた(キビシイ校風とはいえ、自らの意見を述べることは重視されていた)。

 一通り言い終わると、先生は困ったような顔をしてしまった。先生に根本的な解決策があるわけではないのである。そもそもとしてこの高校は誰かと相部屋にしなければならないシステムになっているのであり、適任として最もストレス耐性の強い人間を選んだということに過ぎない。前に同部屋になった生徒が激高してタコ殴りにしてしまった。なので僕は文句を垂れる程度で済んでいるのは先生にとっては吉報となる。部屋が変わって友人が暴力事件を起こしたらたまったものではない。仕方がないので、僕は耐えられないことがあったら先生を呼び出して文句を言う権利を勝ち取った上で、我慢してやることにした。

 ところが2月くらい経つと冷静になってきた。他者というものは思い通りにならないという考えになったのである。

 まずしっかり管理しろと僕に文句を言っている奴は、彼が起こしたトラブルを自発的に解決する試みすらロクにしていないばかりか、受け入れる努力も一切していない。連中はあの頭のおかしい奴をを何とかしろなどと言ってくるくせに、自分の内面を変えることを少しもしていないのである。自分からすれば両方とも変わらないのだから、僕には彼らの言葉は天に向かって唾を吐くような言葉に聞こえた。

 ところが、同時にこうも思った。文句を言ってくる生徒たちもそれなりにストレスを抱えているはずである。そもそもが全寮制で人の距離が極めて短く、当然甘えられる親もいない。ゲームもケータイも持ち込めないから娯楽も少ない。各々が問題を抱えている場合もある。だから配慮を無理強いすることもないのではないだろうか。

 だから僕は反論をすることをやめ、分かった、何とかしてみるが無理かもしれないぞと話す方向に切り替えた。すると不思議なことに、「まあ頼むわ」といった感じにすっと引いてくれることが多くなった。結局彼とは1年の間、様々なトラブルがありつつも何とか過ごしきることができた。

 多分、こういう日常を思春期のど真ん中で丸々1年間過ごすと、他人に怒るということをすっかり諦めてしまうのだと思う。僕は大体の人間を思い通りに動かすことは不可能であるということを、嫌というほど実感させられてしまった。変えられるのは常に自分のみである。従って、他人の行動に感情的になっても意味はほとんどない。

 知り合いの専門家の方曰く、人間が怒る理由は「自分の思い通りにならない」ことに対してストレスを感じるからなのだという。確かに自分は他者が自分の思い通りにならず怒ることが多かった。だが彼と1年間を過ごしたあとは、人間に対して怒るということがほとんどなくなってしまった。

 ……とまあここまで書いたが、稀に自分も他人が思い通りにならない存在だということを忘れてしまう。気を付けて生きていきたいものである。

※サムネ画像は高校の寮をイメージしたものです

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