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死にたいのか消えたいのか。

電車に飛び込む想像がやめられません。屋上から飛んでみる想像も、首を吊る想像もやめられません。これは自殺願望なのかなんなのか。

ただ、終わらせたい、無になりたいということは確かです。元々私には何もない空っぽですが。

この数ヶ月間、体が思うように動かず、本来やらなければならないタスクが山積みになっているのに、それでも尚動けません。相談を持ちかけると私は自分に高望みをするタイプだと言われ、今は休めと言われました。できる時にすればいいと。そう言われても頭を空っぽにすることは到底出来ないのが現実で、というのも私は本来終えれているタスクをまだ終えれてない状況にあります。周りの人達がそのタスクを終えて次のタスクへ乗り換えている最中、私は未だひとつのタスクも終えれていません。精神科に頼りましたがなんとハズレを引いたようで薬が合わず、副作用で療養する羽目になり、周りとの差は広まる一方です。

うーん、草。


変なところで楽観的な見方をしてしまいますが内情はかなり焦っています。じゃあなぜ今こんな文章打ってるんだよ、ってツッコミ飛んできそうですよね。ほんとに私も不思議です。潔く電車に飛び込んでしまいたいですね。

友人とお話する予定があったので久しぶりに友人に会うことになった際に、相談してみようか、という気持ちで電車に乗りました。でも、途中で何を相談したかったのかわからなくなったのです。

友人と話してる間、よくわからないふにゃふにゃの水に浸した紙のような笑いで自分のことを誤魔化して飲み込み、帰りの電車でふと飛び込んでしまいたいという衝動に駆られました。すごい勢いで通り過ぎていく電車が羨ましくなったんです。あの勢いに飛び込んでいったら私の体はそこら中に飛び散るんだろうなあ、どのくらい復旧に時間がかかるのかな、費用はどのくらいかかるのかな、と考えてるうちに頭痛がして家に着きました。お金のことを考えて自分が貧乏であることを思い出して踏みとどまれている内は電車には飛び込まないだろうなあと思います。

私の脳の片隅には「死にたい」が常にいます。「消えたい」なのかもしれません。そんなことはまあどうでもいいんです。まるで影のようです。朝昼は太陽の光から生まれ、夜でさえ街灯の青い光から深く黒い「死にたい」影が出来ます。最近はあまり出かけないので家の中での灯りから切り離せない黒が私に「飛び込んでみない?」と語りかけてくるようです。


そちらに行きたい。


何度もそう思っては生に執着してる無様な姿の私を未来の私が見ています。

今日も一日影と過ごしました。昼過ぎに起きてご飯を食べて、気持ちが悪くなり寝転ぶとまた夜まで金縛りにあうように寝てました。気持ちの悪い夢を見ていたような気がします。金縛りにあう時は全てを諦めます。身体を動かそうとするだけ面倒で無駄なので眠りにつきます。気がつくと時間が経っていて、また身体が動かなくなります。それの繰り返しで、金縛りから振り切った頃、外は暗くなっていました。いっそこのまま目覚めなくていいのに、と甘えのように影に愚痴を零してまた食べ物を口に含んで、長い夜を過ごしています。

できる時にすればいいと言われたタスクの期限がどんどん迫っていていますが、身体は思うように動いてくれません。社会のごみである私は、このまま影に飲み込まれてしまいたいです。これが死にたいのか、消えたいのか、その答えはもう必要ないでしょう。


早く迎えに来てください。