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【年齢のうた】奥田民生 その2 ●30代の青春を唄った「イージュー★ライダー」

今回はまず映画『THE FIRST SLAM DUNK』と、そのエンディングテーマ曲である10-FEETの「第ゼロ感」に触れてから。

まあこれには10-FEETの大ファンであるカミさんが、冬に観たスラダンのこともテンフィのことも僕がどこにも書かないままでいるのに不機嫌そうなので、そのフォローの意味合いも若干含んでいるのだが。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』の興奮を加熱させている10-FEET! 「第ゼロ感」! その周辺の興奮もまだまだ加熱中


先週の木曜から始まった野球のWBCの1次ラウンドの初戦をテレ朝で観ていたら、試合前の日本チームの紹介VTRのバックに「第ゼロ感」が使われていた。そしてその翌日の『ミュージックステーション』2時間スペシャルに10-FEETが出演し、この「第ゼロ感」と、彼らの楽曲の中でもとりわけエモーショナルな「ヒトリセカイ」をパフォーマンスした。立て続けに、このふたつの出来事があったのだ。

とくに野球中継の直前、選手たちが投げて打って守ってと躍動する映像のBGで「第ゼロ感」が流れた瞬間には、この曲がバスケのみならず、スポーツシーン全体で親しまれつつあることを感じた。映画自体は日本に続いて韓国での大ヒットも伝えられているほど。いま「第ゼロ感」は国境やさまざまなジャンルを超えながら、多くの人々の心を熱くさせる曲になろうとしている。


映画『THE FIRST SLAM DUNK』には、僕もものすごく興奮した。The Birthdayの「LOVE ROCKETS」が流れるオープニングには最高にアガった。


そして10-FEETの「第ゼロ感」をはじめ、彼らが作った劇中の楽曲も非常にハマっていて、深く感動した。

音楽面では、まず劇伴の多くを制作した武部聡志の手腕が素晴らしい。本作の音楽をトータルで見ると、武部によるリリカルな音色から10-FEET によるパンクサウンドまでが鳴っており、また、それらと対を成すように無音の空白を大胆に差し込む編集/構成も見事だ。


その中でも強調したいのが、ゲームの緊迫感と登場人物たちの情熱をパンクビートの爆音に昇華した10-FEETの貢献である。おそらくヴォーカルのTAKUMA(武部とともに音楽担当)は映画の制作陣とかなり煮詰めながら音作りをしていったのだろう。そこでは、彼らがスラダンにダイレクトに浸った世代であること、主催フェスの京都大作戦でもバスケットボールのコートを造って実際にプレイに興じるなど、作品と競技について近い感覚を持っていることがデカいと思う(TAKUMAは僕と同じく、プロ野球は阪神タイガースのファンなのだが……今年のスカイAの『猛虎キャンプリポート』のテーマ曲に『コリンズ』から「ブラインドマン」が起用されてたね)。

10-FEETの劇伴では「第ゼロ感」を基盤としつつ、各曲が放つテンションがシーンの各ポイントを有機的に盛り上げていた(うち5曲が『コリンズ』の2枚目に収録)。

この映画はゲーム内でのドリブルの音も印象深いが、その響きと律動がパンク・サウンドと伴走しているかのよう。力強く爆走するビートは、エモーションをブチ上げる着火装置であり、また白熱するゲームの緊張の呼び水でもあり、そして勝負という名の運命の決着のカウントダウンのようでもあった。それが両チームの青春と気迫のぶつかり合いと、美しく溶け合っている。音の面でも非常に見ごたえ、聴きごたえのある映画だ。

そしてそこには10-FEETが長年にわたってパンクロックを鳴らしてきたパワーが詰まっている。映画のストーリーと彼らのサウンドが寄り添う瞬間には何度も心臓が締め付けられそうになったし、何度も拳を握りしめ、また、落涙しそうにもなった(同期を使った規則的なビートもその効果を最大限に発揮している)。


いくらリピーターの観客が多いとしても、決して万人向けではないはずの映画がここまでの大ヒットになったのはそれだけ優れた作品だからだろう。僕なんかはコミックのスラダンのイメージが強いから、桜木花道らしいところが出る場面では「お、これこれ!」みたいに大笑いできたのもうれしかった。

それから、もうひとつ。作品そのものの世界としては、オリジナルのスラダンが青春時代のパッションの衝突を描いていたのに対し、今回の映画は、家族愛や生き方、人生までを表現していることにグッと来た。これにはおそらく監督にして原作マンガの作者である井上雄彦氏の、現在の感覚が投影されているのだと思う。


そしてそこには、ずっと以前から氏がリスペクトを公言している水島新司作品からのポジティヴな影響もあると感じた(両者は2012年に対談、『ドカベン ドリームトーナメント編』3巻に収録)。こうした井上氏の作風は(よく言及されていることだが)『ドカベン』31巻に象徴される登場人物それぞれの人生ドラマを描く作品作りをさらに継承・発展させ、拡大させたものではないかと強く感じた。素晴らしいと思う。

こうした物語を、武部聡志、The Birthday、そして10-FEETが最高の音楽で表現していることは、再度、強調しておく。ついでに書いておくと、今回のテーマ曲の話が来るまでスラダンを読んだことがなかったと正直に言ってしまうチバユウスケも大好き。さすがである。そしてTAKUMA、10-FEET。同期のサウンドに挑んでモノにして無数の感動を呼んで、最高の仕事ぶりだ。

はい、スラダンと、主に10-FEETのことは、ここまで。

続いて本題に行きます。

民生が「イージュー★ライダー」でナチュラルに描いた30代の姿


前回のその1で、年齢にまつわる民生作品について触れたが、彼によるそうした歌がまだある、と思った人もいるのではと思う。

そう、「イージュー★ライダー」である。


イージューとは、E10、つまり30代のこと。これと、自由極まりない放浪旅を描いたアメリカン・ニュー・シネマの傑作『イージー・ライダー』の名前とをかけた曲名である。


「イージュー★ライダー」のシングルは1996年6月、民生が31歳になったばかりの頃のリリース。彼としては『29』から『30』というソロ初期段階のあとの発表である。いろいろと溜まったもの、試してきたことを放出したあとだからなのか、いい湯加減の疾走感と、そこはかとない軽やかさ、それでいて前向きさと切実さがにじむ情感が表現された、まさに珠玉の1曲だ。


ちょっと渋めのバンド的アンサンブルも秀逸で、往年のアメリカのサザン・ロックを意識したような……さらには当時そっちを指向したジョージ・ハリスンまでを思わせるナンバーで、とくにハモンドオルガンとギターの有機的な絡みが、民生の歌声の味わいをあたたかく増幅させている。


そして歌のテーマだが、当時の自分は、ここで民生が<青春>について言及していることにちょっと意表を突かれた記憶がある。ええ? そんな! みたいに。

というのは、彼にはそんな青臭いことを唄うようなイメージがあまりなかったし、しかもここでは<僕らの~>と、いくばくかの連帯感まで綴られている。彼としては、やや吹っ切れて、次に行くような感覚があったのだろうか。

さらに何よりも驚いたのは、30代という、もはやとっくに大人として見なされているはずの年齢の男が、青春を……そう、30代に突入した者としての青春を、堂々と唄っていることだった。その振り切れぶりには、今この歌を聴き返しても感動してしまうほどである。

たぶんこれはあの頃の僕だけではないと思うのだが、青春なんてのは、若者と呼ばれている人たちのものだと思っていた。たとえば、恋とか夢とか理想とか語ったり。思い出作りとか精一杯とか、がむしゃらさとかがあふれていたり。放課後に学祭……合コンとか?(違うか)。そんな、自分自身と小さな半径の周りのことでいっぱいいっぱいの、それこそ若さだけで突っ走ってるような連中こそが青春というものを生き、青春ってやつを謳歌するのだと捉えていたのだ。僕は。

しかし民生はこの曲で、とてもナチュラルに、30代にも青春があることを唄った。しかも予定も目的地もなくていい、足かせのない生き方をしてもいいんじゃないか、と唄ったのだ(このあたりは、まさに『イージー・ライダー』とリンクしている)。

民生自身は「イージュー★ライダー」について、2014年に出した本の中でこんなふうに話している。

一人で車に乗って走ってると、いろんなことを考えたりすることがあって。とは言っても、そんなに深くは考えないわけだけど、そんなこと言ってみたりして、くらいの軽い感じで考えてるほうがいいのかなと思った年頃の歌(笑)。49歳となった今はもはや、青春とか自由とか、そんな言葉は言ったりすることもない。「50目前で自由なんてないわい!」っていう(笑)。20代前半の時って、自由だ青春だっていうのはあまりにも当たり前過ぎて、言わんでいいよって話なわけで、30歳くらいの頃って、自分の中でそういうことを言ってもいい時期が到来してたってことなのかなと。
(『ラーメン カレー ミュージック』 角川書店 2014年)

さすらおうとする思い、放浪したがる気持ち


民生はその後、ここで表現した「旅」のイメージを広げながら歌を唄っていった。1998年2月にリリースした「さすらい」はその最たる曲だろう。


この曲、近年では出川哲朗の番組『充電バイク旅』でのスピッツのカバー版を耳にするという人も多いだろう。


さらに同じ1998年、民生が出したアルバムは『股旅』。この頃の彼はすっかり旅モード、放浪モードだった。それもなんとなく、わかる。人間、つい放浪に憧れる時もあるのだ。僕も20代から30代のはじめまでは、あちこちに行くのが好きだった。それは自分探し……というほどのものでもないのだが、知らない土地への興味というのもあるし、気持ち的にそれまでより新しくなりたいってのもあった気がする。

僕は、映画ではヴィム・ヴェンダースが好きなのだが、それは彼の作品はつねに居場所や大切な何かを探しているようで、そこに強く惹かれるからだ。ロードムービーを撮ることが多いヴェンダースもまた「ここではないどこか」を求める、さすらいの人なのだと思う。


もっとも、歳をとった今の自分は、さすらうこともやらなくなって……できなくなったりしていったわけだが。この数年はコロナ禍で、とくに。仕方ない時期ではあったものの、ことさらステイホームが多くなった。
もっといろんなところに、いろんな場所に、行けるうちに行っておいても良かったかな。それはやっぱり若いうちに。そう思うことも時々ある。かと言って、あちこち行けば偉いというもんでもないとは思うけど。

と、こんなふうに自分なりに思い入れの強かった民生だが、同世代なのに、彼と仕事の上で出会う機会はなかなか訪れなかった。90年代当時の接点は、武道館かどこかのライヴのあとの楽屋で一瞬あいさつしたのみ。それから何年か経ってインタビュー取材の依頼が来たのだが、その時の自分はあまりに多忙すぎて、残念ながら受けることができなかった。

ようやくインタビューで話せたのはユニコーンが再結成したあとで、その時はメンバー全員のインタビューだったので、それはそれはもう収拾がつかないにもほどがある現場だった(笑)。そして3年ほど前に、ジョン&ヨーコ展に関係した企画取材ではあったが、やっと民生単独のインタビューをすることができた。

50代になった彼との対話は、もはや青春がどうというような感じではなかった。お題はジョンとヨーコだし。「イージュー★ライダー」の頃から、もう余裕で20年以上が経ってるし。

ただ……民生があの頃から走ってきた道は、今も確実に、この先へと続いている。そんなふうに思えた時間ではあった。

今回はこれでおしまいです。
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めちゃクールだったアークティック・モンキーズのライヴの前に有明ガーデンで購入、
我ながらすばらしくてNICE CHOICE

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