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【年齢のうた】SUPER BEAVER●「27」に記された「大人になった」という意識

テイラー・スウィフトを見てきました! つい昨日のことです。東京というか、日本公演の最終日でした。
いやぁ、すごかった。45曲を詰めに詰め込んだ3時間12分(ついでに座席の関係で本人のステージへの入退場も目撃/笑)。テイラーの歌と演奏はもちろん、演出や構成のスケールに圧倒されっぱなし。それでいて押し引きもしっかりとあり、前回の来日時のコンサートをはるかに超えていました。

もう究極のエンターテインメントであり、究極のパッケージショーですね。生バンドに弾き語り、ダンス・パフォーマンスなどなど音楽としての多彩な楽しみはもちろんのこと、テーマパークのアトラクション、あるいはミュージカル、はたまたサーカスのような場面もあり。これをスタジアムの規模で連夜、高いクオリティで実現させるパワーとクリエイティビティは本当にとんでもない。さらには、日本に来てすぐの4日間連続で敢行し(初日の前日はリハーサルがあったかも?)、見事にやりきるタフネスにも驚くばかりです。で、彼女はプライベートジェットでもう帰国済みなんですよね? スーパーボウルに間に合うために。ひぇ~……お疲れさまです。

ライヴでは、僕としては『エヴァーモア』と『フォークロア』のセクションにハマりました。ポップ・アルバムの楽曲たちはメインストリームに対峙してる感が強いけど、こうしたオルタナティヴな側面があるからこの人は懐が深い。超メジャーアーティストにそんな指向性があることには、興味を大いにそそられます。

テイラーにも年齢の曲がいくつかありますね。今回のライヴで「22」を演奏した『レッド』の箇所はギャルのような感じで、それはそれでポップで華やかで良かったな。

とにもかくにも時の人であり、時のアーティストであり、さらには優れたライヴ・パフォーマーとなったテイラーに感嘆した昨夜でした。


それから私こと、今度の火曜日(13日)の夜にDOMMUNEに出演することになりました。ぜひ見てみてください。
詳細が出たら、この下に告知しますね。
(追記/詳細出ました~!宇川さんの告知等)


さて、今回は日本のロック・バンド、SUPER BEAVERについて書きます。
曲は「27」です。

大人になったと宣言するロック・ナンバー「27」


近年は各地のフェスのみならず、テレビの歌番組で観ることも多いSUPER BEAVER。もはやメジャーな存在となった彼らだが、このバンドが遅咲きであり、現在の活動は2度目のメジャーデビュー後であると知っている方もいることだろう。
つまり挫折を味わっているバンドである。

紹介する「27」という曲は、2016年のリリース。まさに彼らが最初のメジャー契約を大きな成功に結び付けられず、インディーで活動している時期の楽曲である。ギタリストにしてソングライターである柳沢亮太が27歳になる頃の歌だ。

この「27」について語られているインタビューがあるので、以下に紹介する。
話は、自分たちが大人になったという認識のところから引用する。


柳沢「10周年という過去を振り返るきっかけがやってきて、ふと自分たちのことを“もう俺たちは大人なんだ”って自覚したとき、自然とそういうモードになった、と言うのが一番近いかなぁ。自分たちと向き合った時期があり、故に自分以外の人=“あなた”という存在をしっかり認識し、そこに向けて歌い始めた1つの結論が、“あなたが愛する全てを愛する”と言い切った前作の『愛する』だったと思うんです。ってなってくると、やっぱりその言葉に責任を持たないとなって、より思ったというか。やっぱり言葉を大事に、簡潔に、素直に、ストレートにすればするほど、無責任ではいたくない。“投げるんだったら責任を持って投げたい”っていう気持ちが積み重なって強固になっていった結果が、こういうアルバムになったのかなって」

――特にタイトル曲『27』(M-1)は、ここまでSUPER BEAVERの生き様を描き切った曲があるのかと(笑)。

柳沢「アハハ(笑)。やっぱり“大人になったことを宣言してやろう”っていうのがまずあって。“ロックバンドが努力するとか頑張るとか言うのはロックなの?”みたいな空気を感じた時期があったんですけど、僕らはロックバンドである以前に人間だし、そういう“人としては普通じゃね?”っていうこのボヤッとした輪郭を、どんどんハッキリさせてきたバンドだと思うんですよね。もちろん瞬間の爆発的なカッコよさも知ってるけど、『27』で俺たちが鳴らしたい音楽=ポップミュージックは、出会った人たちと永く、深く、より大きな歓びを一緒に共有するもの。それを歌にするのがSUPER BEAVERなんだなってすごく思った。ロックにおける“27”という数字には伝説的なジンクスもあるけど、僕らはそこに何の美学も感じないし、それよりもっと大事なことがあるというのがSUPER BEAVERのスタンスで。ちょうど年齢的にも同じところで、世代の象徴としてそれを歌にできたのは大きいのかなと思うんですけど」

――確かに振り返って歌うことはあっても、その世代ドンピシャの人が“27”について歌うことは案外なかったかも。

柳沢「いやもう本当に、まさにそれですね。今、歌うことに意味があった」

渋谷「僕は音楽として通ってこなかったので、27歳で死んじゃった偉大なミュージシャンを、誰もよく知らないんです(笑)。僕が好きなミュージシャンはいまだに生き続けてる人が多いし、この歳になってみて本当に思うことですけど、やれることがどんどん増えてくるし、いろんな人と出会う機会も増え続けてく中で、年を取るのがおもしろいと思えるようになってきたというか。年月を重ねたからこそ出せるものが、確実に自分の中で増えてきてるのを感じてたので。ちゃんと地に足つけて、これから共に歩んでいくことで見えるものの方が魅力的だと思うから」

――でも、27~28歳でもう10年を越えてるバンドっていうのは、やっぱりすごいね。

渋谷「闇雲な時期も当然ありましたし、鳴り物入りでデビューして、そこからずっと注目され続ける10年と、僕らの10年はやっぱり訳が違うんで。本当に酸いも甘いもいろんなことを経験させてもらったし、いきなり音楽でお金をいただけるような経験をさせてもらうことがまずないじゃないですか。そこから楽しくない時期を経て(笑)、人と人とのつながりを自分たちで模索して…この10年は濃さで言ったら相当なものだったと思う。だからこそ、この辺で積み重ねてきたものを表現できないともったいないと思うし、その年月があったからこそ、今周りにいてくれる人たちを大切にしたいと想う気持ちは、誰よりも強いと思うんで」

――“大人”ってロックミュージックの1つの仮想敵になるもので。それをここまで肯定する曲もないというか。

柳沢「僕らが嫌いだった、今でも圧倒的に嫌いな(笑)“大人”って、結局“責任を取らない人”というか、自分で動かない人というか、カッコよくない人のことを指してるんです。同時にカッコいい大人もいて、そういう人って好き勝手にやってるんですよね。でも、自分のケツは自分で拭く。これは僕らがバンドとしても人間としても、いろんな人と関わらせてもらった中で分かったことで。もう“経験”としか言いようがないんですよ。何か…自分がいざ大人なった今、闇雲に“大人が嫌いだ”とか、“どうせああなっちゃうんだ自分も”みたいな気持ちを持った若い人たちに対して自分たちが言えることがあると思うし、これが僕らだからできる1つの歌の形だよなって、何かすごく思いますね。“この先、案外悪くないのかも”って、思ってもらえたらいいな」


上の映像は、2019年1月にアップされたライヴのもの。ヴォーカルの渋谷龍太をはじめ、メンバーのたたずまいが今と違うのも、味わい深い。

インタビューをもうひとつ。

柳沢:『27』っていうタイトルはある種のモチーフみたいなもので。前作が『愛する』だったり、遡ると、自主レーベルを立ち上げてもう一回這い上がって行こうっていうタイミングで出したのが『未来の始めかた』だったりとか、その都度その都度なんですけど、おっしゃっていただいたように「今」を、この瞬間のものを歌うっていう意識はあって。自分たちの葛藤を歌っていたものが、少しずつ外へ向いていって、『361°』っていう前々作で”あなた”という対象が見つかって、『愛する』でそれら全てを愛する……という後に『27』っていうタイトルがきたのは、子供から大人になっていく葛藤だとかを完全に超えたというか。もう28~9歳になる世代で、今さら子供だとは全く言えないし(笑)、言葉を大事にしながらも、どんどんその言葉に対しての責任をちゃんと持つようになってきて。さっき話したような周りを巻き込んでいくときの大前提として、放った言葉に責任を取れないと話にならないと思っているバンドなので、それを僕たちなりに言葉にしたものが『27』。多少前後はしてますけど、この世代が完全に大人になったっていう、イコール、好きなことは好きにやれるしすごく自由だと思うけど、その裏に必ずあるものとして責任があって。楽しいっていうことの根源をシンプルに形にできたのかなと思いますね。

――やっぱり27歳くらいが境目になるんですかねぇ。

柳沢:それは分からないんですけど(笑)、僕らはそうだったっていう。それは「うわぁ、もう大人だ……!」ていう感覚があったというよりも、SUPER BEAVERが鳴らすものに対する信念みたいなもののような気もするんです。世間的にどうだとかはとりあえず置いておいて、自分たちが良いと思っている音楽を鳴らすけど、それは無責任に放出しているつもりはないから。それがさっきの「共に歌いたい」っていうことにも繋がってくるのかなと思ってるんですけど。

このように、とくにギターの柳沢が、27歳になる段階で「もう大人になった」という意識を持ったようである。
また、大人になること、それはすなわち責任を取ることだという意識を語っていることについて、僕は非常に興味深く感じる。というのは、今の世の中は、すべからく責任を取ろうとする人の、とくに大人の立場の者の存在感が希薄だと思うからだ。とくに政治家たち。行政や企業の重要なポストにいる人たち。

かたや、27歳の段階で、柳沢ほど自分は大人であると思い込むのは、現代の価値観ではちょっと早いぐらいのようにも感じる。まあ、それはさっきの話の逆で、子供のままでいたい、責任なんて取りたくない、という人間が多いように見えるからだというところがあるが。

SUPER BEAVERのメンバーたちは「自分たちはもう大人になった、今までのままでいいわけがない」と思ったのではないだろうか。

一方で、アルバムの最後の「素晴らしい世界」で、大人は楽しいよ、大切が増えていくんだ、と聴く者の心をフォローするように唄っているのも秀逸だと思う。
まあ現実には、大人が楽しいとまで言い切れないことも多いのだが……(やや泣)。それでもなんとか生きていかねばならないのが、人間というやつである。

実は僕は、彼らのこのアルバム『27』のことを長らく知らなかった。メジャー再デビューからの曲は認識していたが、『27』については、この【年齢のうた】の企画を考えている最中に出会ったのだ。
しかし今、思う。2016年の時点でここまで腹をくくったような作品を作っていたからこそ、その後のSUPER BEAVERはブレイクという結果を手にすることができたのではないか、と。


若くしてこの世を去ったロック・ミュージシャンたちの「27クラブ」について


ところで先ほどのインタビューで触れられているように、昔からロック・ミュージシャンには27歳でこの世を去った才能が多い。海外ではそんな人たちのことを称して「27クラブ」という言い方があるくらいだ。

次に紹介するのは、『ローリングストーン』による27クラブについての記事である。27歳で死んでしまったロック・アーティストと言うとニルヴァーナのカート・コバーン(1994年4月没)を思い浮かべる人が多いだろうし(それからもうすぐで丸30年だ)、その後にはエイミー・ワインハウス(2011年7月)も亡くなっている。
さらに言えば、「27クラブ」の人たちは、むしろそのはるか前の時代にこそ多かった。ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ(1969年7月)、ジミ・ヘンドリックス(1970年9月)、ジャニス・ジョプリン(1970年10月)、ドアーズのジム・モリスン(1971年7月)といったミュージシャンたちが相次いで、いずれも27歳で亡くなっているのである。

バスキアのような芸術家や、俳優までも入れて構成されている記事だった。
また、長寿ミュージシャンの代表格であるKISSのジーン・シモンズは、この27クラブについて追求した著書まで出している。

上記のリアルサウンドの記事では、27歳に限らず、若くして亡くなったミュージシャンたちとして、エルヴィス・プレスリー、マーク・ボラン(Tレックス)、シド・ヴィシャス(セックス・ピストルズ)、レフト・アイ(TLC)、アヴィーチーの名を挙げている。

それから、こうした話題で日本のアーティストで真っ先に思い出すのは尾崎豊だが、彼は26歳で急逝している。

言うまでもなく、この2020年代に入ってからの数年間は、音楽関係をはじめとしたアーティストやミュージシャン、著名人が次々と亡くなっている。その中には若い人もいたりするが、多くは中高年より上の世代だ。
かたや、上記の60年代から70年代に差しかかる時期は音楽界もまだ発展途上で、ロック・ミュージシャンたちには自分の肉体や精神を管理するというような意識があまりなかったのだろう。ドラッグへの警戒心だって、現代ほどではなかったし、今の価値基準で考えると、あまりにムチャをしたり、あるいはさせられたり、とんでもないようなことが普通にたくさんあった、起こっていた時代だったはずだ。だからこそさまざまな伝説や奇跡も起こったのだが、一方で、こうして若くして命を落とすアーティストも多かったわけである。

さて、今の価値観では、27歳なんて、まだまだ若いほうだ。人生これから、という時期である。

ここで自分自身を思い出してみれば……勤めていた会社を辞めて、フリーターをしながら「これからどうしようかな」と思っていた頃だった。それからはいろいろな人たちと出会って、人生が少しずつ変わっていったものだ。さっきのSUPER BEAVERのように腹をくくることはできていなかったが、「そろそろどうにかしないと」と考えていた年齢ではある。
とはいえ、そのタイミングやきっかけも、人による、ケースバイケースなのはもちろんだが。

そろそろ大人? もう大人? いい加減に大人になれ? とっくに大人?
それとも、まだ大人じゃない?
27なんて、四捨五入したら30になってしまうが、しかしアラサーと呼ぶにはまだ早い。もし仕事をずっとしている人ならば自分自身の行く末に立ち返って考えることも増える時期だろう。
そうしてみると27歳は、さまざまなことの分岐点に差しかかっていく年齢のように思う。

とにもかくにも、みんな、精いっぱい生きてほしい。自分のペースで。自分の生き方で。
そう、SUPER BEAVERのように。


「とり野菜みそ」が好きで
家で時々作っているのですが、
このカップ焼きそばは…どうかな~?
他の人の感想を知りたいです

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