『トロフィー・ワイフ』グッバイ!おばぁ!Part.2

『トロフィー・ワイフ』
トロフィーのようにそこに居るだけで
夫に華を持たせる嫁のこと。


最後の祖母が死んだ。93歳だった。

最期までボケずに老衰とはお見事。


四月に会っておいてよかった。
いまは寂しいけど悲しくはない。
寂しいと悲しいという感情は全然違う。

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亡くなった父方の祖母は「おばあちゃん」というより「おばあ”ちゃま”」と呼ぶにふさわしい人だった。

小柄で、華奢で、ハイカラで。いつもお洋服や髪型に気を遣い、今思えばメイクも上手だった。

彼女に吹き出しを入れるなら「わーっはっは!」とか「ぎゃはははは!」ではなく、それは確実に「おほほ」だった。


彼女は働いたことがなかった。少なくとも僕が知っている39年間に見聞きした限りでは。

戦後に結婚し、祖父が懸命に立ち上げた家業(金型屋)を手伝ったという話もなかった。
子供の頃、父に連れられ会社(工場)に遊びに行った時も、若きおじいちゃんはいつも帳簿とにらめっこをしていたが、そこにおばあちゃまの姿を見ることは一切なかった。

おばあちゃまはいつも、海が見えるライオンズマンションに居た。


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エントランスでピンポンを押し、カメラに向かってジャンプをする。「はぁい」というか細い声と共に自動ドアの施錠が開く。

エレベーターで④を押すのがいつも楽しみだった。思い返すとうちの田舎町でエレベーターに乗るという体験は、二階建てのジャスコと、ライオンズマンションだけだった。


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たまに泊まりに行くと朝食はいつも”コンチネンタル”だった。パンにソーセージ。サラダに紅茶。個包装の焼き菓子までたんまり出してくれた。

彼女は決して料理が得意な方ではなかった。パンやソーセージは焼いただけ。レタスやトマトは切っただけ。ドレッシングは市販のもの。
盛り付けだけはファミレスの入口横にある食品サンプルのようにいつもきれいだった。
お皿はどれも淡く、美しく、紅茶だけはいつも茶葉から煎れてくれた。

僕はサイドボードに整然とディスプレイされたティーカップを眺め「すきなのだしていい?」と聞くと、いつも「いいわよ」と言ってくれた。僕が気に入ったものを取り出すと、彼女は思い出したかのように、僕の知らない単語を発してくれた。


『ハロッズ』


うちの母はそんな義理母のことを「あの人の作るごはんはオモチャみたい」といけずなことを言っていたけれど、子供にとってそれはまさにホテルの朝食。紅茶を口に少し含んでは、航行する船を遠くに眺める自分に酔いしれた。


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祖父はシベリア出兵で捕虜になった経験など戦争のことをたまに話していたが、祖母からはそういった話を聞くことも一切なかった。
もしかして空襲を受けたことがあったかもしれない。たまたま疎開して済んだだけかもしれない。単純に悲しい話はもうしたくないとどこかで蓋をしたのかもしれない。


コンチネンタル・ブレックファーストや洋菓子やハロッズは、今や平和となったこの世界を謳歌したい、もしくは次の世代には謳歌してほしいという気持ちが具現化したかのようにマンションに入る風と共に輝いて見えた。


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僕はいつも父と衝突していた。

ある日、祖父母も含め家族で食事をしていた時、僕と父が些細なことで衝突した。父はいつも通り僕を怒鳴りつけ、お前といるとメシが不味くなる!」と、会食の途中にも関わらずテーブルを大きく叩きつけひとりどこかへ消えて行ってしまった。

僕は悲しくて泣いた。悔しくて泣いた。
なぜ、あの人は、いつも”ああ”なのか、と。


そういう時、おばあちゃまもメソメソと泣き出しては「私があの子を甘やかしたから…」とハンカチで涙を拭いていた。
僕は「違う!これは僕とあの父親の問題だから!おばあちゃんは悪くない!」と声を荒げた。


フォローのつもりだったがびっくりさせてしまったかもしれない。あのときは申し訳なかった。


僕が20代の頃、当時の仕事やこの社会に滅入ってしまい鬱っぽくなったときも、彼女は僕の前で「大変だそうね…」とまたメソメソと泣き出した。

人は基本何もできない。

だけどこの世界に、僕が辛く、苦しい時期をなんとかくぐり抜けようとしていることを知ってくれている人がひとり増えただけでも、僕にとってこの世界は違って見えた。


彼女はそういう存在だった。


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たしかに彼女は子育てが上手な方ではなかったのかもしれない。(果たして子育てに『上手い・ヘタ』なんてあるのか?)


それでもいいじゃないか。


子供をほったらかしていたとしても、一応うちの父だって”社会に出ている”わけだし、確かに父には何か足りてないところが多々あるように見受けられるが、僕だってきっとそうだろう。



最近は『ワーキング・ウーマン』とか『ベスト・マザー賞』とか、なんだかひとりの人間として生きていく本質を見失ったような理想だけを掲げられ、そうでない人は「あの人はダメだ」といった声や視線を感じそうな社会になってしまっているけど、そんなことどうでもいい。


彼女みたいに働かず、子どもが多少わがままに育っても、夫の横でいつもにこにこと口角を上げ一族を見守るだけの存在がいてもいいじゃないか。



トランプ元大統領のメラニア夫人。まさに『トロフィー・ワイフ』の極みのような存在。
きっと嫌なこと/言いたいこともあるだろうが、何も言わずに夫の横にいるだけの存在。

仮にメラニア夫人が意見を言い出すご夫人だったらどうだろう。夫のことだけでも職場の人間は大変なのに「私はこうしたらいいと思うわ」の一言だけで現場は更に大混乱。
メラニア夫人がああしてニコニコ立っていることで世界が穏便に進むならいいじゃないか。


『トロフィー』
男が好きなもの。飾りたがるもの。いつも磨かれ、綺麗でなければならないもの。



全ての孫には平等におばあちゃんが二人いる。技術的には。

二年前にもうひとりの母方のおばぁが亡くなったが、それぞれが全然違うなんてラッキー。



これですべての祖父母が亡くなった。

僕には四分の一、トロフィーの血だって流れているんだ。



クスっと笑えたら100円!(笑)そんなおみくじみたいな言霊を発信していけたらと思っています。サポートいつでもお待ちしております。