色川 武大『うらおもて人生録』を読んだ
『うらおもて人生録』という本を読みました。
以前ツイートしたことがあったのですが、オンライン本読み会でお知り合いになった方からおすすめしていただいたのがきっかけです。
読んでからかなり時間が経ってしまったのですが、所感を残しておきたかったので記事にすることにしました。
まず全体の感想を一言で言うと、波長の合う著者だなあと思いました。
話しかけられているような文体なのですが、馴れ馴れしい感じではなくて、親戚のおじさんの話を聞いているような感覚。
それは、著者の良くも悪くも卑屈で内向的な性質が言葉の端々から十分すぎるほど分かるからだと考えます。
それを最初に強く感じたのは、13ページの「死ぬことが、なんだかあたたかい布団の中に入るような気がしてきたんだね」という文。死を過剰にマイナスに捉えず、そのまま受け入れてしまうスタンス。
私は底抜けの明るさよりも多少の暗さがある方が人間らしいと思ってしまう性質なので、こういう言葉を吐く人は信頼できる!と思って読み進めていきました。
人を好きになること
序盤の主要なトピックのひとつに、「人を好きになること」がありました。それは単純な恋愛に限ったことではありません。むしろ、もっと大きな括りでのことなんだと思います。
うんと小さい時に人を好きになって、そういう無償の行為に近いものをいったん肌で覚えておくのは無駄なことじゃないね(p.15)
(注・小中で好きだった人たちのことを思い出して、)また一緒になればいいな、と思う。めめしいんだな、だけれども、50年、ほとんど一生に近い間、変わらずそう思ってるというのは、やっぱり、相当なことだぜ(p.20)
こういう文章で救われる人がいるんだな、と思います。
だって私がそうだから。
誰かのことを想っていたということを身に刻んでおきたい、とある時期からずっと考えています。私の場合、「うんと小さい時」のことではありませんが。同時に、自分の気持ちが過去に埋もれて、年月とともに薄れることはどうしても避けられず、いつか苦しかったり傷ついたりしたことさえ思い出せなくなるんだろうかと、ささやかな恐怖を覚えています。
そんなことを周囲の人に零すと、9割は「忘れた方がいい」と返ってくるのですが、この本では違ったのが私にとっては救いでした。
私のそれが「無償の行為」だったのかは分かりませんが、それに近いものにまだ縋っている自分を許そうと思います。そして10年、20年と時間が過ぎてもなおその感覚を覚えているのならば、むしろその相当な思いを誇りにしたい。今でもこのことに関して既に映像か舞台か何かで作品化したいと思ってるくらいですしね!私は執念深いですよ…!いつかこれを読んでくださっている人にお目にかけたいです。ふふ。
個性と付き合う人生
終始、著者は「自分は劣等生であり、それを認め、それならではの生き方をしてきた」ということを語っているのが印象的です。
とりあえずこう思ってくれ。劣等生でもいいけれども、せめて魅力的な劣等生になってやろう。(p.144)
(注・この「魅力」について)今、強引に一言でいうと、自分が生きているということを、大勢の人が、なんとか、許してくれる、というようなことかなア。(p.145)
私も、自分は劣等生だと常々思っています。きっと人並み以上に挫折もしてきたし、コンプレックスは山ほどある。「普通」の枠に当てはまるように振舞うのが苦手。
その劣等感から解放されるには、一番手っ取り早いのが「諦める」こと。
人と比べて、劣っている自分にひたすら落ち込んでいてもしょうがない。そう簡単に変えられることではないことをどうしようもないと受け入れることが出来れば、くよくよ悩んでる無駄な時間から解放されますよってよく言われますよね。
でも、それが出来たら苦労しませんよね?
というか、自分の嫌なところをどうにかマシにしたいと考えていることって私にとっては進化しようともがいているということの現れだと思っています。美徳に近いかもしれない。
この考え方が正しいと言いたいわけでも、この考え方を伝播させたいわけでもありません。ただ、元来こういう考え方を持っている人間はどうすればいいのか。その答えに近いのが、著者の言う「魅力的な劣等生になってやろう」と決めることだと思います。
それはどういうことかというと、その欠点から得た感性を唯一無二のものとして武器にするということです。
欠点であろうと長所であろうと、原材料にかわりはない。人はその特長に依存して生きるのだから、まず特長を手の内にいれることが必要なんだな。(p.250)
著者の例を借りると、著者は自分の欠陥を「だらしなさ」だと言います。
そして、自分でそれを周りの人に提示して、「人が整頓や清潔に使う時間を何に使っているのか?」と感じさせたらこれも一種の魅力として昇華できる、ということです。
欠点を気にしないというのは私には難しい。ただし、その欠点の使いどころやニーズを見出して、それを魅力として昇華しようともがくことはできる。
「もがいている間はまだ先があるように思えるから気持ちが楽」っていう私のような考え方の人はこうやって短所を飼い慣らせばきっと良い方向に向かえるのではないかな。
「一病息災」で、そのひとつの短所と向き合う。
先述の「短所を魅力に昇華することで劣等生なりの生き方ができる」という考え方の延長線上に「一病息災」を大事にしようという考え方を筆者は提示します。
短所、苦手なことを無理にやろうとすると、そこに全力がかかって、それをカバーするために生きているようになってしまいます。それだと本来の持ち味が活かせません。
だから、「一病息災」なのです。欠点である「一病」を無理に矯正しようとするのではなく、軽い一病と共生することを受け入れ、全体として健やかに人生を形成できればいいよね、ということです。
ただし、あくまでも許していいのは一病だけです。二病も三病も許していたら何もできないので、他の短所は無理してでも治すべきだと著者は言います。さらに、選んだ「一病」も、致命傷になるようなことは避けなければならないとも。なぜなら、「軽い一病」でないと「息災」たり得ないからです。
そう考えると、「一秒息災」とか「短所を魅力に…」というのも、なかなか努力が必要なことだなと気付かされます。短所を受け入れるということは短所をほったらかしにして甘えるということとは別物なんですね。
ついつい努力をしなくていい方法を探しがちなので、釘を刺されたような気持ちになりました。何かを望むなら、少なからず努力をしなくちゃ。
最高の生き方、幸福とは
筆者は、最高の生き方を見つけるには、「正反対のものを、すくなくとも二つやってみること」と言います。
たとえば、勉強をしたら遊ぶ、都会に住んだら田舎に行く、大酒を飲んだら禁酒してみる、といった具合です。
そうしているうちに、両方の「最高」がわかってくるとのこと。
視野を広く持って、色んなことに挑戦してみることで、自分に向いているものを見つけられたり、自分と相性の良いものと出会えたりするんですね。
私も、いろんな偶然や小さなことが積み重なって、演劇を人生の軸にしたいと思うほどになりました。私の場合は意図的にそうなったわけではありませんが、最高の生き方のために自分が本当に大事にすべき物事を見つけたいならば、とにかく色んなものを見聞きしたり、体験することは本当に大事だと思います。
そして、その軸が定まった後のことについて、著者は以下のようなことも言っています。
ただ、幸福になりたい、と思っているだけでは、散漫になってしまって、どうやっていいかわからない。医者になれなければ、死んだ方がいい。そういう思いつめ方は、料簡がせまいように見えるけれども、そういうことって、わりに大事なんだな。人間は、結局、ここでけは死んでもゆずれないぞ、という線を守っていくしかないんだ。その、ここだけゆずれないぞ、という線を、いいかえれば、自分の生き方の軸を、なるべく早く造れるといいんだがなア(p.279)
つまり、確固たる自分の軸を持ち、それを死ぬ気で守るべきだということです。
誰かの決めた幸福の定義や水準ではなく、自分で決めた軸でしか、人は本当に幸せだとは感じられないということだと思います。
つい、世間の声や数の多い考え方へと引きずられて、それを絶対的な理想と錯覚して現状とのギャップに苦しんでしまうことも多いですが、本当に幸せだと思った瞬間のことを思い出してみると、どんなに小さなことでも自分の本懐を遂げたり、自分が大事にしていることを守れたりした時なのではないでしょうか。
茨木のり子さんの詩の一節に「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という言葉がありますが、私はこの言葉はこの「最高の生き方」を見つけるにあたって大切なことを端的に表しているような気がします。いつも胸に置いておきたい詩です。
まとめ
長々と書いてしまいましたが、総括すると、「気張りすぎず、でも信念は曲げずに自分の個性とともに健やかに生きて行こう」ということだと私は受け取りました。
毎日自分の人生をやり過ごさなきゃいけなくて誰もが大変だけど、時々他人の人生観に触れてみるのも新たな発見や安らぎがあっていいのではないでしょうか。
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