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2020/11/13『フリムンシスターズ』観劇

初めて公演配信のチケットを買いました。

上京するまでは近くで公演をやっているようなところがなかったので、専ら映像での観劇だった私。しかし、劇場での観劇体験を味わってからはこれに勝るものはないなと感じるようになってしまったので、劇場観劇主義です。したがって、このコロナ禍の公演映像配信が盛んになってきた昨今も配信というものを敬遠していた節がありました。

Twitterを何の気なしに眺めていたら、この公演チケットのプロモーションツイートが流れてきて、このメンツなら間違いないと思ってすぐにチケットを購入。

配信だと、劇場に向かえなくても今上演されているものと時間だけは共有することができる。DVDなどのアーカイブと決定的に違うのはこの点ですね。

私は時間も空間も共有してこその演劇だし、配信と劇場での体験が同じ物にはなり得ないと考えています。でも、コロナ禍で配信型演劇を観ることが増えて、「そういえば身体の状態や仕事のスケジュール、家庭の事情などによって劇場へのアクセスが困難な人だっているんだよな…」ということに気付きました。そのような「劇場から隔絶された」人々のひとまずの救済措置になり得るという価値も配信にはあるのだな、とつくづく思います。

私も地方にいた頃は生で観ることのできないフラストレーションと観劇体験の乏しさからくるコンプレックスが渦を巻いていましたことを思い出しながら。

自宅が劇場にはならない

さて、開演時刻になり、PCの前でわくわくして演者の登場を待ちます。

が、

映像の乱れが気になる…!

画面が時折モザイク状に乱れて集中できない…。

我が家のネット環境のせいなのか、配信者側の問題なのか…。生だったらこんなことないのにな…と開始早々ちょっと残念な気持ちに。もちろん、アップで俳優の表情や微細な仕草が見えたりするのは配信ならではの魅力ではありますが。

とはいえ、ほとんどは安定していた映像だったので我慢できる程度かとは思います。


奇想天外なキャラクターたち

以下、ネタバレ含みます。



物語は、ゲイバーのオーナー〈ノブナガ〉が過去を回顧しながら語り手的に進めていきます。

舞台上では、どうしようもない人たちが決して良いとは言えない状態で生きているさまが描かれます。

まず、コンビニに住み込みで働く〈ちひろ〉。コンビニの店長と不本意でありながら無気力な不倫をしています。

彼女は人ならざるものが見える体質で、彼女の傍にはいつも〈バスタオルおじさん〉がいます。その体にはでかでかと「今治」と書かれているので、愛媛県出身の私は思わずニヤリ。

そして、落ちぶれかけの女優〈みつ子〉とその親友でゲイの〈ヒデヨシ〉の登場。みつ子は、過去に妹を轢いて足を不自由にさせてしまうという事故を起こしてパニック障害になっていました。10年ぶりの大舞台の主演が決まったものの、稽古初日から上手く行きません。

また、ちひろを「コンビニ幽霊」呼ばわりしストーカーまがいの行動をする〈ジョージ〉は、首吊り癖のある青年。

ちひろと同じくコンビニで働く韓国人でゲイの〈キムさん〉や上辺は優しくにこやかなのに誰よりも腹黒いみつ子の妹・八千代など、癖の強すぎるキャラクターたちが揃い踏みです。


暗い現実を振り切るような華やかな舞台へ

内容に関しては、全編を通して、現実を皮肉って「この時間だけでも楽しくいようぜ」というメッセージを強く感じました。

細かい部分で言うと、みつ子が控える舞台の稽古で歌われる「辛気臭い演劇ほど褒められがちだから」というフレーズは、明らかに悲劇偏重主義に対する皮肉でしたし、物語の根幹にLGBTQのコミュニティをフィーチャーするのも時勢の流れを汲んでいます(このコミュニティに属する人々を敢えてステレオタイプ的なキャラクターとして見せるのも、偽善的な感じがなくて私はむしろ好感を持ちました)。

また、ヒデヨシがみつ子の共演者たちをアマギフで買収してみつ子をおだてさせたり、コンビニの雑誌コーナーで成人向け雑誌と混ぜて田中みな実さんが表紙のファッション誌を並べたりするのも、ごく限られた今という期間だからこそ通用するジョークであり、これらも現実を反映した要素のひとつですよね。

先祖からの声が聞こえるちひろは、先祖から言われて東京に来て、偶然コンビニの店長に出会い、先祖から「出会った者の奴隷になれ」と言われて住み込みのタダ働きを始めます。店長の性欲の捌け口になることも含めて。全てがオートマティックに進んで行く世の中で、受動的に生きていけてしまうことを示しているかのようです。

一方、「オカマ」たちに目を向けると、「ゲイが踊りゲイが歌い、ゲイが観る、ゲイの自己完結が実現する劇場を作りたい」という夢に向かって奔走していました。私はこの表現を聞いて、同性愛者を誤解した発言を想起しました。生殖するかしないかで「生産性」を測ったり、まるで性的指向は伝染するかのように言ったりする人たちがいるようですが、同じ指向を持つ者同士で楽しみを共有して何が悪いのでしょうか。「自己完結」という言葉は、そういった人たちの発言に対するアンチテーゼに思えます。

そこに敵対する存在が現れるのがエンタメの常。店長の弟も所属していた「伊勢丹のムードを愛す会」に「オカマ」たちは排斥されます。LGBTQが差別されているのを現前化しているのですが、「お前ら2丁目は伊勢丹に近過ぎる」とか「3丁目が伊勢丹を守り切れない」とか言って…

これ新宿を知らない人じゃないと分からないネタじゃん!!

と地方出身の私はちょっとヒヤヒヤしつつもこの限られたコミュニティにしか分からないネタこそ演劇的…!と思ってニヤニヤしてしまうのです。だって昔の歌舞伎もそうですからね。

このような困難がありながらも、宝くじで2億円が当たったヒデヨシ。そこに妹を轢いたみつ子から「今すぐ来て」との電話。恋人である〈ヒロシ〉が自分が換金しに行くと言ったので、ヒデヨシは渋々彼に任せてみつ子の元に向かったのですが、いつまで経ってもヒロシは帰って来ませんでした。つまり、2億円を持ち逃げされたのでした(しかしこれにも訳があった)。

みんな上手く行かずにのたうち回っている。四苦八苦しながら生きている自分の毎日に重ね合わせて、舞台上で繰り広げられる悲喜こもごもにただならぬシンパシーを感じます。

そして、そんな一筋縄ではいかない事情を持った「フリムン(=気の触れた)」の女たちが出会って、物語がさらに大きく動き出そうとするのですが、そろそろ1幕も終盤。

ことあるごとに八千代が慎ましいふりをしながらもひけらかすように歌い出すのが面白いのですが、この辺りのナンバーで「1幕が終わる予感がする」というフレーズが。さらに、「パンフレットを広げて知らない役者の答え合わせ」なんていうメタ発言のオンパレード。少し集中力が途切れそうなタイミングでこれを投入するのが、エンタメとしての手腕が素晴らしすぎる松尾スズキさん。

1幕が終わるところで照明に照らされる長澤まさみさん、ほんとに綺麗でした。美しさは舞台の才能のひとつだと思います。


2幕が始まると、1幕でいきなり謎の死を遂げたキムさんがノブナガと同じ世界にいます。この辺りで分かってくるのが、ノブナガたちのいる世界は死後の世界だということ。つまり、ヒロシも既に死んでしまっているんですね。そしてヒロシは、宝くじの2億円を持ち逃げしたのではなかったということも発覚していきます。彼らの死因が次々に明らかになる伏線回収が鮮やかで小気味良いです。

ちひろとの問答によって、妹を撥ねてしまったことを謝ることを決意したみつ子。妹の元へ向かうと、彼女は自分と同じく身体の障害によってミュージカル俳優を諦めた仲間たちとパーティーをしていました。

このかつてミュージカル俳優だった身障者たちの描写は、なかなか見た目として直接的すぎるというか、表面上だけで表現してしまったな、と思ってしまいました。これは賛否を生むのではないかと思います。少し笑えない雰囲気が漂ってしまったような。

他の属性のマイノリティに対してもそうなのですが、劇中で差別的な言動をする人物が登場することによって、それに対する反対の意志を表示する人物を作品自体の主張として強調できるという効果はあると思います。しかし、マイノリティの表現を単なるモチーフとして登場させるのは作者に差別意識があるように見えてしまいます。物語全体としては、差別なんてつまんないもの跳ね除けて楽しく生きていこうというメッセージを受け取っただけに、少しこういう部分が気になってしまいました。

そのような点もありましたが、物語が終盤に差し掛かり、様々な事実が明らかになっていきます。バスタオルおじさんが実は亡くなったちひろのお父さんだったとか、ちひろが従っていた祖先は本当はちひろの祖先ではなく、間違った教えを説いていただとか。みつ子とヒデヨシと出会い事件に巻き込まれたことで停滞していたちひろの人生が動き出します。無気力に生きていたちひろが目的を持って生きて行くようになるのです。

ちひろの決意の言葉、「間違った指図にヘラヘラ笑いながら自由を差し出すのはうんざりだ」というのが物語の最後に開催されるLGBTQ差別抗議デモのスローガンにもなります。

ボロボロな状態だけど強く生きようとするフリムンシスターズを応援し続けたくなるような、明るく楽しいナンバーで幕。

現実のほとんどは暗くてつらい。私も毎日が塵のようにただ過ぎ去っていると思ってしまうことも多いです。でも時々こういう明るく華やかな夢を見ることが出来るならば、現実に希望なんかなくてもいいとさえ思います。もちろん、現実の間違った部分にNOという意思表示をしている作品ではありますが。それくらい、現実に辟易している私が欲していたエンタテインメントだったということです。

総括

気になる点はあったものの、楽しくて華やかな作品で、観終わった後は元気をもらえました。松尾スズキさんの他の作品も観てみたいと思います。2014年版の『キレイ』は家に映像があるはずなので、近いうちに観たいです…!

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