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【書評】本谷有希子『ぬるい毒』

※2019年度、大学4年のときに第10回明治大学図書館書評コンテストで特別賞を受賞したときの作品です。本来は明治大学図書館のサイトで読めるはずだったんですが、公式でアップされる兆しがないのでここに寄稿します。

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わるいものには言いようのない引力がある。

蝕まれれば破滅するのが目に見えていても、どこかで妖しいその刺激に惹かれてしまうものだ。この物語も然り。読者の心をじわじわと侵す魅力がある。まるで毒のように。


19歳。地方の短大に通う熊田由理のもとに、向伊と名乗る男から電話がかかってくる。彼は高校時代に借りたものを返したいと言う。由理は不審に思いながらも向伊と会うことになる。このときから、退廃的で掴みどころのない「魅力の塊のような」向伊との関係が始まるのだった。


由理は取り憑かれたように向伊に執着する。常に飄々としていて、人を侮辱することを何とも思っていないような向伊は、確実に由理を消耗させた。

「朝起きると、私の一日は向伊を許せる日と、許せない日に分かれた。」


2度目に向伊に会ってからの1年間、由理がどれほど向伊に対して激しい感情を持っていたかが分かる一文だ。怒りは高まっているのに、由理は沼を進むように向伊との関係を深めていく。彼に惚れている普通の女だと誤解させるべく、彼の指示通りに好きでもない男を振り回し、家族を裏切り、自尊心を犠牲にする。全てはこの得体の知れない男を転覆させる唯一の人間になるために。


第三者として見ると、由理の行動は不可解だ。なぜこれほどまでに向伊に執着出来るのか。他の人たちとは違うと認めてほしい、唯一の存在になりたいなんて、一見すると恋愛感情だとしか思えない。私が初めてこの本を読んだ高校生の時はそう思った。しかし、21歳になった今、向伊は由理の救世主だったのかもしれないと考えている。


由理は、23歳のとき自分の目が拓けているかどうかで全てが決まると思っている。高校を卒業し、19歳できれいになった自分の輝きが、だんだん失われていくことを知っている。彼女にとっては毎日が23歳までのカウントダウンなのである。その中で向伊と出会い、半強制的に由理の世界は変わった。その結果、彼女は彼女にとって一番の破滅から脱したのだ。その破滅は何なのか、ここで書いてしまうのは無粋が過ぎる。是非、読んで確かめてほしい。


この物語は、いくつもの要素がその解釈を読者に委ねられている。物語の結末で由理は破滅したと捉える人もいるだろうし、向伊はやはり悪魔だったと思う人もいるだろう。この本はまるで、読者が何を経験してきて、何を考えているかを映す鏡のようだ。私が初読時と今とでは読み方が変わったのも、大人になるにつれて色々なことを経験してしまったからだ。


私が23歳になったとき、どのような見方をするのだろうか。そのとき私の目が拓けているとしたら。


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〈おまけ〉

「私が初読時と今とでは読み方が変わったのも、大人になるにつれて色々なことを経験してしまったからだ。」と言うのも、勘の良い人ならすぐに分かると思いますが、「恋愛経験を積み重ねたから」と言い換えられます。

積み重ねるってほど経験豊富ではないんですけどね!

とはいえ初読時に16歳やそこらだった私も、成人するころには年相応に、人並みの経験はして(しまって)、夢想していたよりも苦い恋愛を味わったりもした。

この件に関しては、また改めて書こっかな。

私の内面にしまっておくのもいいけど、こんな人もいるんだっておもしろがってもらったり、自分だけじゃないって安心してもらったりできたらいいな。私の人生を使い捨てにしないためにも。誰しも悲劇のヒロインになった自分に酔ったっていいし、幸せならそうと叫んだって良い。

自分の人生を否定するも肯定するも自由、そこだけは他人の手は届くまい。




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