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「戦う姫、働く少女」批判

「戦う姫、働く少女」は、基本的には、かなり興味深く読んだのだ。かなり面白かった。しかし、時々あらわれるフェミニスト的文法に、かなり苦々しいものを感じた。
その苦々しさの内実を、掘り下げて考えてみたい。

トップバッターの「アナ雪」批評については、なるほどと思うことのほうが多かった。
たぶん、以下の要約で、大体の論旨は捉えられていると思っている。

アナ雪
新自由主義的な文脈におけるフェミニズム(第三波フェミニズム、社会的連帯ではなく個人の意思と能力により積極的に市場参画し、女として、妻として、母として成功しよう、という価値観)における、いわゆる勝ち組、負け組の相克と融和が、主人公姉妹に重ねられている。
彼女らの融和は家父長制の否定によって達成される。しかし、大団円で示されるそのビジョンは、まんまディズニーランドであるわけだが、考えてみればそれは、奴隷労働からの搾取によってこそ成立するものである。それでいいのか。

ちなみに、本書で語られるフェミニズムの歴史を、以下、ざっくりと要約しておく。

第一波
参政権、財産権の獲得

福祉国家(60年代)
大量生産、消費 フォーディズム
核家族
性差別の制度化
ケインズ

第二波(ウーマンリブ)
法制度では覆いきれない女性の権利
働く権利、職場での平等、主婦の権利、教育への権利、中絶の合法化 等

新自由主義(80年代)
サッチャリズム、レーガノミクス
個人の競争 ハイエク

第三波(ポストフェミニズム)
社会的連帯でなく、個人が個別に市場に参入することで「女としての私」の目標達成
企業フェミニズム
勝ち組、負け組
トリクルダウンフェミニズム
やりがい搾取 労働の女性化
非物質的感情(情動)労働 コミュニケーションにもとづいてコミュニティを生み出す労働
ポストフォーディズム

第四波
MeToo等
貧困の再生産

おそらく著者は、第三波フェミニズムを一定程度肯定的に捉えていつつも、それでいいのか、と、思っている。
そうした視点、問題提起には、非常に共感する。

では、どこが苦々しいのか。
最大の象徴的表現が「小泉政権が、郵政民営化により、新自由主義を完成させた」のくだりである。
なんだ、その極論は。
日本社会とは、個人の自主独立という概念において、そもそも近代の導入に失敗し続けている社会である。政治経済の仕組みやルールを、どこまでいじくったところで、この国では、新自由主義は、永遠に訪れることはない。
訪れていいものでもない。
いまあるのは、新自由主義風のファッション、スタイル、ポーズ、建前である。そしてそれらはしばしば進歩的で開明的であるかのような扱いを受ける。そのファッションを着こなした人間が、社会的、経済的ヒーロー(またはアンチヒーロー)として持て囃される。
しかしその内実は、人間の、独善的で怠惰で、自己中心的な、手前勝手な「弱さ」の部分を、ダークサイドテクノロジーによってhackした、ネオ封建主義とでも言うべきものなのである。

こういうことを扱う手つきが雑なものだから、「魔女の宅急便のキキは、やりがい搾取だ!」みたいな暴論が飛び出してくるのである。
たぶん、この本を読んで、心底腹が立ったのは、このくだりである。
本書中盤における著者の主張を、ざっくりと要約すると、以下の通りである。

キキにかけられる「笑顔を忘れずに」の言葉は、ポストフォーディズムにおける「いいね!」獲得圧力の呪いを象徴している。つまり感情労働を無償で強いられ、搾取される今日の女性のあり姿を表している。
パン屋の主人はフォーディズム労働(規格大量生産)の象徴である。その証拠に、彼はいつも無愛想である。
キキとウルスラ、パン屋の彼を同列に並べるのはおかしい。
逃げ恥や家政婦のミタ等のドラマも、同じ問題を扱っている。
本来、労働(苦役)には、見合う対価が必要であるのに、これを無償で提供させられたり、安く買い叩かれるのはおかしい。

パン屋=フォーディズム、という発想の飛躍は、なんというか、苦々しいを超えて、呆れるしかない。
なにを言ってるんだ、この著者は。
魔女の宅急便で語られる「血」の概念は、自分の持って生まれた能力を、いかに社会に結びつけ、暮らしていくか、ということを語ろうとしているだけである。
パン屋の主人は、普段は確かに寡黙だし無愛想だが、彼は彼の作品を通して、精一杯の笑顔を、社会に対して向けている。

キキ=やりがい搾取、みたいな図式を作っているのを見ると、この人、社会がわかってないな、ということが、一目瞭然となってしまう。そこに、ガッカリしてしまう。

社会を見るフレームとして、一定程度、有効なものを示しているし、問題提起の方向性には、共感するのだ。しかし、こうした部分で馬脚をあらわしてしまうのは、まったくもって、勿体無い限りである。
結局のところ、あなたがたは、好きな映画やドラマを眺めて、言語遊戯に明け暮れていたいだけなのでしょう?と、思わざるを得ない。
苦々しい限りである。

本書終盤は、まぁ、端的に言って、漫画版ナウシカを礼賛したくて書いているだけのものに見える。部分的には同意できる内容もあるが、こういう形で本にするほどの内容とは思えない。

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