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千利休の肖像画ふたつ。天才の胸の内。

ごきげんよろしゅうございます。
今日は簡潔に、言葉は尽くさず感じ取ったことをそのままネットの流れに置きたいと思います。

最近、利休さんについて知りたくて、いくつか書籍を購入。
パラパラと眺めていて初めて知ったのですが、利休さんの生存中に描かれた肖像画はたった1枚。
同時代を生きた絵師、長谷川等伯が描いたと伝わるものしかないのだそうです。

正木美術館サイトより

長谷川等伯が故郷の七尾から京都へ仕事の場を移して、徐々に大きな仕事が舞い込んできた頃の筆とすると、50代の仕事盛りの頃に描いたものではないでしょうか。
狩野派でも土佐派でもなく、長谷川等伯に肖像画を描かせるところに、なんとなく利休さんの人柄がわかります笑

長谷川等伯は天才なんだけれど、ちょっと難しい人です。
描きすぎるというか。
説明が難しいのですが。
滅多に肖像画は引き受けなかったのは、人間を描いてもあんまり面白くないとか、もっとシンプルに襖絵のほうがギャラがよくて、肖像画のような人に気を遣う仕事を嫌ったのでは、と邪推しています笑。

そういう気難しい絵師をその気にさせて、等伯になら描かせてもいいと許すのは、なにか通じるものがあって気心が知れた仲だったのでしょう。

同じく、長谷川等伯が利休の死後に描いた肖像画です。

利休さんは口元と耳に特徴があって、すこし猪首の人。
生前のものより表情が穏やかに見えます。

生前の肖像画も、死後のものも、長谷川等伯が描いているのは、京都で出世をする足掛かりを作ってくれた恩人というのもあるでしょうが、やっぱり
「同志」
として友情があるのだと思う。
天才画家と天才茶人が実際に会って、意気投合して芸術論を戦わせていたのかもと想像するのは胸アツですし、もしかすると秀吉の悪口を言っていたかもしれない笑

千利休が完成させた
「わび茶」
には、敵と味方がひんぱんに入れ替わる時代、人を信じれば命取りになるゆえ誰もこころの内に入れない人の抱える葛藤が匂うのですが、ひとりでもわかってくれる人がいたならば救いがあります。
利休さんの最後の茶会に用いた茶杓の銘が
「泪(なみだ)」
なのが、気の毒で、気の毒で…。

2月28日は利休さんが切腹して命を終えた日です。
あまりスピリチュアルは信じていないけれど、胸の内を垣間見ることを許されたような不思議なご縁を感じます。

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