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「日本の五感 小堀遠州の美意識に学ぶ」

面白い本がKindleに収録されていました。
今ならセール価格で購入できます。
これは、すごい本…。
行間から迫力がにじみ出ています。

茶道遠州流の十三世家元が、どのように茶の湯と向かいあっているのか、千利休や小堀遠州という歴史上の茶人をどう見ているか、かなり踏み込んだ話がされています。

茶道を稽古してきた人のエッセイや、初心者向けの解説本は数多くありますが、生まれついて継承する立場にあり、人生をかけて研鑽する人の視点に触れる機会は滅多にないのです。
正直なところ、庶民には別世界が過ぎます笑
だって、

茶道具で重視されるのは製作者。
次に大事なのは由来。

そう言われても、歴史に名前を残す茶人や大名家が所蔵していた茶碗が家にある人はいないと思います…。
茶会に招かれる客も、交わされる会話もアッパーすぎて、抹茶のお味が青汁に感じるほどです。
「ゴルフ興味あるんです、教えてくださ〜い!」
と、お願いしてみたら、レッスンにタイガー・ウッズが来てしまったような申し訳なさがあります。

軽口はともかく。
マインドフルネスや安らぎといった方向で捉えられがちな茶道の奥の院での、主人と客とのインテリジェンスの競い合いのスリリングなこと!

茶会を構成するファクターを駆使して意味を込め、挑発し、仕掛けを読み、お互いに相手の力量を推し量る。
狭い茶室に情報と思惑が満ち満ちて、緊張感がありながらも心地よい時間を共有できるのがお茶の道なのでしょうか。
この奥深さ、ぜひ感じてみたい。

茶道では
「わびさび」
提唱して、その心は藤原定家の和歌

みわたせば 花ももみぢも なかりけり 
浦のとまやの 秋の夕暮

にある、と言い伝えられるそうです。
これはピン!と来るところがありまして、例えば

あかあかと照る満月よりも、おぼろ月
満開の桜よりも、ふり散る花
玉の御殿よりも、山里の庵

整い極まったものより、盛りをすぎ衰えたものに心を寄せることこそ、もののあはれを知る人。
そんな理想があるように思います。

一時代を築いた名歌中の名歌、新古今和歌集の代表作を侘茶のこころにあげられてしまうと、これはもう、わかるしかないのです。
この世に確かなものはなく、すべて移り変わり流れていくのだから、いま、ここの一瞬に命を賭けろ、ですね。
今日はややこしい話になってしまいました。

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