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あなたの沖縄・執筆者紹介──「沖縄への気持ちや葛藤を単純化したくない」

 90年代生まれが個人的な体験から沖縄を語るコラムプロジェクト、あなたの沖縄。様々な職業に就く約40名の執筆者が参加しています。でも、もっと多くの同年代に沖縄を語ってほしい。そんな思いから、あなたの沖縄の執筆者に、沖縄を語り始めたきっかけについて聞いてみました。

 今回ご紹介するのは、これまで2本のコラムを執筆した山里晴香さん。大学進学をきっかけに上京して、仕事をしながら現在製作中のZINE第二弾に編集として参加してくれています。そんな山里さんに、あなたの沖縄との出会いや沖縄への想いについて聞きました。(取材・執筆 西由良)

山里晴香(93年生まれ 那覇市出身)

沖縄県那覇市出身。とまりんの近くで育つ。大学から上京し、現在は都内で会社員。音楽や映画、小説が好き。帰省したらジュンク堂で本を買う。エイサーの地方(三線を弾く唄い手)を少しやっていたことがあるので、また練習したい。

複雑な想いを、そのまま言葉に乗せる

──昨年の秋に初めて「心霊写真とユタと」というコラムを書いてくれました。どうして、山里さんはあなたの沖縄に参加してくれたんですか?
 友人からの紹介です。大学の友人から「沖縄出身で気が合いそうな人がいるから紹介したい」と言われて会ってみたら、それが主宰の由良さんだったんです。でも、由良さんに会う前から、SNSで流れてきたあなたの沖縄のコラムを読んでいました。同じ沖縄出身の同世代がこんな面白いことをやっているんだ、と。

──どのコラムを読んでいましか?
 最初は、「No Germancake, No Life」や「気まぐれポニーテール」を読んだ覚えがあります。タイトルに惹かれたんですよね。ハッとさせられたのは、伊良部島出身のタイラさんが書いた「窮屈と言わないで」。タイラさんは伊良部島のことを「フィジカル至上主義」、「バレーボールが上手ければ肯定してもらえる」と表現していて、同じ沖縄でもこれは自分の知らない沖縄だな、と。でも、なんとなく感覚としてはわかるなとも思いました。他にも、石垣出身の宮良さんの「島々からの見え方」も印象的でした。沖縄から内地へ向けられる目線についてはよく考えますが、沖縄島と島嶼地域のあいだにも同じような構造があると初めて気がついたんです。
 私の通っていた中学・高校は、沖縄の様々な地域から人が来る学校だったので、沖縄について知っているつもりでした。でも、私は沖縄のことをまだ何も知らないんだなって。普天間基地のある宜野湾市で育った玉元さんの「アメリカンドーナツ」を読んだ時も、那覇に生まれた私としては、こんな沖縄もあったんだと気づきがありました。

──たくさん読んでくれていたんですね! どうしてコラムを書こうと思ったんですか?

 自分と同世代の方が、故郷について単純化できない気持ちを人に伝わるように言語化していることに衝撃を受けて、「私もやりたい!」と思いました。あなたの沖縄って、誰かが書き起こすのではなく、当事者が自分で言葉を紡いでいくところが魅力的ですよね。当事者だからこその恥じらいとか、力強さとか、ユーモアがある。みんなクリエイターなんだなって思います。私も、そういう沖縄を書きたいと思いました。
 でも、同時にプレッシャーもあって。「自分の気持ちや体験が、こんなふうに言葉になるだろうか…?」と、怖さもありました。

──プレッシャーがありつつも、どうして書いてくれたんでしょうか?

 衝動ですかね。ずっと、沖縄に対する気持ちや葛藤を単純化したくないという想いを抱いていて。どんな物事でもそうですが、好きな面もあれば、モヤモヤすることもある。でも、沖縄を表現する言葉は、わかりやすいものが多くて、みんなが沖縄に対して抱えている想いを単純化してる気がしていました。それがダメだったり嫌だったりするわけではないのですが、自分の体験や沖縄への気持ちを、そのままの形で、複雑なまま捉えてみたかったんです。だから、自分が感じている、知っている沖縄を言葉にするために筆を執りました。

変化する地元との距離感 沖縄という土地への目線が変わった経験

──沖縄についてどんな思いを抱いていたんですか?

 沖縄を出てみたいとは思っていました。地元が嫌いなわけではないんです。高校3年生の文化祭では、エイサーの地方じかた(唄い手)をやって、とても楽しかったし、好きな文化だなと思いました。でも、その一方で離婚率が1位とか、DVが多いという現状もありますよね。世間では「沖縄サイコー」って言われることが多いけど、そうではない一面もあるな、と。後は、好きなバンドのライブに気軽に友達と行きたかったというのもあります。

──山里さんは大学から東京に進学しました。東京に出てからはどうでしたか?

 初対面で沖縄出身と言うと覚えてもらいやすくて。沖縄の引きの強さに初めて気づかされました。みんなが喜ぶと思って、A&Wの写真など、わかりやすく沖縄っぽいものをSNSに投稿したこともあります。でも、それは一時的なものでした。由良さんの「日本へようこそ」にも書かれていましたが、私も1、2回心無いことを言われたことはありますね。例えば「沖縄出身だから、あんまり文章が上手くないんですか?」と。言われた言葉に傷ついたというよりも、沖縄という場所だけで、そういう目線を向けられることがあるんだと驚きました。

──上京した人に話を聞くと、差別的なことを言われた経験のある人が本当に多いです。山里さんは、心無い言葉を言われてどんなことを考えましたか?

 大学生最後の春休み、帰省中に乗ったタクシーで、運転手のおじさんから聞いた話が印象に残っています。話の流れで春から就職して東京で働くことを話すと、おじさんが「自分も昔神奈川で働いていたが、その時はまだまだ沖縄は差別の対象だった」と教えてくれて。でも、安室奈美恵さんなど沖縄出身の人たちの努力や、沖縄サミットの開催で空気が変わったそうです。また、自分一人の印象で沖縄の人は怠惰だと思われたくないから頑張った、とも話していました。

 そういう一歩一歩によって、沖縄の認識が変わった。私はそういう土地の出身なんだなって感じました。周りの目線と闘いながら生きてきた偉大な人たちがいるんだ、と。

──山里さんは、現在制作中のZINEの編集メンバーでもあります。どうして関わってくれているのですか?

 仕事ではない創作活動ってすごく大変ですよね。会社の仕事は届ける相手や期限が決まっていますが、個人の活動は自由度が高い分、続けていくのが難しい。でも、こういう活動って細く長く続けていくことで見えてくるものがあると思います。だから、活動を応援したくて参加を決めました。

──今作っているZINEをどんな人に届けたいですか?
 特に、同世代の沖縄の人に読んで欲しいです。でも、別に沖縄と関わりがあってもなくても、カルチャーが好きな人に届くといいなと思います。お笑いや音楽、食べ物、伝統文化などいろいろな切り口があるので、そういうものが好きな人に読んで、沖縄への興味を持つきっかけになって欲しいです。私の担当している企画は、自分の知らない沖縄を体験しにいくっていうテーマなので、読んでみて、実際にやってみてくれる人が増えるといいなと思います。

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