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​​命名札〜我が家が「実家」になっていく〜

さまよう蟹(94年生まれ 西原町出身)

 命名札をご存知だろうか。子の誕生に際して、その子に何と命名したか周囲に知らせる目的で配るものだ。沖縄では、紙製の短冊型が一般的で、出産内祝いに添えられていることが多いようだ。
 私の実家や祖父母宅では、誰のものかわかるように、命名札の名前の横に「○○さんの長男」「○○の次女の長女」といった文字が鉛筆やペンで追記されていて、それが壁や冷蔵庫に複数枚セロテープや磁石で留めてある。私が子どもの頃は2〜3枚程度だったが、今では10枚を優に超えている。親戚宅でも同じような光景をよく見ていた。私にとって命名札は、誰かの「実家」を彩る特徴的な存在である。

 昨年友人が出産し、内祝いと共に命名札をもらった。印刷された名前を眺めて、無事に生まれてよかったと思いながら、何気なく自宅の冷蔵庫に貼り付けた。
 子どもの頃、自分とそう歳が離れていない子の命名札を、この名前は誰がどんな気持ちで名付けたんだろうと考えながら眺めていたあの日。木製の壁に長らく貼り付けられ、経年劣化し黄ばんだセロテープ。扇風機の風にそよぐ命名札たち。実家にいた頃の、両親や兄弟と祖父母・親戚宅を訪れていた頃の風景が急速に、鮮やかに思い出された。
 友人がくれたこの1枚をきっかけに、私の自宅が「実家」になっていく。これから、いろんな人のさまざまな思いが込められた小さな紙が、私の自宅を彩っていくだろう。たとえ引っ越しても、私は自宅には命名札を飾るだろう。壁や冷蔵庫に貼られた命名札という私の原風景を、未来の沖縄に持っていきたい。


コラムを読んだ「あなたの沖縄」メンバーからコメントをもらいました!

「私たちの命名札もほしかったな」
おばあの家に飾ってあったいとこやいとこの子どもたちの鶴と亀の大きな命名札を眺めながら、いつも思っていた。父は宮古島出身で6人兄弟の末っ子。東京出身の私たち姉妹の命名札だけが、おばあの家に、ない。幼いころから宮古に帰るたびに、どこか寂しく、羨ましかった。「昔は東京にもあったよ」と母。沖縄では、今も大切に受け継がれている命名札の文化。書道をしている私としては、いつか命名札、書いてみたい。つなげていきたい。

平良典子(99年生まれ 東京都出身)

命名札と聞くと色んなことを思い出して、生活の中に自然とあったんだなと感じる。
私のおじいの家には、孫や親戚の命名札がたくさん貼ってあって、私の名前も兄弟の名前もその中にあった。
自分の名前が大きく堂々と書かれているのを見ると、素直に嬉しかったし、自分の漢字も好きになった。
誰かわからない命名札もたくさんあって、知らなくてもたくさんの人とどこかで繋がっている気がした。
おじいが亡くなって、おじさんが家を建て替えたときに、これまで貼っていたたくさんの命名札はなくなった。
いつまでも貼っていたら増え続けるし仕方ないなと思いつつ、おじいの家にあった命名札の数にあの家があった長い年月を感じ、誰かが悩んで付けた名前が人の命を感じるものだったんだと気づく。
今、私の実家には、私の子どもの命名札が貼られている。
今はデザインも色々でかわいらしいものもあるけれど、鶴と亀が描かれた大きな命名札を選んだ。
実家で自分の子どもの命名札を見ると、私の親もおじいとおばあになったんだなと感じる。
子どもは命名札を見て、何を感じるだろうか。
これから実家に貼られる命名札が増えていくことを楽しみにしたい。

ハルサーの孫(92年生まれ 那覇市首里出身)

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