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キャンセルカルチャー:僕がバンドを去る理由

キャンセルカルチャー:著名人をはじめ特定の対象の発言や行動を糾弾し、社会的制裁を加えて排除しようとする動きのこと。

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発端は何気ないツイートだった。英国フォークロックバンド、Mumford & Sons(マムフォード・アンド・サンズ)のバンジョー奏者Winston Marshall(ウィンストン・マーシャル)は、運命の3月6日こう呟いた。

「新刊おめでとう、Andy Ngo。ようやくこの重要な一冊を読む時間が取れた。君は勇敢な男だ」

Andy Ngo(アンディ・ノー)は、長年に渡り極左集団ANTIFAを追い続けているアジア系ジャーナリストだ。黒装束に素性を隠してANTIFA内部に潜り込み取材を重ねてきた。ANTIFAや彼らに迎合するサヨク達にファシストだ極右だと罵られ、暴徒に何度も殺されかけながらも連日Twitterに生々しい現場の動画を投稿、保守系ニュース番組に出演したり、上院議会で証言したり、Newsweek誌を始め各誌に寄稿したりと、いわばANTIFAの第一人者である。

そのアンディ・ノーの新刊を読もうという、ウィンストン・マーシャルにとっては本当に何気ないツイートだった。


結論から言えば、マーシャルはこのツイートが原因で14年間苦楽を共にしてきた最愛のバンドを脱退することになる。そう、「キャンセル」されてしまったのである。


件のツイート後、瞬く間にマーシャルを非難する声が上がった。

「ANTIFAとはアンチ・ファシストの意であるから、その活動を妨害するアンディ・ノーは極右のファシストであり、そのアンディを勇敢と称し彼の『ANTIFAデマ本』を喧伝するウィンストン・マーシャルももれなくファシストだ」というのである。

ブルーチェックの著名人や大手リベラルメディアも大々的にマーシャルを批判した。ネットには彼に対する誹謗中傷が溢れ、ANTIFA達の脅迫行為が始まった。

「ファシストを許容している奴らもファシスト」ということで、攻撃対象はマーシャルの家族やバンドメンバーにも及ぶ。億万長者でありニック・クレッグ元副首相のアドバイザーも務めたマーシャルの父親、サー・ポール・マーシャルを中心とした裕福な家族構成が、ますますサヨク集団の憎悪に火を付けた。

多くの保守派やリベラル左派からは「モブ(群衆)に屈するな、毅然としていろ」と鼓舞する声が上がったが、愛する家族やバンドメンバーまで危険に晒してしまったマーシャルの耳には届かなかったに違いない。


マーシャルは問題のツイートを削除、代わりに声明文を投稿する。

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「僕が問題視されている本を推薦したことにより、バンドメンバーを含む多くの人達の気分を害してしまったことを申し訳なく思う。しばらくバンドから離れ、見過ごしていたことについて考えたい」というような内容だが、これがまた批判を呼ぶ。

極限まで先鋭化されたネットの社会正義は、白か黒か、敵か味方かを明確にするまで攻撃の手を緩めない。「わたしが間違っていました。これからはもっと勉強してあなたの意見に100%賛同することを誓います。同時にあなたの意見に従わない者を積極的に制裁します」と全面降伏しなくては総括から逃れることはできないのである。

さらにこの謝罪文は「キャンセルカルチャーに屈した弱虫」として、彼を支持していた者達からも怒りを買ってしまった。まさに四面楚歌、マーシャルは以降ひっそりと活動を停止する。


そして事件から3ヶ月後。既にネットがマーシャルのことなど忘れて他の誰かを叩いていた頃、文章投稿サイトmediumでマーシャルがエッセイを発表し、反響を呼ぶ。タイトルは「Why I’m leaving Mumford & Sons (僕がバンドを去る理由)」。

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冒頭、マーシャルは訥々とバンドの軌跡を語る。初めてのツアー。エディンバラの夜に汗だくで演ったステージ、ヴォルクスワーゲン・ポロに機材をぎゅうぎゅうに詰め込んで、翌日の昼にはカムデンへ。ベンのキーボードは車内に収まりきらず、電車で追いかけてくる羽目になった。マーシャルはツアーの途中で声を枯らし、口パクでしのいだ。

バンドの成長と共にUKツアーから世界へと羽ばたいた。大好きな音楽を好きなだけやってきた。大切な仲間達と才能を磨き合い、楽曲を通して希望や愛を伝える喜び。イプスウィッチのパブで演奏していたのと同じ歌を、10年後には8万人のアリーナで歌う。ファーストクラスで移動して、最高級ホテルに滞在して、結構な報酬を得ながら。

"I was a lucky boy," ウィンストン・マーシャルは振り返る。

"Who in their right mind would willingly walk away from this? It turns out I would. And as you might imagine it’s been no easy decision." (正気な奴ならここから立ち去ろうなんて思わないだろう?僕もまさか自分がとは思わなかった。想像できるだろうけど、苦渋の決断だった。)


そしてマーシャルは例のツイートからバンド脱退までの経緯を一つ一つ説明していく。彼は例のツイートが問題を引き起こすなんて全く予想できなかったという。コロナ以降、ソーシャルメディアで本の紹介をするのは彼の習慣となっていた。アンディ・ノーの著作も、数あるNew York Timesベストセラーの一冊に過ぎないはずだった。

マーシャルの親族のうち、13名がホロコーストで命を落としている。幼いことからファシズムの恐ろしさを教えられてきたマーシャルにとって、「極右のファシスト」というレッテル貼りは事実とは程遠いものだった。

過去に経験したものとは桁違いの嫌がらせや脅迫に、そしてその被害を受けたバンドメンバーや友人知人に、マーシャルの心は痛んだ。個人の集まりと言ってもバンドは一つの集合体として見られる。リードボーカルの名を冠したバンド名が誹謗中傷に晒されることも耐え難かった。

バンドメンバー達は反対したものの、マーシャルは例の声明文を出し一時バンドから距離を置くことにした。


謝罪と活動休止宣言は新たな怒りを呼んだ。「なぜ屈したのか」というわけだ。そしてメディアによる「右翼」連呼。「保守であることは問題じゃない。でも何でも是々非々の中道を自称する身としては、『左を批判したからこいつは右』みたいな政治の極端な双極化を憂う」とマーシャルは吐露する。


「"Why did I apologise?" (どうして謝罪したか?)なんて、僕はただ愛する人達を守りたくて必死だったんだ。僕が誤って叩いた蜂の巣から飛び出てきた黒い軍隊は、僕のバンドメンバーも家族も攻撃した。僕のやらかしたことで彼らが苦しむのだけは避けたい、それをいちばんに考えていた。」

「それにひょっとしたらアンディ・ノーや彼の作品に関して僕がまだ知らない事実があるのかもしれないし、ならば耳を傾けなければならないと純粋に思ったんだ。」

「それから僕は本を読み、話を聞き、考えを巡らせた。だけど真実はね、極左集団を取材したあの本に対して僕がコメントをしたことは、僕がその対極にあって同じくらい嫌ってる極右集団を称賛しているに等しい、なんてことにはならないんだよ。そして自らを危険に晒しながら過激派集団への密着取材を続けることは疑いようもなく勇敢な行為、これもまた真実だ。僕の謝罪は、過激派集団なんていないとか世の中を良くするための必要悪だみたいな嘘に少し貢献してしまったんじゃないかなとも思っている。」


"So why leave the band?" (じゃあなんでバンドをやめるのか)という問いに、マーシャルはアレクサンドル・ソルジェニーツィンを引用して答えを出した。

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ソルジェニーツィンが西へと出立する晩に残したエッセイ『嘘によって生きるな』を、マーシャルは3月の騒動以来何度も読み返したという。

「己の魂を守るじゅうぶんな勇気のない者は—その者の『進歩的』な見解を誇りに思うべきではないし、その者が学者や芸術家や著名人あるいは将軍であっても得意気になるべきではない。彼らに自らの口で言わせてみよ:わたしは群れの一部であり、臆病者であります。餌を与えられ暖かくいられればそれで良いのであります、と。」—ソルジェニーツィン

マーシャルは言う。「僕が世間で物議をかもすような問題について語れば、遅かれ早かれバンドメンバーがトラブルに巻き込まれる。それは僕のバンドに対する愛情や忠誠心、そして責任感が許さない。だからといって己を偽り本心を隠すことは、いずれ僕の誠実さを蝕むだろう。僕の良心を絶えず痛めつける。予兆はあったんだ。」

そしてマーシャルはこう締めくくる。「僕が前へ進むにはバンドを去るしかなかった。僕がいなくなることで、バンドの仲間を苦しめることなく自分の考えを口にできるようになれればと思う。三人には最善を祈って、僕は胸一杯の愛と共に去る。Honk Kong Link Upとの仕事は続けるし、楽じゃないだろうけど、これからもいろんな問題について語ったり書いたりしていきたい。

ウィンストン・マーシャル」


淡々とした、それでいて胸の奥が熱くなる文章だった。

有名無名問わず過去も現在も掘り起こされ、一挙手一投足を徹底的に批判され、泣いて許しを乞うても引きずり下ろされ、社会から叩き出される米国のキャンセルカルチャーを我々は皆、恐ろしく感じている。

同時に、どこか絵空事、他人事だと思っている。自分がジョーカーを引くまでは。キャンセルカルチャーを一丸となって「キャンセル」しなければならないはずなのに、どうしたらいいかわからずのろのろと群れる臆病者達は、我々だ。


マーシャルはキャンセルカルチャーに勝利していない。事実、彼はキャンセルされ最愛のバンドを失い、ANTIFAやサヨク集団らネットのモブが勝鬨をあげた。

しかし彼は大切な人達を傷付けまいと、新たな一歩を踏み出した。彼が守ったのはバンドだけではない。自分の内なる高潔さ、誠実さ、良心を守った。マーシャルに地位と富があるからできる決断だとか、バンド仲間は彼を見捨てたとか、批判的な意見もあるけれど、マーシャルのエッセイは悲しみの向こうに強さを感じさせる。

己の魂を守る強さを。


マーシャルがソルジェニーツィンの『嘘によって生きるな』を何度も読み返したように、わたしはマーシャルの投稿を何度も、何度も読み返している。

キャンセルカルチャーに屈するということは、己を裏切ることに他ならない。反共産主義者であったソルジェニーツィンは「全体主義に抵抗するには霊的生活を整えねばならない」「共産主義を作り出したのは政治的危機ではなく霊的危機である」と言ったが、これはまさに現代のアメリカが直面している危機だ。

哲学や宗教が侮蔑の対象となり、モラルは低下し暴力があふれ、肌の色で善悪や敵味方を判断し、子供達は自らの性別にすら混乱し心身を病み、大人達は書物を焼き言葉を書き換え他者の糾弾に余念がない。

政治が我々を苦しめているのではない。文化が、思想が、精神崩壊が我々の社会を蝕んでいる。


我々は今、群れから出なければならない。偽りの連帯を捨て己の真実に向き合う強さを持つ時がきたのである。ウィンストン・マーシャルのように。



(終わり)

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