詩人「左川ちか」について
左川ちか(1911-1936)の詩を読もうとするとき、いつも、或る緊張を強いられる。まずひと呼吸おいて、よし読み進もう、としなければ、この詩空間のなかで乱高下し、けいれんして倒れそうになるからだ。
だが、それでも読まずにおれない。この人の詩には純粋な言語表現の壮絶な劇があって、私には、例えるならばジャズのエリック・ドルフィの芸術を想起させるところがある。
まず、左川ちかの詩は速度だ。そして、一編を構成しているひとつひとつの行のなかで凝縮するイメージ。さらに、そのなかにゆたかな感情をも含んだ、物象から物象へと急激に転調をくりかえしてゆく感受性の激しさ、だ。
一例として、ここで「青い馬」を取ってみたい。
これは、私が読みえたかぎりで、彼女の傑作のひとつだとおもう。以下に私なりの解説を加えてみたい。
まず、冒頭「馬は山をかけ下りて発狂した。」と始まるのだが、その速度である。開始の一行で読者をいきなりこの詩空間のなかにほうりこむ。そして、「その日から彼女は青い食物をたべる。」とつづく。
さらに間断なく「夏は女達の目や袖を青く染めると街の広場で楽しく廻転する。」と、場面の飛躍を書き継いでいくのだが、こうした表現は一体どのようにして彼女の中からつむぎ出されてくるのかと、おもうのである。
ひとつひとつの言葉に空虚さがない。詩の内部を一貫した、強固な論理が支えている。ここは、おそらく、彼女が現実に経験したところのことが何らかの仕方で反映されていて、それを徹底して彫琢し、ピカソのキュビズム絵画のような抽象化された物質的詩空間へとまで定着されている。
「馬は山をかけ下りて発狂した。」とは、左川ちかが「心にかけていた人」が突然病死した(精神面に関する病?)とも受け取れる。そして続く「その日から彼女は青い食物をたべる。」は、「その日」(馬がかけ下りて発狂した日)から、彼女(左川)は「青い食物をたべる」となっている。
これは、「恋人の死をきっかけに詩作を始める」とも解釈できるようだ。そして「夏は女達の目や袖を…」と飛躍していくのだが、私はここで左川ちかの“性的嗜好”というか、そういうところを考えてしまう。
これはもちろん、デリケートな所であり慎重に考えなくてはならないが、私は左川のいくつかの詩を読んできて、彼女には“同性愛的な傾向”があったのではないか、と想うところもある。
彼女が“女性を観察する視線”は、女性を客体化しており、そこに微妙に性的な要素が含まれていて、それが左川の作品世界のあちこちで垣間見れるように感じるからだ。
今回取り上げた「青い馬」にも含まれているが、他では
などが指摘できる。左川ちかが作品舞台のなかで女を登場させるときは、嗜虐的な要素もある。性的要素は、やはり含まれていると思う。
ただ、このテーマはデリケートでもあるので、これ以上触れることは控えたい。
左川ちかについては、まだまだ書きたい事があるので、それらは改めて記事にしたいとおもう。
今回は最後にもうひとつ、次の問題を指摘しておきたい。
ウィキペディアでは、左川ちかの作品について
「…詩の叙情を否定するモダニズムの詩人と分類される。彼女の詩は最初から「女性」「生活」をうたうことを拒んでいる。」
とあるが、上述してきたように、私はそう思わない。中には「朝のパン」のように、映画的手法を取り入れたサスペンスフルな(劇画的な)作品もある。こうした所では確かに虚構の要素は強い。だが、彼女の詩作はそれだけではないと思う。
「眠つてゐる」などを読むと、豊かな詩心を持つ人である事が分かるのだが、これほど硬質な文体をもって激越な劇をつくっていくことができる芸術家だった。
左川は、同時期に登場した丸山薫(帆 ランプ 鷗)のように精神が沈潜(内向)に向かう資質を持っているのだが、そのとき彼女は鎮静せず、燃焼していくのである。死相が見える、と云ったら踏み込み過ぎてしまうが、筆者が「エリック・ドルフィを想起する」のも、こういう所から来ているのかもしれない。
左川ちかは、今こそ読まれるべき詩人だ。時代が今にしてようやく、彼女の詩空間の速度に追いついたという事かもしれない。