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岬にて


どうしてこうなったのかとも思ったが、考えてみれば最初から必然だったのかもしれない。どんなに遠回りしても、その光に導かれるように、二人ともひとつの灯台を目指していた。

出逢ってから二十余年の月日が過ぎていた。長い時間が積み重なって、今日僕たちは本当の意味でたがいに知り合うことになった。嘘みたいな話だけど、人の一生は信じられないような出来事の連なりでもある。友人のふりをして思いを忍ばせ、それをあたためることがとても長い前戯だというのなら、二人が漸く手にした灯はそれに見合ったもっと明るく穏やかなものであってほしいのに、何故こんなにも寂しげで微かな薄明かりなのだろう。そして岬に辿り着いた後の僕たちは一体何処に向かうのだろう。


彼女の唇に触れたとき、その冷ややかさに顔を払いのけられた気がして、ほんの一瞬後悔が頭をよぎった。本当に僕のことを受け入れてくれるのか自信が持てなかった。人工的な香りに拒絶されているような気さえして踏み込むことに少し怖さを感じていた。それでも。

ゆっくりと時間をかけて、言葉を交わし合うように、長く忘れていた大切なことをそっと教えあうように動かし、吐息となめらかな水分を交換しながら互いの望む行為を探った。二十年の時をこえて初めてふれあうようでもあり、長い間ずっとこうしていたような気さえもする。

やがて歯がかちりと触れる音を合図に、ようやく離れた両の唇から伸びる糸がぷつと切れる刹那、温かい息づかいが彼女の本質的な匂いであることに気付いた。潤いを介して擦れ合う柔らかさだけではない、生き物としての彼女を意識した。その途端、ふたつの細胞膜がはじけて、中を満たす液質が混ざり合い、ほどけた核が急ぎ絡まり合うようなイメージが胸のなかにあふれて、文字通り我を忘れた。

長い年月をかけて築かれた友情という壁がぽろぽろと崩れ、互いの境界がおぼろになっていく。今まで思い出さないようにしていた姿と表情が僕の下にあった。鼓膜の記憶にかすかに残る波長が、彼女の喉の奥から漏れる言葉にならない声と一致して、僕をあなたという不思議に迷い込ませる。身体と心が纏っているヴェールをどちらも捲り、触れあい、自らの境である皮膚さえも越えて互いを侵すのを許すことで、心の底まで何も纏わぬ姿で混ざり、溶ける。長い間一滴一滴溜めてきた、あなたへの感情が器の縁からあふれる。
ほんとうはずっとこんなふうにしたかった。気付かないふりをしていた思いを、ただ夢中に、ようやくあなたに、注ぎ込む。

霧を一吹きしたような、汗の浮かんだ背を眺めていたら、初めて出逢った時の、背筋が伸びて、男など寄せ付けないような凜とした後ろ影を思い出していた。あの颯爽としたダークなスーツの内にはこの無防備で、か細い背中が匿われていたことを今日ようやく知った。

この長い時間がこうなるために必要だったというのなら、人の一生とは随分と短い。この岬に今更上陸したとして、二人は何処に歩いて行けばよいのだろう。陸に上がってしまえば、二人の行く末を示す道標などもはやない。濡れそぼる身を寄せ合い、ただ戸惑う女と男に吹き付ける風は、徒に冷たい。

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