松江麻(まつえ あさ)

思考実験家/生きるためのレッスンとして、思考実験という名の魂の跳梁を繰り返す。ものを書…

松江麻(まつえ あさ)

思考実験家/生きるためのレッスンとして、思考実験という名の魂の跳梁を繰り返す。ものを書く行為を通じて、自らの心の奥底に深く沈潜し、ふわふわの思考を永久プレパラートに定着させることができるか実験中。実験の成果物がいくつか融合し、良き小説に昇華してくれたら。

マガジン

  • 音楽にいつも救われてきた

    好きだった音楽のこと。 ジャンルあれこれこだわりなし。

  • 恋にまつわるいくつかのはなし

    人を好きになるってどういう気持ちなのか、恋に落ちて初めてわかる。君という存在が教えてくれた。みんなが言っている恋とはこういうことなんだと。

  • 山行記

    30年振りに山に目覚めた中年男の登山記録 己と山に問い続ける

  • 言葉について思うこと

    言葉を手渡そうとすることは、心の中を分かち合おうとする優しさの営みなのだから、想いの込められた言葉たちは、自ずとひかりを放つ。

  • 詩人の仕事

    これまで言葉にされてこなかった、感情や想いをきちんと言葉にしてすくい上げ、誰もにわかる言葉でこの世に差し出す作業を、丁寧に続けていくことが詩人の仕事。 ちゃんと仕事をする詩人の言葉にみんながちゃんと耳を傾けると、世界はもっとうまくいく。

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あの時、月の光に射貫かれて

朝起きて天気が良ければ、二階の窓から山を眺める。常念岳は北アルプスの中では決して高い方の山ではないが、その美しい山容は僕の住む街の象徴だ。特に冬の朝、凍てつくような澄んだ空気の向こう、輪郭を研ぎ澄ました山脈の中に一際白く均整の取れた美しい姿を目にすると、心が透き通っていくのを感じる。この街に暮らすことの素晴らしさを噛みしめる瞬間。 大きな港のある街で生まれたから、何故こんな山の中に、と問われることも多い。生まれ故郷はもちろん愛している。ふるさと、それは両親が結婚生活をスター

    • 変わりゆくもの、変わらないもの〜everything flows〜

      行って来ました! 5年ぶりのteenage fanclub 仕事の都合で恵比寿は無理だったので、初の名古屋クラブクアトロでした。溶けるようなGoodメロディも、飾らない笑顔も、あの日と変わらない。ただ年齢だけは確かに互いに積み上げて。 彼らに会うことは30年前の自分に会うようでもあり、今の自分に改めて出会うようでもあって、でもやっぱり万物流転、全てのものは移ろいゆくわけでeverything flowsなのだなあ、ふむふむ。なんてアンコールのラストに合わせて身体を揺らしていた

      • 岬にて

        どうしてこうなったのかとも思ったが、考えてみれば最初から必然だったのかもしれない。どんなに遠回りしても、その光に導かれるように、二人ともひとつの灯台を目指していた。 出逢ってから二十余年の月日が過ぎていた。長い時間が積み重なって、今日僕たちは本当の意味でたがいに知り合うことになった。嘘みたいな話だけど、人の一生は信じられないような出来事の連なりでもある。友人のふりをして思いを忍ばせ、それをあたためることがとても長い前戯だというのなら、二人が漸く手にした灯はそれに見合ったもっ

        • 山行記その9西穂独標〜届きそうで届かない頂

          夏のこと。 流行り病に罹患しかなり苦しんだ。外国で生まれた微小なるものが、人から人へと受け渡され、ようやく僕の身体の中に取り込まれたと思うとなんだか感慨深いが、実際それどころでは無いくらい、高熱と喉の痛みにうなされた。 仕事は所定の休みを取ったけど、その後もひと月は体調が完全には戻らず、日々の運動も休むことになった。 五十を過ぎてから、やはり体力が落ちてきていることを実感している。何でもできると思っていたけど、そうでもない。ランニングのタイムは多分もうこれ以上良くはならない

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        記事

          山行記その8 大天井岳 〜crossroads〜

          後悔は少しもないけれど、あの時違う道を選んでいたらどんな人生だっただろう。分岐点が訪れる度、何かを選び取って、何かを捨てて、今日という日がある。 二日目は天気に恵まれ、とても良い山行になりました。稜線歩きは実に幸せな気分にひたれる素晴らしい体験。進んできた道を振り返り、これから歩く道を仰ぎ見る。なんだかやっぱり人生と重ね合わせてしまいます。

          山行記その8 大天井岳 〜crossroads〜

          山行記その7 常念岳〜人生の街〜

          初めてその名を覚えた北アルプスの山は常念岳だった。この街の西側に連なる山脈のうち、ひときわ目立つ三角錐が常念である。 この街に暮らすことになった十代の終わりに、初めて眺めた山並みと初めて覚えた山の名前。今でもその時胸一杯に吸い込んだこの街の空気と合わせて、その白き峰の姿を思い出せる。そしてその山は今だって同じ姿を僕の前に見せてくれる。 山は見る角度によって姿形を変化させるが、常念はこの街から見るのが最も美しい。日々の通勤でも外出でも晴れてさえいればいつだって、意識せずとも

          山行記その7 常念岳〜人生の街〜

          山行記その6焼岳 〜いつか無に還る〜

          焼岳は活火山である。 頂に近づくほど、音をたてて噴気が立ちのぼり、強い硫黄のにおいがたちこめる。岩稜は熱を持ち、山が生きていることを感じる。 かつてはその噴火により、穂高をその水鏡に映し出す大正池を作りだし、更に遡ること数十万年前、梓川の流れを飛騨側から信州側に変えたとされる。火山の持つ強大な威力に、ため息がもれる。 焼岳は活火山なのである。 いつ大噴火するともわからない。そうしたら今の僕はひとたまりも無いのだが、このあたりの景色だってきっと変わってしまう。長い目で見れば

          山行記その6焼岳 〜いつか無に還る〜

          2022

          高井戸を過ぎ首都高速にはいると、遠く左手に都心のビル群が見えてくる。 更に進んで永福料金所を越えて明大を横目に、坂道をひと登りすると大きく新宿の街が目に入る。 目の前の巨大ビル群への突入感が湧いてくる。都会の森に分け入る瞬間、僅かに身震いする。 中央道から東京へ向かおうとする者なら、誰しも何かしらの感慨を抱くのではないだろうか。 僕は知っている。この森は怪しい秘術を使う魔女や、隙あらば足を掬おうとする小鬼であふれている。 でも、だからこそ、稀に出逢う本当の人間のまごころやや

          山行記その5奥穂高岳〜自分の人生にイエスと言う〜

          山頂はこの寒さで雪だそう。次に麓から見上げる時は白を反射して輝いているのだろうか。一瞬の秋を感じることが出来たのは幸運だった。 スケジュールと天気を合わせるのが一番の苦労でしたが、何とか一座ずつ穂高三座を登頂することが出来ました。残り一座は次の年の楽しみに取っておくことにします。 すこしずつ登山の感覚を思い出して、失った体力は気力で補い、健康に帰ってくることを優先に再開した山登りですが、こんなにも満ち足りた経験になるとは思いもよりませんでした。まだなんでもできる。やりたい

          山行記その5奥穂高岳〜自分の人生にイエスと言う〜

          山行記その4 前穂高岳 〜It's a wonderful life〜

          節目の歳を迎えて思い立ち、幾座かの山行を目標と定めたのであるが、思うに任せぬものはやはり天気だった。 こんなに身近な山なのだから、晴れの日を選んで行けばよいと、伸ばし伸ばしにしていたらもうすっかり秋である。天気がいい時は仕事の都合がままならず、青空に映える晩夏の山並みを、スーツ姿で恨めしく見上げることもしばしば。 いつかも書いた通り、時間と天候、諸々のしがらみが、山行の前に立ちふさがる。こんなふうにもたもたしているうちに、何も為すことのできぬまま年老いてしまう。 山は決して

          山行記その4 前穂高岳 〜It's a wonderful life〜

          山行記その3北穂高岳〜タイムマシンにお願い〜

          上高地から涸沢へ。 この道を友人たち3人で辿ったのはもう30年近く前のこと。大学4年生の夏だった。 随分と前のことで、断片的にしか思い出せない。荷物が重かったとか、景色がきれいだったとか。部分部分の記憶がなんとなく蘇るけれど、共に歩いたはずのこの道のことは、ほとんど覚えていない。 まるで初めて通る道みたいだ。 別に封印していたわけでもない。何故だか山に足が向かなかった。すぐ近くに山があって、まるで職場のようないつでも行けるような環境だったことも、何となく敬遠してしまう理由

          山行記その3北穂高岳〜タイムマシンにお願い〜

          山行記その2蝶ヶ岳〜そして私は蝶になり、夢の中へ飛んでゆくわ

          随分と早い梅雨明け。 短い雨季の間、やまなみは雲に隠れ、雨が降るたびに雪解けが進む。次に青空のもと顔を見せたときには、残雪はだいぶその姿を消している。 蝶の形に雪形が残るから、蝶ヶ岳なのだそうだけど、麓からその蝶を見たのは4月のことだったろうか。 ああそうか、もう7月だ。 山道を登っていると、時々思う。 自らの意思とはいえ、なんでこんなにつらい思いをして山なんか登っているのだろう。どうせいつかは高いところに上るのだから、今からこんなに焦って登らなくても。休日の午前からリビン

          山行記その2蝶ヶ岳〜そして私は蝶になり、夢の中へ飛んでゆくわ

          山行記 その1燕岳〜白き女王は中年男に何を囁いたか〜

          つづら折りの急な山道を、ゆっくりと下る。 標高が下がるとともに、沢の音が次第に大きくなる。今日のほんのささやかな旅も、もう終わりが近いことを知らされる。登り始めは山中に分け入る期待感で足取りも軽かったのに、急な水の流れの音が激しくなるほどに寂寥感さえ覚える。十時間の山行は、別れが惜しくなるほど満ちたりた経験だった。 燕岳は登山界では初級にグレードされる山だが、決して楽に登れるわけではない。よく整備がなされていて歩きにくいところが少なく、疲れをおぼえた頃に休憩できる箇所が多く

          山行記 その1燕岳〜白き女王は中年男に何を囁いたか〜

          山行記 その0〜何故だかまた登ることにした〜

          三十年ぶりに登山を再開することにしました。みたいなおじさんが一番遭難する確率が高いのだそうで。 まず、体力が落ちていることに気付いていない、認めようとしない。なまじっか若い頃に経験があるものだから、やたら自信過剰で人の言うことを聞かない。つまり周囲と自身の変化に対する自覚がない。だから道に迷ってもこんなはずないとがしがし進んでしまったり、無理して怪我したり落っこちたりと、周りに迷惑をかける。で、反省すればいいものを、負け惜しみなのか、根性第一世代だからなのか、リベンジを狙っ

          山行記 その0〜何故だかまた登ることにした〜

          fifty growing up_another side

          40代の最後に読む本はオースターのブルックリンフォリーズにした。初見でなあんだなんてがっかりするのも嫌だったので、読んだことのある本の中から選んでみたけど、我ながら良い選択だったのではないかと思っている。オースターの本はいつだって深い余韻とともに、生きるってこんなこと、ほら、と目の前に差し出してくれる。文学という芸術が、小説という表現が、この世の中にあることを嬉しく感じる。 思ってもみないような変事に巻き込まれたり、一か八かに賭けて敗れたり、心温まる出来事に目を潤ませたりし

          fifty growing up_another side

          一日遅れで

          2が並ぶからニャンニャンで猫の日だったらしい。200年後はもうひとつ2が増えて完全猫の日になりそうだけど、今この地球に居る人はその頃もう誰もいない。 200年後もこういうお気楽感ややさしさを感じられる世の中であってほしいな。 そしてネット発掘家(?)にこんな文章を掘り当ててもらって、昔のひとはこんなことを、などと笑い合える、そういう世界であってほしいにゃ。