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自虐の詩 〜自分の人生を肯定する〜

幸や不幸はもういい
どちらにも等しく価値がある
人生には明らかに意味がある


怪作にして名作の呼び声高い「自虐の詩」(業田良家著、竹書房文庫)をようやく読むことができました。雑誌連載期間は1985年から1990年だそうですから、もう30年以上も前のこと。さすがに時代を感じる描写もありますが、この際内容の本質とは関係ありません。僕の場合コミックは絵がツボにはまらないと読めないタイプなんですが、この作品の絵は正直言うと僕には少しきつかった。極力少ない線で必要最小限の画量に留めていて、まあ絵は好き嫌いが分かれるタイプの漫画かと思いますが、ストーリーは力強く圧倒的です。


主人公の幸江は内縁の夫イサオに翻弄され続け、それがこの作品の序盤の底流となっています。イサオはいらだつとすぐちゃぶ台をひっくり返して怒りをぶちまけては、外に遊びに行ってしまう。幸江のへそくりを掠め取ったり、買ったばかりの冷蔵庫を質に入れてパチンコに散財したりとやりたい放題なのですが、幸江は耐えているというよりは、好きな男と一緒にいられることに幸福を感じている、そんな姿が描かれます。    

作品の前半はこうしたイサオの暴走っぷりと幸江の耐える姿、そして希に見せるイサオの愛情に喜ぶ幸江の姿をギャグとして展開させる四コマ(たまに五コマ)なのですが、作品の後半は一変して四コマにして型破りのストーリー漫画に転換。幸江の幼い頃から、故郷を捨て上京し、人生という道筋から転落、堕ちるところまで堕ち、そしてイサオと出逢うまでが綴られていきます。幸江の高校時代から怒濤のラストに至るエピソードたちは次々と打ち付ける波のように激しく魂を揺さぶり、生きることの意味を読者に鋭く問いかけます。


確かに人間は生まれながらにさだめを持っているのかもしれません。どう足掻いても意図せぬ方向に進んでいってしまうことも少なくないでしょう。強い意志や頑張りだけでは解決できないどうしようもないことが、人生にはいくらでもあるのは、誰しも年齢を重ねれば分かること。強い意志で切り拓くも人生ですが、ままならずやむを得ず仕方なく、右に行きたいのに左に進まざるを得ないことだってある。それもまた人生でしょう。決してその人の意思の強弱だけの問題ではなく、それ以上に強い潮流(例えば戦争のような)に流されてしまうことだってこの世にはあるのです。

自分で歩を進めてきたとしても、流されてしまったその先であっても、ふと自分の来し方を振り返ったとき、そしてこれからの自分の行く末を案じたとき、誰しも自分にとって生きるとはどういうことなのか考えると思います。自分の生きてきた道を幸と思うか不幸と思うかは、気持ちの持ちようなのかもしれません。どんな人にも訪れる意図しない苦しみや悲しみさえまるごと含めて人生そのものを愛おしいと思えるでしょうか。



不幸な出来事にも幸せと同じくらい価値がある。人生には意味がある。僕もどんなことがあっても、自分の人生を肯定し続けて生きていきたい。そう思っています。  

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