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自分を大きく見せたり小さく見せたりしない

今から7〜8年くらい前に、あるカウンセラーの人に「弟子をとりなさい。すぐにじゃなくてもいいから」みたいなことを言われた。

それはビジネス的な意味で言っているのか、どちらかというと内向的な(内に篭るタイプ)私の人間性の改善を促す意味で言っているのかはわからない。

言われた時もそうだし、今、思い出しても違和感がある。


私は何かの開祖でもないし、残していきたい特別な何かを持ち合わせているわけでもない。

仕事を一緒に進めるメンバーはいたし、なにかで講師を務めた時もあったので受講者の人はいた。

でも、弟子ではない。


と言っても私自身、「師弟関係」がよくわかっていない。


弟子は、師匠の言うことを疑わず、師匠のような技を習得すべく師匠の一挙手一投足を体にすり込んでいくもの、と私は認識している。

そんな関係になった人はいなかったし、そんな関係を築きたいとは思わない。


自分が勝手に「師と仰ぐ人」はいた。(弟子入りしたわけではないけど)

勝手に尊敬していただけなのだけど。

しかし、それも数年の後に別れを必ず迎えた。

近くにいて、やることや考え方を吸収していった結果、「それは違うでしょ」と思う部分が大きくなるのだ。

わかりやすく言えば「師と仰げなくなる」感じだ。


それを数回経験すると、もう「師はいいかな」と思うし、「弟子って大変だな」と思う。

自分がそんななのに、「弟子を取れ」とか言われても困るわけだ。


結局、カウンセラーに言われたような「弟子を取る動き」をしたことがない。



職人の世界とか、芸術の分野とか、師弟関係は今でも普通にあるのだろうか?

今でもありそうだ。

私自身は弟子にも師匠にもなりたくない。。。



しかし、最近思う。

あのカウンセラーの人は、私の内向的な部分について言及していたのかもしれない。

弟子を持つって、ある程度自分を開かないといけない。

開かないまでも、他人が自分のそばに存在しているのを許容することになる。


私はそういうの苦手だ。。


そこを見抜き、もう少し自分を開いたほうがいいだろう、という意味で「弟子を取りなさい」と言ったのかもしれない。

気づくのに、時間がかかった。

あのカウンセラー先生は元気だろうか?多分元気だ。


カウンセラーの意図に気づいてはみたけど、相変わらず弟子をとるつもりなんてないし、師匠を持つつもりもない。

カウンセラーから言われた頃と比べると、さらにガードが硬くなったかもしれない笑


それでもこうやって内面を表現する場所を持つようにはなったし、少数ではあるけどやりとりもある。

個人的には等身大でできている気もする。


人それぞれのスケールがあって、大きく見せようとも小さく見せようともしなくていいのだと思っている。

スケールの大きい人を羨むことも、スケールの小さい人を貶すこともない。

みんなそれぞれ等身大でいいのだ。


偽ろうとする人(大きく見せようとしたり、小さく見せようとしたり)を見ると、「え?どうして?」と思う。

でも、それもまた、その人らしさなのだろう・・・


今の私は、自分のサイズ感でできることを見つけていって、試していって、あとはそれが誰かのためになっていたらいいなあ、という感じだ。

やることに、意味や大義は詳細に求めない。(意味のないことはしたくないから、ちょっとは求める)

今ある私との関係性の上で、良かれと思うことをやっていこうと思う。


カウンセラーさん、白状します。

結局、言うこと聞いていません。

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