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「言語化」あれこれ

最近、「言語化能力を高めたい」と言っている人(特に大学生??)が多くてとても辟易する。

いや、自分の周りだけなのかもしれんけど笑

巷では言語化ブームなのだろうか?


‥‥正直、少し戸惑うというか、理解に苦しむところがありまして。

というのも、言語化ってタイピングとかと同じで手段に過ぎないのでは?と思ってしまうから。

言語化能力を高めたい人は、言語化することを通して何をしたいかをまず言語化すべきなんじゃないかとずっと思ってる。(ちなみに僕自身は言語化能力は大切だと思っているし、これから育てたい能力だと感じている。だからnoteを書いて発信もしている。理由は後述。)

何らかの目的があるからタイピングをしたり、資格を取ったりするわけじゃん。




と思っていたところ、同じようなことを言っている方がいらっしゃった笑

言語化能力を高めたいと思っている人は黙ってこの本を読んでほしいと思うくらいにはおススメしたい。


「なんだ、書くことについての本か」と思うなかれ。

この本で書かれていることは、言語化にも大部分において共通している。


●あなたは何のために書く(言語化をする)のですか?

●その言葉(コピー)はすでに存在するんじゃないですか?

ということを問うている。


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少し話は脱線するのだが、この本は自分が2年生の時に始めた長期インターンシップをやめたきっかけにもなった本でもある。

インターンでは、インターン生が書いたコピーライティングを添削して編集をするという職に就いていた。間違った日本語表現を直し、文字数が制限に収まるように工夫する、そんな仕事であった。

正確には覚えていないが、1000文字のコピーを月に50本くらいは読んでいたはず。

とはいえ、自分に他人を指導できるほどの言語能力はあるはずもなく、、、

そこで自分は小説からビジネス本まで、いろんな本を読んで「いいな」と思う表現をストックすることにした。


今思えば、この戦略はドはまりだった。


下手に日本語の語彙力のためだけの本を読むのではなく、様々なジャンルの本を読んだことで、いろいろな思想に触れることができた。特にビジネス本は社会の第一線で活躍している人の考え方を知れるうえ、伝記のようにスラスラと読めてしまう。あれほどコスパのいい取材活動はない。その点、言語化がうまい人のSNSを遡るのもとても面白い。(クソリプに対する反応も含めて笑)

上の本は、そんな過程で出会った本だった。

この本を読んだ時に、自分は他人のコピーライティングを添削するためだけに本を読んでいるのか、という息苦しい気持ちになった。そろそろ少し視野を広げてみたほうがいいかもしれないという考えが頭をもたげてくる。

せっかくいろいろな人の文章に触れたのだから、それを活かして自分も文章を書いてアウトプットしたいし、もっといろいろな人に読んでもらってフィードバックを受けたいという欲求が出てきた。

そんなわけで、別のステージに行きたいという気持ちをもったわけでござる。

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自分が言語化能力を育てたい理由を後述することになっていた。

危うく忘れるところだった。笑


自分は息抜き程度に自己分析をすることがあるのだが、そこで気づいたことがある。

人は意思決定をするときかなり無意識である

ということだ。


今日の夕飯、どの道を通って帰るか、何の曲を聴くか。

これらを熱心に考えて決定している人がいたら、もはや首を垂れるしかない。


自分は言語化を通して、その無意識に「こんにちは」したい。

見たCMのワンフレーズを思わず口ずさむような、そんな無意識に浸透したい。


書いていると気持ち悪く感じるようなフレーズだ。笑

こうなるともはや理想でもなく欲求。

自分でひねり出した言葉を他人が口ずさむとか、最高じゃないですか?

そんな人間になりたいんですわぁ。


…最初に戻って、自分が言語化を必要だと思うのはこの欲求を満たすためである。笑

そんなことで広告会社でのインターンがあると知った時は迷わず面接をしていただいた。欲求満たしまくりな日々を送っている。


おわり。

かなーり脱線してしまって、自己紹介なのか書評なのか訳が分からなくなってしまった。笑

が、自戒の念を込めて声を大にして言いたいことが、自分の欲求ってめっちゃ大事やなってこと。


言語化能力を養うのは、あなたにとって適切な手段ですか?

目的になっていませんか?



ジコマンnoteを最後まで見てくださってありがとうございました。






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