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母の愛した昭和歌謡

先日、約7か月の闘病生活の末、母が永眠いたしました。
短いような長いような、しかし色々な学びと共に人間の儚さと人生の意味について、改めて考える期間になりました。

noteでは音楽という視点で、追悼の意味も含めて母が好んだ昭和歌謡について記事を書きたいと思います。

私が幼少の頃、家には安っぽいレコードプレーヤーがありました。
コンポーネントシステムではなく、本当にちゃっちいおもちゃみたいなものです。
両親はオーディオに興味はなかったということですね。
そして音楽もレコードを購入して聴いていたかというと、そんな記憶がありません。
情報源はテレビかラジオで、そこで歌を覚えていたのだと思います。

しかし母はカラオケが好きで、私が小学校低学年の頃に『8トラ』のカラオケシステムが実家にやってきました。
近所のママ友を呼んで賑やかにカラオケ大会をしていたのを覚えています。
そして、私は母にデュエット曲や昭和歌謡を聴かされることになります。
もちろん演歌もその中にあります。

私の音楽ルーツは昭和歌謡だと言えます。
ひとことで言うと、哀愁、ではないでしょうか。
短調(マイナーキー)の曲が多いですし、ムード歌謡には最適です。
そしてそれはジャーマン・メタルにも通じるところがあります。
いわゆる、ハーモニック・マイナーという、7度を半音上げた和声的短音階を使用した楽曲は、どこか日本的な懐かしさを感じさせます。

テレビの歌番組もまだまだ演歌は強かったですが、80年代にはアイドルが台頭し、必然的に私も影響を受け、次第に聴くようになっていきました。
ロックに目覚めるのはまだまだ先になります。

カラオケで今でも歌える昭和歌謡のレパートリーは、このような幼少期があったからです。

ロックや洋楽に出会ってからはこれらの曲を聴くことは無くなりましたが、歳をとってから歌ってみると、中々いいものだと思うようになりました。

現代ではポリコレ的にこれらの歌詞をどう感じるのか、気になるところもありますが、時代を反映しており、文化的に味わい深いものであることは確かです。

母は小林旭が好きでした。
入院生活の後半は、彼のDVDを病室でよく見せていました。
中でもこの曲はよく口ずさんでいました。

昭和歌謡が歌う世界感からは『一億総中流』『良妻賢母』『理想的な家族』『男の生きざま』『女は黙って俺についてこい』など、基本的にジェンダー的に今では受け入れられないという人もいるかもしれません。
しかし、私の親は団塊の世代であり、高度成長期という特殊な期間を生きた人たちです。当然ながらそこに幸せはあったし、不幸もあったでしょう。
それは今も昔も変わらないものです。
そこにあった幸せが現代の”常識”に合わないといって全否定しては文化は語れないですし、永遠に他者と分かりあうことなんてできないでしょう。

他者を知る、他者が生きた時代を知ることの先に、より良い社会が築かれるのだと思います。

私は母の生きた、高度成長期の昭和は希望に満ちた楽しい時代だったと感じていますし、母も幸せだったと思います。

母の葬儀のお別れの時間には『小林旭』メドレーを流しました。
その一曲目はやはり、こちらでした。

ありがとう、お母さん。
そしてゆっくりした後は、そちらの世界でカラオケを楽しんでください。

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