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音のない会話

事件から3年以上の月日が経ち、娘とは写真と記憶とでしか会えなくなった。もちろん会話は出来ない。
撮りためてあるビデオも辛くて見る事ができない。

事件から2カ月ほどで初めて受けたカウンセリングで、今後の喪失との付き合い方のロードマップと言うか、データ上はこういう経緯を辿りますと言う話をされた。

「まず、起きた事、耀子さんの事を忘れる事はありません。」

何言ってんだ?(当然だろ)という思いで聞いた。

「喪失感、悲しみのピークは1年目の命日に来ます。」

これは3年経った今、振り返ってみると、必ずしもそう言う事でもない。
しかし、最初の祥月命日をどの様な心境で迎えるのかと言う未知の恐怖と闘うと言う意味では、1年目が最も辛いのはその通りかもしれない。

「月日が進んでいくと徐々に心の中で耀子さんと会話が出来る様になります。」

これには仰天した。
カウンセリングの先生は精神科医であり、被害者支援の世界では第一人者である。
なぜ、こんな霊媒師みたいな事を言うのかと戸惑った。

2年が経ち、刑事裁判が終わり、その後の1年は憑りつかれた様に、悪質運転の取り締まり強化を訴える動きに没頭した。
訴えが届くかもしれないと言う淡い期待を抱いては結果に落胆し、怒りを覚えた。
同じような思いを持っている仲間はいないのかと探しては、孤独感を募らせた。

もしかしたらという希望めいたものを遠くに見たと思ったら、幻だっと現実を知る。
そんな事の繰り返しだった様に思う。
この先もきっとそうなのだろう。

ここの所の1ヶ月くらいだろうか、「どう思う?」と耀子に心の中で話しかける様になった。
目の前の椅子やベッドに座って思案する耀子の姿や表情を見ている心持ちになりながら。

もちろん答えが返ってくる訳ではないが、方向性を示してくれるような声を聞いた様な気持ちになる。
時に、耀子から叱られている様な気持ちになる時もある。

いつもしていた様に、そっと頭を撫で、肩を抱きたいと思う。
心の中の耀子はそりゃそう思うよね、と笑っている。

気が付くと目には涙が溢れている。



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