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運命みたいな再会から腐女子ソウルメイトになった同郷の友人が引っ越してしまった1〜学生時代篇

 【本編は無料で読めます】

 読んでくれる人がどのくらい居るかは分からないが、今日は何だか思い出話をしたい気分なので一杯付き合ってくれたら嬉しい。
 お時間のある方は缶ビールを用意して、おつまみ片手にボランティア精神で読んでもらえたら幸せである。

 友達が引っ越してしまった。
 自粛ムードのこのご時世に。
 車で30分の距離から、新幹線で2時間以上の距離へ。
 彼女と私の出身地は東北の片田舎だが、友達と呼べるほど仲良くなったのは郷里を離れ、大人になってからだった。

 私の今の気持ちを表現するならば、仲のいいクラスメイトが夏休み中に親の転勤で遠くに引っ越してしまった時の気持ち、と言えばかなり近いのだろう。
 この何とも言えない寂寥感を、思い出と共に語ろうと思う。
 飲んでるビールはインドの青鬼、つまみはじゃがりこサーモンクリーム味(期間限定)。

1、高嶺の花と、おけパ中島と、私

 友人はMちゃんと言う。
 小学校からの同級生だ。
 彼女は綺麗で頭が良くてお父さんが有名人だった。
 だから私は小学1年生の頃から一方的に彼女のことを知っていた。
 今でも1年生だけが着ける大き目の名札に書かれた平仮名の文字を覚えている。
 一方Mちゃんが私のことを認知したのは、おそらく中学校で初めて同じクラスになってからだと思う。
 中学生のMちゃんはクールビューティーな完璧女史で、学年のマドンナだった。
 古臭い言い方だけど、これ以外に何と表現すればいいか分からない。
 彼女に憧れている同級生は男女問わずたくさんいて、私も例に漏れずその中のひとりだった。
 Mちゃんは常に成績上位者で、引き込まれるような書き出しの読書感想文では賞を取り(読んだ本は太宰治の「人間失格」で、当時それもかっこいいと思った)生徒会役員を務めるほど人望もあった。
 スマホはおろかデジカメも存在しなかった当時、使い捨てカメラで隠し撮りされたMちゃんの生写真が男子生徒の間で高値取引されているという噂もあった。

 ところで、私にはKちゃんという友達がいた。
 Kちゃんはとても人懐っこい子で、屈託がなくて、人間関係に物おじしない同級生だ。
 こう言えば女オタクの中には一発で分かる人がいると思うのだが、いわゆる「おけパ中島」ポジションの子である。
 おけパ中島とは、女オタク達のTwitter上で一世を風靡したマンガ「同人女の感情」シリーズ、あるいはそれを基に出版された「私のジャンルに「神」がいます」の登場人物だ。
 一見パッとした何かは無さそうなのに、なぜか高嶺の花たちと仲が良く、素直で、損得関係なしに(時にはお節介とも取られかねない)善意で行動できる人物である。

 私とKちゃんはマンガが好きだった。もっと言えば、同人誌をたしなんでいた。さらに言えば、私に人生で初めて二次創作BLを書かせ、後戻りのできない腐女子に仕立て上げたのはKちゃんだった。
 ちなみにKちゃんは、私がいい大人になってから初めて出した二次創作同人誌に小説を寄稿してくれている。

 実は、この趣味が共通なのはMちゃんも同じだった。
 そう、おけパKちゃんはMちゃんとも仲が良かったのである。

 私とMちゃんは、Kちゃんを介してマンガの貸し借りをするようになった。
 正確には、それぞれの蔵書がマンガ大好き女子グループ内で回っていただけだったのだが。
 余談だが、Kちゃんは他の生徒会メンバーとも仲が良く、それを妬んだ一部の女子から色々言われていたことがあるらしい。
 大人になってからKちゃん本人が教えてくれたのだが、人間関係に鈍感な私は一切気が付いていなかった。

 そんな間柄だったので、中学生当時の私とMちゃんは今思うと友達と呼ぶにはちょっと足りない関係だった。
 実際Mちゃんは私にそんなに興味が無かったと思う。

 印象深いエピソードがある。
 ある日唐突に、人がまばらな教室内でMちゃんが私に言った。
「しゃちほ子ちゃんって、悩みなさそうでいいね」
 呆然とする私を残してMちゃんは移動教室先にさっさと行ってしまった。
 この時、私が呆然としてしまったのはショックだったからではない。
 嬉しかったのだ。
 私だって人並みに悩みはあった。思春期特有の病みがあったのだ。
 なのに、完璧と思っていた彼女がそれを見抜けなかった。
 私はほっとした。
 なんだ、Mちゃんも普通の人間じゃないか。
 完璧な彼女に対して、初めて親近感が湧いたのだ。
 でもきっと、Mちゃんはこの時のことを覚えていない。

 もう一つ語らせて欲しい。
 なぜか、本当になぜか分からないのだが、一度だけMちゃんとアイススケートに行ったことがある。メンバーは生徒会の子達と、Mちゃんと仲のいいクラスメイト、そして私だ。
 私が行くことになった時のMちゃんの言葉を、おぼろげながら覚えている。
「しゃちほ子ちゃんって、怖いって言って滑らなそう」
そういう子イヤなんだよね、という言外の意味は明らかな言い方だった。
 Mちゃんのお父さんが運転する車に乗って、雪道をたぶん片道2時間くらいかけて県内のスケート場に行った。
 バカにすんなよ、という多少の憤りと、Mちゃんに幻滅されたくないという意志によって、私は一生懸命滑った。人生初スケートである。
 一生懸命頑張ったからか、Mちゃんは結局へっぴり腰の私の面倒を何だかんだ見てくれた。
 今の私の語彙で表現するならば、とんだツンデレイケメン女子である。

 クールビューティーのMちゃんは、棘のある薔薇のような存在だった。
 私たち同級生が彼女に憧れたのは、中学生という多感な時期にありながら、好きなものは好き、それ以外は興味がないという一貫した態度を相手の別なく取れる強さにあったと思う。

 中学卒業後、Mちゃんと私は同じ高校に進学した。
 けれど仲介役となっていたKちゃんの進学先が違ったこともあり、Mちゃんと私の距離は次第に離れて行った。
 3年間、同じクラスになることもなかった。
 Mちゃんに関する高校時代最後の思い出は、1年か2年の休み時間である。
 トイレから自分のクラスに戻ると、クラスメイトが「さっきB組の子が数学の教科書借りていくねって言って机の中から持って行ったよ」と教えてくれた。
 B組の子って誰だ?と一瞬不思議に思ったが、考えるまでもない、名乗りもせずそんなことするのはMちゃんしかいないのだった。
 この頃を最後に、私とMちゃんの交流は途絶えた。
 受験勉強で手一杯になった私は、いつの間にかMちゃんについて考えることも無くなっていった。
 私たちが住んでいたのはド田舎である。
 大学進学は多くの場合、県外転居を意味していた。
 私は愛知県の大学に進学が決まり、Mちゃんは東京の有名大学に進学した。
 連絡先を交換することもなく、私たちは物理的な距離までも離れ離れになったのである。

2、この再会を運命と言わずして何と言おう

 中学校の同窓会のお知らせハガキが届いたのは、私たちが32歳になる年であった。
 大学卒業後も東海地方で就職、結婚をした私は、その時名古屋で長女を妊娠中だった。
 読者の皆さまにおかれましては何だか楽しそうな印象を受けたことかと思いますが、実際の所私は学校というものが大嫌いな人間だったため、今思えば同窓会に出席する理由は全くなかった。
 中学時代の友達も少なかったし、その頃にはKちゃんとの関わりすらも無くなっていたのだ。
 ただタイミングとは奇妙なもので、私はちょうど同窓会が開かれる時期に里帰り出産のため帰省する予定であった。
 更に、当時受けていたセルフコーチング講座の効果が人生で最大値まで発揮されていた異常な時期で、テンション上げ上げな私は自己肯定感も上げ上げな超ハッピーライフを送っていた。(あくまで一時的なものである)
 状況的タイミングと状態的タイミングがバッチリ合った結果、私は返信ハガキの「出席」に丸を付けて投函したのだった。

 果たして、私は同窓会でMちゃんと再会することになるのである。
 しかし、それ自体は別に運命的でも何でもない。
 再会だけなら成人式の時にもしている。
 何ならその2次会でMちゃんのお宅にまでお邪魔した。
 もちろんKちゃんあっての流れである。
 だが連絡先交換をするわけでもなく、ちょっと飲んで帰っただけだ。
 Mちゃんの態度は相変わらずで、特に私に興味はなさそうに見えた。

 同窓会会場のホテルに着くと、私を見つけたKちゃんが手を振ってくれた。
 隣には相変わらず美しいMちゃんの姿がある。
 十余年ぶりの再会に声を弾ませながら、近況報告をした。
 もう大きいお腹を見せながら、中に赤ちゃんがいること、今名古屋にいること。
 するとKちゃんは、驚いたようにこう言ったのである。

 「え!?名古屋!?Mちゃんも名古屋だよ!!」

 これには私のみならず、さすがのMちゃんも驚いた顔をした。
 そもそも地元から出るとして、東北の人間の多くは東京止まりなのである。
 日本最大の都会である東京より南に移動する理由がないからだ。
 実際Mちゃんの進学先も東京だったし、高校を卒業して東京より南に行く生徒は数えるほどしかいなかった。
 しかも住んでいる場所を聞くと、なんとうちから車で30分の距離だ。
 旦那さんの転勤で名古屋に来たと言うのである。

 これを、運命と言わずして何と言おう。

 そして、直後のMちゃんの言葉は更に私を驚かせた。

「連絡先、交換しよう!」

 あの、Mちゃんが。
 あの塩対応で、棘だらけの薔薇のようなMちゃんが。
 ニコニコと笑いながら、明るく、楽しそうに、自ら私に連絡先を聞いてくるなんて。

 私は二つ返事で連絡先を交換し、出産が終わって名古屋に戻ったら会おうね、なんて約束をした。
 30歳を過ぎたMちゃんは、私から見れば驚くほど変わっていた。
 雰囲気が柔らかくなり、笑顔が絶えず、棘はすっかり消えていた。
 けれど連絡先を交換した後に「今のしゃちほ子ちゃんとは仲良くなりたいと思った」と言われた時は、やっぱりMちゃんはMちゃんだなあと思って笑ってしまったのだった。
 思っていた通り、彼女は学生時代の私にはさして興味がなかったのである。
 中学時代に地味で大人しかった私は、この日かつてのクラスメイトに「すごく変わったね、ベッキーみたい」と評された。ちなみにベッキーだが、この頃はまだとんでもない高好感度タレントだった。
 私は分かりやすい大学デビューを果たした人間なのだが、それにセルフコーチング効果が拍車をかけてキラキラと輝いていたのに違いない。
 卒業から十年以上、しかもこのタイミングでなければ、私はMちゃんと連絡先を交換することはなかったと思う。
 Mちゃんと知り合ってからの期間は長いが、それでも出逢いは一期一会なのだ。

ーーーその2へ続く

○一杯奢ってくれる方へ向けた余談

「しょうがねえ、一杯奢ってやんよ」という神様みたいな方、本題に関係ないかなと思って削った、大したこともないエピソードをどうか聞いてやってくだせぇ。へへっ(もみ手)
中学時代に回し合っていた漫画の主なラインナップと、毒にも薬にもならないような一言エピソードです。

 漫画大好きグループでの蔵書巡回によって色々な漫画に触れた私は、結果的に大人になってから某自転車少年漫画の二次創作BL同人誌を発行するまでに成長を遂げることになる。
 ここでは当時回ってきた漫画の一部と、それに連なるエピソードを紹介したい。

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